88 終幕
これが、医務室で言っていた覚悟ってやつなのだろうか?
このゴーレムたちは明らかにこの戦い以前から壁の中にいたはずだ。
でなければ、マキノさんはエナが六区に現れ、戦闘状態に陥ることを予測していたことになる。
医務室のマキノさんの様子では、彼が元から全てを知って動いていたようには思えない。
ゴーレムたちは、事件以前から壁の中に封印され、そしていざという時に壁を壊し現れる。
いわゆる秘密兵器——それがこのゴーレムだ。
「さあ、残すは君一人やね」
ゴーレムたちはエナに迫る。
その数およそ五十体。
ゴーレムたちが封印されているのがこの最奥の壁だけでないのならば、一体総勢何百——いや、何千体になるのか。
崩壊とともに現れ、監獄を救う救世主——まさに禁忌の魔法だ。
「命を与えられし忠実なる兵器。同じ⋯⋯匂い」
エナが手を伸ばす。
遠く、何かを思う様に語る彼女は少し切なげに見えた。
少し、心が揺らいだ。
ヘカテーは罪を償うべきだ。
でも、ディオが言ったように、彼女たちは、ただ誰かの命令に従っただけなのかもしれない。
ユーティウスさんをエナが操ったように、エナもまた、誰かに従うしかなかっただけなのかもしれない。
そんな考えがよぎる。
パンを食べるトリアの笑顔、ふとした瞬間に見える感情。
分身体であろうと彼女たちだって生きた存在だ。
たった一つの命、でなければそれぞれに名前なんてつけなくて良かったはずだ。
一つの存在として見ているからこそ名前がある。
「⋯⋯って、何考えてるんだよ、俺」
罪を糾弾し、倒すとまで宣言した相手に今更俺は助けたいなんて思っているのだろうか。
⋯⋯そんなのはただの偽善者だ。
虫が良すぎる。
だがそれでも、俺は心の中で願ってしまっていた。
エナとディオ、そしてトリアが寄り添ってパンを食べているところを、「三階層のパンは美味しいって言ってたから」——そう話してくれたトリアが、嬉しそうにエナとディオに伝える姿を思い浮かべてしまったから。
せめて彼女たちが苦しむことなくこれからも生きていけるように、冷たくて硬いパンなんかじゃなく、温かいパンを食べられるように——と。
「ゴーレム、囚人ヘカテーを行動不能にせよ」
マキノさんが命じると、ゴーレムたちの人工的な瞳が呼応するように光る。
中心にいるエナに狙いを定めたゴーレムたちは、屈強な岩の拳を振り上げる。
「エナ⋯⋯」
不可避の攻撃。
大勢のゴーレムたちに取り囲まれ敗北を待つ少女はなおも抗おうと唇を動かす。
「——グイロ⋯⋯」
詠唱は最後まで途中で中断された。
何を思ったのかは分からない。
しかし少女はやがて伸ばしていた手を、自分の心臓に持ってきて、ほんの少し笑みを浮かべた。
「——ユニオ」
白い魔法陣が彼女の足元に出現し、そこから生み出された淡い光が彼女を包む。
「これにて⋯⋯終幕」
か細い声は吸い込まれるように魔法陣の中へと消えていく。
眩い光が空間を満たし、離散したかと思うと、その次の瞬間、そこに彼女の姿はなかった。
エナは、跡形もなく消えていた。
「ヘカテーはっ、彼女はどこへ!?」
テラが慌てふためき視線を彷徨わせて周囲を捜索し始める。
「どうやら先手を打たれたみたいやね。ヘカテーはもうここにはおらんよ」
「先手? もういないって、一体どういうことですか?」
「ヘカテーの本体は七階層に囚われた囚人や。その本体が分身体を呼び戻した。だからもう一階層にヘカテーはおらんゆうことです」
ヘカテーは一つになり、一階層にヘカテーはいない。
それはつまり、戦闘が終わったということか。
「補佐くん!?」
脱力する。
気づかぬうちに体が限界に達していたらしい。
頭も、手足も、疲れ切って動かない。
「長い間気ぃ張っとったから疲れたんやわ。テラ、皆に戦いが終わったゆうこと教えたって。負傷者は医療部へ、布団も足りへんくなるやろから、職員寮も一時的に開放します」
「ハイ!」
テラは元気良く返事し飛び出していった。
マキノさんは一息つく暇もなく、職員たちの安否を確認すると、動ける職員たちに指示を出していく。
俺は、大した怪我はしていなかったが、念のためということで職員寮の談話室を使わせてもらうことになった。
一階層も三階層も部署も、関係なく、傷ついた職員が次々に運び込まれてくるのを見て、俺は戦いの激しさを実感させられた。
ディオやトリアは俺を攻撃しようとしなかった。
エナは⋯⋯試練と称してミノタウロスを仕掛けてきたが、それは俺だけじゃなく多くの職員たちを巻き込む結果となった。
俺が望んだことではないにしても、自分のせいで多くの被害を出してしまった。
折れて使い物にならなくなった剣と、踏まれて原型をとどめていない鞘を見て、そんな悔しさと罪悪感が胸に込み上げてきた。
何故、彼女たちは俺をテセウスと呼んだのか、英雄⋯⋯なんて、笑えない冗談だ。
結局何度聞いても彼女たちが答えてくれることはなかった。
ヘカテーは一体となり七階層へ戻った今、俺が答えを知る術はない。
最下層の囚人が何故俺の事を知っているのか、一階層を巻き込んだ理由。
全部、謎のままだ。
マキノさんやテラは、今はゆっくり休めと言ってくれたけど、頭の中に次々と考えが飛び込んでんできて
とても落ち着けなかった。
頭がフワフワと浮いてるみたいだった。
「西条さん」
「室町さん! 怪我は? 大丈夫なのか?」
室町さんはディオとの戦闘で腹部と腕に怪我を負っていた。
どちらも血を流すほどの大怪我だったはずだが、見ると、その傷が治り、裂けた制服もすっかり元通りになっていた。
「はい、あの後救護班の方が来て下さり、治癒魔法をかけて下さったのです」
破れた制服は新しいものを支給されたようだ。
そうか、室町さんは人間でありながら妖術を操る。
つまり体内に妖力が流れているということだ。
だから回復魔法にも効果がある。
「良かった」
俺は安堵の息をつく。
「西条さんもご無事なようで安心しました。あの時、西条さんが私を逃がして下さらなければ、私はあの場で死んでいました。本当に、ありがとうございます」
室町さんは律儀に頭を下げる。
いつもは俺が助けられている側だから慣れない感覚に少し焦った。
しかし、頭を上げた室町さんの表情はどこか浮かない様子だった。
「室町さん?」
俺が首を傾げ尋ねると、室町さんは「すみません」と謝った。
「ずっと考えていました。転移石で救護を待っている時も、治療を受けている時も。私は身を守る術を身に付けるため妖術を学びました。なのに、ディオスガルグの危機に、皆さんと共に最後まで戦うどころか、自分の身すら守れませんでした。そんな自分が情けなく思えてきてしまって」
室町さんは悔しそうに目線を絨毯へ落とす。
あの時と同じだと思った。
室町さんに連れられて、雑居房で囚人たちに揶揄われて妖術を使ってしまった彼女を見た時と同じ。
今目の前にいるのは、まだ未熟な年相応の少女だ。
「室町さんを初めて見た時、凄い大人びた子だって思った。同い年なのに、俺よりも何倍もしっかりしててるし、おまけに妖術だって使えるだろ?」
バケモノだらけのディオスガルグで人間が普通に働くだけでも大変なのに、室町さんは司令部で長官補佐として、俺のサポートまでしてくれた。
それがどれだけ凄いことか。
真似をしようとしても、簡単にできることじゃない。
室町さんは立派に職員をやっていると思う。
まあ、俺が言ったら何様だって感じかもしれなけどな。
それでも、俺は日頃の感謝を込めて、室町さんに伝えた。
「室町さんがいなかったら、俺は今ここにはいなかった。だから、感謝をしたいのは俺の方だ」
三階層に慣れてようやくまともに仕事ができるようになったのも、こうして今一階層で生きていられるのも全部、室町さんを始め、橋雪さんやキッド、グスタフさんに捜査班の皆、多くの職員たちのおかげだ。
室町さんは面食らったような顔をした後、笑った。
慣れない感謝の言葉に少し戸惑う様に、でも年相応の女の子のように嬉しそうに。




