53 マキノ・ユービス
「よう来てくれはりました。橋雪くん、それに西条くんも」
まさか俺の名前まで覚えてくれていたとは思わなかったので驚く。
「会議以来やねぇ、急に呼び出してしもうて堪忍。お詫びといったら何やけど、飴ちゃんあげるわぁ。魔界の飴細工屋の飴ちゃんなんやけど、上品で素朴なお味がよろしゅうてなぁ」
と、何故か飴玉を渡される。
こ、これが大阪のおばちゃんなのか⋯⋯!? 多分この人男だけど⋯⋯。
「あ、ありがとうございます?」
困惑しながらも、飴玉を口の中に放り込み、舌で転がす。
確かに素朴な味で美味しい。
甘さが脳に沁みる⋯⋯。
⋯⋯と、すっかりマキノさんのペースに乗せられていた俺は、橋雪さんと室町さんからの冷ややかな視線を感じハッと我に返る。
「マキノさん、ゴブリンの不審死の件についてですが⋯⋯」
和やかムードをさっきまでのシリアスムードに変えるべく、橋雪さんは咳払いし切り出す。
「そうやったねぇ、これまた失礼しました。嬉しい事があると、ついつい余計な事言うてまう癖があって、ホント、良くありまへんなぁ」
口元に手を当てにこやかに言う職員。
この職員ヤバすぎる⋯⋯。
正直今まで会った中で断トツかもしれない。
この人に比べれば、おしゃべり吸血鬼のフィンセントさんや寮内にケルベロスを持ち込むキッドなんて可愛いものだ。
「な、なぁ⋯⋯室町さん。この人、いつもこんな感じなのか? っていうか、お偉いさんなんだろうけど、一体何者なんだよ」
テラが連れてきて一階層の職員や橋雪さんらが敬う相手⋯⋯となるとやはり長官クラスか。
「ご存じなかったのですか? 彼はマキノ・ユービス長官。一階層階層長と人事部部長を兼任している方ですよ」
室町さんは俺がこのマキノさんの名を知らなかった事が信じられないという風に驚いていた。
え、そんなに常識レベルのことなのか?
「人事部部長は新人職員が配属する部署や階層を決める決定権や、各所異動、そして辞任の際に承認をする責任者です。新たに雇用される職員はまず人事部で担当部署を告知されるはずなのですが、まさか行っていないのですか?」
新人職員は各世界から天界に来て、あの大きな橋を渡りディオスガルグ監獄へ入る。
そして本来はすぐに人事部に案内されるようだ。
そこで配属先と規則など契約面について新たに説明され、指導係や案内部職員の案内で担当階層へと案内される。
そしてその際、必ずマキノさんに会うはずなのだと室町さんは言った。
これが採用試験や職員推薦からの採用者ならば、別の人事部職員が担当することもあるようだが、殊世界推薦と神界推薦に至っては異なる。
初めて聞いた情報だ。
俺はここに来てから一度も人事部なんて行ったことはないし、案内だって橋雪さん自ら地上一階層に⋯⋯あれ?
そこまで考えてようやく何かがおかしい事に気づく。
よく考えれば上司がわざわざ新人の部下を迎えに来るってのも変な話だよな。
いや、これも神界推薦なら有り得るのか⋯⋯?
でもそれなら室町さんの言う通り、人事部に案内されてからがセオリーなんじゃないか?
俺は自分がここに来た時の事を思い出す。
あの光のエレベーターに乗って天界へやってきて、監獄内に入ってすぐあの双子に出会った。
それから橋雪さんが来て、昇降機で三階層に来たんだ。
他のことが、目に映る物、状況が全ておかしいことばかりで何も考えてなかったけど、言われてみれば確かに⋯⋯。
だが採用システムについて基本中の基本的な事しか知らない俺が考えたところで答えが出るわけがない。
なのでひとまず深くは考えない事にする。
ただでさえ謎だらけの場所でまた訳の分からない事が起きているのだ。謎が深まるような事にこれ以上首を突っ込むのは脳の負荷的に良くない。
今は目の前の事に集中しよう。
検死を終えたゴブリンたちに次々とシートが被せられる。
これからさらに詳しく解剖などを行うのだろう。
運ばれていく担架から目を離し、俺は改めて現在一階層で起きている現象について説明を受けた。
そこで、俺は肝心な事について説明されていない事に気づく。
話が途切れたタイミングを見計らい、俺は恐る恐る手をあげる。
「あの、体調不良やゴブリンの件は分かったんですけど、イマイチ俺たちが呼ばれた理由に繋がらないというか⋯⋯」
実際現場も目にしたが、今回の件はフィリエスさんの件とは似ても似つかない。
李岳さんやテラは参考になるかもしれないと言っていたが、何がどう参考になるのかちっとも分からない。
単に俺が気づいていないだけ、というだけなのかもしれないが頼りにされている側なのだ。
ここはハッキリしておきたいと思った。
すると、橋雪さんや李岳さんは揃って苦い表情を浮かべる。
まるで言い辛い事でもあるかのように。
「西条くんの言いはる通りやねぇ。わけも分からんうちに協力しろ言われても困惑するのは当然やわぁ」
「マキノさん、分かっているはずですが、守秘義務です」
すかさず橋雪さんが言う。
守秘義務⋯⋯?
「どういうことですか?」
「言葉の通りだ。この件について情報を流す事は禁止されている。マキノさん、あなたも例外ではないはずです」
マキノさんと李岳さんを交互に見つめて苦言を呈する。
対して二人は言い返す言葉も見つからないのか、罰が悪そうに口を閉ざしている。
一足触発状態にマキノさんの後ろに控えていたテラまでもアワアワとし始める。
「そう言われると頭が痛うなるけども、うちは必要やと思うんよ。今更隠そうゆうても、いずれはこの件も知れ渡る事になるんやし、遅かれ早かれの問題やわ」
「だからといって⋯⋯」
マキノさんの言葉に納得しかねるという風に橋雪さんが反論しようとした時、マキノさんがスッと近づき、橋雪さんの耳元で何かを伝えた。
「⋯⋯!? 聞いていませんが」
一体何を言われたのか、内容は全く聞き取れなかったが、マキノさんの一言で橋雪さんが困惑し、同時に怒りを露わにしたのが分かった。
表情の起伏の乏しい橋雪さんがここまで驚いているのは初めて見た。
「そういうわけで、それに西条くんには知る権利もあるゆう事で、一つお頼み申します」
はんなりと笑みを浮かべると、マキノさんは俺の方へ向き直る。
「何やよう分からんのに蚊帳の外にしてもうて堪忍ね。西条くんたちに見て欲しいもんがあるんよ」
マキノさんは先ほどまでゴブリンたちの死体があった場所の先へ進んでいく。
橋雪さんはいまだ納得しかねると言った様子だったが、これ以上何かを言うつもりはないようだ。
眉をしかめながらもマキノさんの後に続いていく。
「私たちも行きましょう」
蚊帳の外は俺だけではない。室町さんもまた状況を理解できていない一人だった。
ただ、俺と、きっと室町さんも、またこの監獄で何か良からぬ事が起きているのだという事は理解できた。