第2章 異能【5】
サロンを出ると、デラがイテルを中庭のテラスに案内した。すでにお茶が用意されている。イテルが知らない者と会うことで疲れてしまうことを見越していたらしい。エイカーもそばに控え、ミィはテーブルの上で丸くなった。
「それにしても……」デラが溜め息交じりに言う。「レイシー様が騎士の通り抜けをお許しになられていたなんて……」
レイシーに呼ばれる前、三人の騎士が神官しか出入りできないこの庭園を通っていた。本来なら許されないことだが、レイシーは特別に出入りを許可していた。レイシーの人情の厚さを表しているようだった。
『ちょうどいい』と、ミィ。『イテルはこれからいろんな人と出会うことになる。その練習になるだろう』
イテルはこの六年、実家の者たち以外の人間に接することがほとんどなかった。これから神官となることで出会う人が増えるのなら、確かに練習は必要だろう。そう考えただけで緊張するようだった。
まあ、とエイカーが口を開く。
「あの三人なら問題ないっスよ。実直を人型にしたような三人っス」
「イテル様の穏やかな暮らしのほうが大事よ」デラは厳しく言う。「一気にいろんな人に会っては疲れてしまうわ」
「まあ、それはそうっスけど」
「神官になるのだって、そうと決まったわけではないわ。素質があるというだけよ」
「それはレイシー様に任せるしかないっスよ。もしイテル様が嫌だとお思いなら、ミィが教えてくれるはずっスから」
「ふむ……。あたしたちにもミィの声が聞こえたらいいのに……」
イテルはミィに視線を遣った。あくびをするミィは、こうして見ていると、ただの猫にしか見えない。それでも、レイシーだけでなく、声が聞こえないデラもエイカーもミィを信用している。やはり、ただの猫ではないのだろう。
じっと見つめるイテルに、ふむ、とミィの声が届いた。
『イテル、お前は何がしたい?』
(……僕は勉強がしたい)
『実家では唯一、与えられたものが勉強道具だったそうだな。レイシーに伝えておく。どちらにせよ、神官になるにはたくさんの勉強が必要になる』
(うん……)
『神官になるのが嫌ならそれでもいい。神官の他にも生きる道はたくさんあるからな』
ここに居る人々は、みな優しい。実家では、何かを拒否することは許されなかった。イテルにとって、それが当然のことだった。だが、ここでは自分の意思で決めることができる。イテルには、その自由が与えられたのだ。
(神官というのがまだわからないけど、僕にできることならやりたい)
『そうだな。どちらにせよ、その両手では生きていくのは大変だ。神殿に籠っているくらいがちょうどいいだろうな』
幼い頃の鑑定で「鬼の手」だと発覚した右手。レイシーの鑑定により左手は「癒しの手」であると判明した。いまは手袋によって魔力を遮断し、その効果を発揮しないようにしている。きっとこの先も手袋でそれを隠しながら生きていくのだろう。
(レイシー様の言う閣下ってどんな人?)
『この国の君主だ。体がでかく強面だから怖く見えるが、その実、朗らかな男だ。奥方様は君主の妻らしく、慎ましやかでお淑やかで、心穏やかなレディだよ』
国史の勉強の中で、フラール公爵と公爵夫人の写真を見たことがある。その風貌はミィの言う通りの印象であった。
『いずれ会うことになるが、緊張する必要はない。ふたりは子どもを欲しがっている。お前のことも、我が子のように可愛がってくれるだろう』
イテルは曖昧に頷いた。こんな異能を持つ自分をどう思うか。それは会ってみないとわからない。おそらくレイシーがイテルの異能のことは話しただろうが、それで可愛がってくれるとは、いまのイテルには思えなかった。
(……僕の家族はどうなったの?)
それを訊くのは怖かったが、イテルは訊かずにはいられなかった。異能を持つ者を隠すのは罪だ。家族には何かしらの罰が与えられたことだろう。
『今回は閣下が温情をかけた。生活としては何も変わっていないだろうな』
ミィは淡々と言う。その言葉にイテルが少しだけ安堵したことには、鋭いミィには気付かれていることだろう。
『お前が会うことは二度とないだろうな。彼らのことは忘れて、私たちのことを家族だと思うといい』
(うん……)
『お前はこれから何十年と神殿で暮らす。私たちはお前を歓迎するよ』
イテルにはまだ実感が湧かなかった。いままで、部屋の外に出ることは許されなかった。自分は悪いものを持って生まれた。その意識が、自分がここにいてもいいのかという疑問を懐かせる。神殿の者たちは優しい。その優しさが、ただの同情なのではないかと思わせる。それは違うとわかってはいるのだが。
『ここにお前を縛り付けるものは何もない。自由に過ごしていいんだ』
(うん……)
自由とはなんだろう、とイテルは心の中で独り言つ。好きなときにこうして外に出られることだろうか。声の出ない自分が誰かの役に立てるときがあるのだろうか。果たしてなんの役に立つと言うのだろう。せめて、迷惑をかけないようにしなければならない。また、見捨てられないように。




