調伏
扇から溢れた光は、銀狐の中へと流れ込んでゆく。
うわぁっ!
なにこれっ?!
いいの?これ、大丈夫なの?
私は内心慌てまくり、助けを求めてユキちゃんの方を見るも、腕組みしたままの彼は、涼し気な顔でこちらを傍観している。
やたらと落ち着いている。それなら大丈夫なはず···なんだよね。
私は冷や汗をたらりと流し、手元の扇を見る。
扇から銀狐の眉間へと流れ込む光は、やがて彼の全身を包み込み、キラキラと輝き出した。
扇から出る光がすべて銀狐に注ぎ込まれると、銀狐の輝きは増してその姿は掻き消えた。
というか、扇に吸い込まれたように見えたんだけど、気のせいじゃないよね!
一体、どうなっちゃってるの?
「深月、見事だ」
爽やかな笑顔で囁くユキちゃんは、私の隣にやってくると頭をわしゃわしゃと撫でた。
「ユキちゃん!これ、どういうこと?なんで銀狐は消えちゃったの?」
私は扇をユキちゃんに差し出すと、彼は頷いて話し始めた。
「狐はお前の式神になった」
「ええっ?!」
まさかとは思ったけど、銀狐が私の式神?
それじゃあ、これからはユキちゃんみたいに私と一緒に戦ってくれるということなの?
うわあ!なんだか凄いことになってきた。
「深月は今、調伏しただろう。その際に真名を言い、お前に縛り付けたんだ。狐はこれからお前に絶対服従だ」
ひぇぇ、絶対服従?!
何それ怖いんだけど。
「調伏や真名ってなんなの?私はただ頭に響いた言葉通りに言っただけなんだけど」
ニヤリと笑ってユキちゃんは続ける。
「調伏とは、害や災いをもたらす化け物を祈りによって降伏させることを言う。真名とは、その者の真実の名。巧妙に隠されており、本来は真名を言い当てることは不可能に近いのだが···。その真名をお前は握った。その者の命を握ったのと同じ事になる。だから、狐は絶対服従なんだよ。不確かなことを言うと、深月は真名の上書きをする能力が有るのかもしれないな」
あわわわ、焦るよ。
真名の上書き?
いや、そんな能力無くていいから。
知らないうちに銀狐の命を私が握っているとか···なんだか恐ろしい。
「それで、夜都というのが真名なの?」
「そうだ」
「ねぇユキちゃん。銀狐、いえ、夜都を呼び出すことってできるの?」
ユキちゃんは嫌そうな顔をしてため息を吐いた。
「もちろんできる。扇のこの部分、石がはめ込まれているだろう?これは宝玉という。あの狐は今ここにいる。扇を持ち、奴の名前を呼んでやれ」
私は頷いて扇を握り、すうっと大きく息を吸い込んで叫んだ。
「夜都!」
一瞬扇が強く光り、私の目の前に夜都が現れた。
先程とは雰囲気がまるで違っていることに、私はとても驚いた。
夜都は邪悪さがすっかり抜け落ち、その瞳は優しさを帯びている。
私の式神になったことで、変化がもたらされたのだろう。
私との戦闘でできた傷は既にどこにも無い。全てがきれいに回復している。
夜都は私の傍まで歩み寄り、微笑みながら囁いた。
「祭雅よ、私は銀狐として長き時を生きた。そして今、ついに長年の夢が叶う時が来た!さあ、お前を喰らい格を上げよう」
「はあ?」
ちょっと!?
私に絶対服従じゃなかったの?
そう聞いていたから、全くの無防備で油断していた!
呆気にとられた私は、ただただ彼の動向を見守るより他なくて。
夜都は私の手を取り大きく口を開き、首筋に噛み付いた!
ひぃぃぃ···
く、喰われる!
ん?
あれ?
夜都は確かに私の首筋に噛みつこうとした。
しかし、どうしたことか、牙をたてることができず、首筋に落ちたのはチュッと音を立てたキスだった。
「···どういうことだ??」
首を傾げながらそう呟き、再び大きく口を開くと、またしてもキスを落とす。
「何故だ!祭雅が喰えん」
そう言って、その行為を何度も繰り返す。
夜都本人は、私を食べることが目的で、キスをするつもりなんかまるでないからたちが悪い。
私は恥ずかしくて、頬を真っ赤に染めた。
もういや、ホント勘弁してよ。
「?????」
「馬鹿か、お前は!」
頭に?を浮かべる夜都に、ゴンと鉄拳を食らわせたユキちゃんは、夜都の首根っこを掴んで私から引き離した。
「おい、狐」
「なんだネコ」
鉄拳を食らった頭を擦りながら、夜都はユキちゃんの手を振り払う。
ユキちゃんはため息混じりに話し始めた。
「お前は調伏されたんだ。主である深月を喰うなんて、できる訳がないだろう」
「調伏···?」
夜都はまた、首を傾げて自分の手を見つめる。自分が調伏され、式神になったことに気づいていないようだ。
「そうだ。深月の式神になったからには、主の不利になることは絶対に出来ないはずだ」
大きく目を見開いた夜都は、その瞳に悲しみの色を浮かべて肩を落とした。
「それでは、私は祭雅を喰らうことは二度と出来ないと?格を上げようと長い年月を生きてきた私の夢はどうなる?」
ユキちゃんは蟀谷を押さえながら続ける。
「お前の夢のことなど私は知らん。しかし、格についてはな···。自分の姿を改めて見てみることだ」
「ん、それは一体どういう意味だ?」
そう言うと夜都は、ぽんと音を立て变化した。
その姿は小さな銀色の狐で、大変可愛らしい。ユキちゃんの猫バージョンと同じ大きさだ。
夜都は、自分の変化にようやく気づき声を上げた。
「ああ!!まさか」
おもむろに尻尾の数を数え出した夜都は、つぶらな瞳に涙を浮かべた。
「尻尾の数が九···これは妖狐族の最高峰、天狐!私は祭雅の式神になることで格が上がったというのか?!」
ユキちゃんは頷いて言った。
「そういうことだ。深月に感謝するんだな」
夜都はふるふると震え、感極まって私に抱きついてきた。
はうう、可愛い。
可愛すぎる。
もふもふのちびギツネに完全にやられてしまった。
私はちびギツネの中身が夜都なのだと思いつつも、あまりの可愛らしさに、ギュッと抱きしめた。