私は魔王に婚約を持ちかけます
「姫を愛することは、決してない!」
王子からの憎しみのこもった声と眼差しに、私は目を伏せる。これが私の抱いた恋心の結果なのだろうかと。
帝国には姫が三十人いる。そして姫が三十人もいたら、特別に秀でたものがなければ、さして価値はなくなる。
帝国での姫の価値といえば唯一つ、美しさより、マナーや教養より、魔力量、そして魔法属性の多さ。いいえ、帝国の姫である以上、魔力量が多いのは当然。その上で属性をどれくらい持っているか、それが姫の価値。
基本属性と準基本属性を合わせて五、六個、加えて特殊属性を一、二個。それでようやく、価値があると見なされる。
私の属性は、聖属性のみ。特殊属性ではあるけれど、一つしかない。魔力は多くても、私には価値がない。
多少マナーや教養を磨いても、誰にも望まれない。むろん求婚など、されはしない。瘴気の害の少ない帝国で聖属性を使えるようになっても、意味がない。
けれど帝国では意味がなくとも、周辺の王国には瘴気の害が発生するところが少なくない。そこなら私の価値を認めてもらえるのではないかと、帝国の舞踏会で何度か話しかけてみたこともある。
けれど、そんな国にはすでに聖女がいる。帝国に入り込まれるのは面倒だと、そんな目つきで見返される。
けれど一人だけ、ただ一人だけ、私にこう言ってくれた。
「聖属性をお持ちなのですか。それは素晴らしいです。」
パストゥール王国の王子は、称賛の眼差しと共にそう言ってくれた。
その眼差しだけで、忘れられない人になった。その言葉だけで、私は恋をした。
王子には婚約間近な聖女がいることを後で知った。それでも、恋しいと思った気持ちは消えなかった。
それを父である皇帝陛下に気づかれた。そして利用された。王国が産出する希少魔石が欲しいから、お前が王妃になれ。そして帝国に便宜を図れと。
決して私が望んだわけではない。一言もそんなことは願わなかった。
けれど、けれど。
あの王子が私を見てくれるのではないかと、一瞬、そんな期待をしてしまった。それは確かだった。
その結果が、これだ。
“姫を愛することは、決してない!”
抱いた恋心の代償に支払わねばならないのは、愛する人からの憎しみを受けること。
私はそんなに、愚かなことをしただろうか。
私の恋はそんなにも、してはならないことだっただろうか。
私の恋心は、罰を受けねばならないほどのものだっただろうか。
私は間違ってない。そう言いたくてたまらない。同時に、私が愚かだということも分かってしまった。
どれほど価値がなくても、私が帝国の姫である以上、その影響力は考慮しなくてはならなかった。
恋しいと思っても、隠さねばならなかった。相手のことを思うなら。相手のことを考えるなら。
相手の幸せを願うなら。
「姫殿下。」
後ろに立っていた文官から声をかけられた。
振り向けば、婚約を取りまとめるため同行していた老齢の文官に一瞬、気の毒そうな表情が浮かんだ。
少し驚いた。愚かな姫と嗤われる、そうとしか考えられなかったから。
そこで気づいた。
そうだ。この方法があった。この方法ならできる。私に使える唯一つの方法。
それが、あった。それを、使えばいい。王子がそれで、幸せになってくれるなら。
私が使える唯一の手。この文官が多少私の味方になってくれて、帝国の利益を主張すれば、思いついた方法が使える。
あとは、私が覚悟を決めるだけ。
“姫を愛することは、決してない!”
私は王子には愛されない。愛されないどころか結局、王子の幸せを壊した女でしかなかった。
王子の話によれば、私との婚約が決まったせいで、愛する聖女と王子の婚約は破棄され、しかも聖女は生死不明の行方知れずになったと。
私を見てもらえるかもしれないという愚かな期待は、粉々に砕け散った。
私には価値がなく、私の恋心にもまた価値はなく。残ったのは、愛する人からの憎悪のみ。
これは愚かな私の失態。ならば帝国の姫として、その失態を挽回せねばならない。
いいえ、元には戻らない。元に戻すことができるなら、どれほど良かったか。けれど、それほどの力は私にはない。
私にできることは、せめて王子に一度チャンスをあげるだけ。
私は文官に向き直る。
「レスターク、確か一つだけ、私に求婚があったと聞いているわ。
王国との婚約が内々に決まった直後だったから、さすがに断るしかなかったと。王国よりも帝国に利益をもたらす相手だったから、求婚が今少し早ければと皇帝陛下が悔しがり、あの無能な姫が欲しいなら喜んでくれてやったのにと言ったとか。
しかしさすがに相手が相手なので側近達に諫められ、しぶしぶ諦めたという。」
文官がうなずく。
「その通りでございます。」
「舞踏会にも、参加される予定よね?」
文官が探るように私を見る。
「その通りでございますが。はて、姫君はいったい何をお望みでございましょうや?」
「その相手との婚姻。」
文官が再び探るように私を見る。
「姫は、そのお相手が誰かご存知でいらっしゃいますか?」
「知っているわ。他種族のうち、魔族。」
文官が眉をひそめる。
「姫、分かっておいでですか?」
「帝国では悪魔に似ていると忌み嫌われている、魔族だわ。
しかも魔族との婚姻は“生贄”と呼ばれていると、知っていてよ。」
文官が再度たずねた。
「姫、わかっておいでですか?」
「ええ、構わないわ。帝国の利益、それが最も重要ではなくて?」
文官が納得したのがわかった。
「かしこまりました。」
と頭を下げ、文官が部屋を出ていく。
私はひとり、部屋に立ち尽くす。
「なんて、愚かな。」
恋心の残骸を抱え、それでもなお。姫を愛することは決してないと、言われてなお。王子のことが好きな気持ちは残った。
恋した人には愛されず、私は魔王の生贄となる。
けれど、私にはこれしか方法がない。価値のない姫と見なされている私には、使える手段がこれしかない。
私が王子との婚約を拒んだとて、そんなものは聞き入れられない。周りが無理矢理婚約させる。
私はもうパストゥール王国に来てしまった。三日後には舞踏会。そこで婚約が発表されれば、さすがに覆らない。
だから王子との婚約を回避するには、私が王国より良い条件でかつ、帝国に対抗できる力を持つ誰かと、先に婚約してしまうこと。
私に使える方法がそれしかない。政略結婚だろうが、生贄だろうが、それしか思いつかない。
どれだけ代償を支払えば、私は許されるのだろう……。
「愚かな。
私は許されない。許されるはずもない。あの人に許されることは、ないわ。」
涙がこぼれた。
止めようとするほど、後から後からこぼれた。泣いたところで愚かさは消せはしないのに。
後悔と、それでも恋しい気持ちと。それでも、どれほど悔いても恋心はなくならならず、苦い恋心の残骸だけが残った。
泣いた跡を化粧で慎重に隠す。そうしているうちに、文官が戻ってきた。秘かに魔族の王と会えるよう、手筈を整えたとのことだった。しかも、今すぐ。
……今すぐ?もう夜なのに?
不審に感じた。しかし向こうの思惑が何であれ、私の罪を贖えるならそれでいい。
私は、覚悟を決めたのだから。
文官に案内され、ひっそりと夜のパストゥール城の回廊をめぐる。真っ暗な闇に、ほのかに灯る城の明かりが現れては消えてゆく。そのなかをどれほど歩いたか。
侍女にも警備の兵にも出くわすことなく、その部屋にたどり着いた。文官が扉を開ける。中へ一歩入る。
一瞬、風が吹き荒れたのかと思った。
それほどの、桁違いの魔力量だった、それが荒ぶる風として感じられるほどの。
その風が、だんだんとおさまった。ゆるやかになった。穏やかに凪いだ。
そして、春のそよ風のような魔力が私を取り巻いた。
「姫。」
と、それが声を発した。
背には漆黒の翼、頭には角を持つ異形の姿。冷たく見えるほど整った美貌に、漆黒の髪がさらりとかかる。
魔族の王は、代替わりしたばかりの若き王。そんなことを思い出す。
見上げるようにその姿を凝視してしまえば、王の眼差しがすっと私をとらえる。それは深紅の瞳。
なぜか、どきっとした。
「俺が魔族の王だ、メリッサ姫。」
魔王がすっと私の手をとり、淑女にするように口づけた。




