坂道
タイトル
「白い紫陽花の花言葉」
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第一話
あの日、傘をくれた人
六月。
梅雨入りしたばかりの放課後だった。
学校の裏には、紫陽花が咲く長い坂道がある。
私はその坂を歩くのが好きだった。
特に雨の日は。
雨粒をまとった花が、少しだけ特別に見えるから。
そしてもう一つ。
その坂道の先にいるかもしれない人を、密かに探していたから。
蒼汰。
同じ学年の男の子。
バスケ部の中心で、いつも友達に囲まれている人気者。
話したことはない。
でも気づけば目で追っていた。
廊下ですれ違うたびに。
体育館で見かけるたびに。
ただ、それだけだった。
きっと私のことなんて知らない。
そんな距離の人だった。
その日も、いつものように坂道を下り始めた時だった。
ぽつり。
頬に冷たい雨粒が落ちる。
見上げると空は灰色に染まっていた。
「うそ……」
朝は晴れていた。
傘なんて持っていない。
そして数秒後には土砂降りになった。
私は立ち止まる。
制服の肩が少しずつ濡れていく。
どうしよう。
そう思った時だった。
「あの」
聞き慣れた声がした。
振り返る。
そこにいたのは蒼汰だった。
一瞬、心臓が止まりそうになる。
「傘、ない?」
私は小さく頷いた。
すると蒼汰は、自分の傘を差し出した。
「使って」
「え?」
「俺、駅まで近いから」
「でも……」
「風邪ひく方が困るでしょ」
そう言って笑った。
ずっと遠くから見ていた笑顔だった。
でもこんなに近くで見たのは初めてだった。
私は震える声で言う。
「ありがとう」
「どういたしまして」
蒼汰はそう言うと雨の中へ走り出した。
私はその背中を見つめていた。
紫陽花の咲く坂道。
雨に滲む制服。
そして、ずっと遠くから見ていた蒼汰。
私とは住む世界が違うと思っていた人。
きっとこれからも話すことなんてないと思っていた人。
なのに。
あの日、初めて交わした言葉は、
「風邪ひく方が困るでしょ」
だった。
たったそれだけ。
たったそれだけなのに。
家に帰っても。
夜になっても。
蒼汰の笑顔が頭から離れなかった。
そしてその日から。
ひっそり胸の奥にしまっていた恋は、
雨に濡れた紫陽花みたいに、少しずつ色を濃くしていった。




