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超常のプラスミド  作者: 釣鐘銅鑼
災禍の坩堝編

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Episode48:日常の輪郭

第七分室の朝は、いつも通りに始まる。


はずだった。


コーヒーメーカーの音。

紙をめくる音。

キーボードを叩く規則的なリズム。


すべて、いつも通り。


だが――


どこか、ずれている。


ロックは、窓際に立っていた。


カップを手に持ったまま。


中身は、もう冷めている。


飲んだ記憶がない。


いつ淹れたのかも、曖昧だ。


(……薄いな)


味の話じゃない。


現実の輪郭が、ぼやけているような感覚。


触れているはずのものに、手応えがない。


自分だけが、わずかに“外側”にいるみたいだった。


視界は正常。

音も聞こえている。


それでも。


どこか一枚、隔てられている。


「ロックさん」


背後から声。


リリス。


振り返る。


「……どうした」


「どうした、じゃないですよ」


呆れた顔。


手にはタブレット。


「これ、見てください」


差し出される。


ロックは受け取る。


画面に表示されているのは――


黒霧街の、監視ログ。


昨夜の戦闘区域。


時系列で並べられた、複数の観測データ。


「……何だこれ」


眉をひそめる。


「“抜けてる”んです」


リリスが言う。


「一部の記録が、丸ごと」


ロックの指が止まる。


該当箇所を拡大する。


確かに。


数秒。


ほんの数秒だけ。


綺麗に、消えている。


「……故障か?」


「違います」


即答。


「他のセンサーも、全部同じタイミングで飛んでるんです」


リリスの声が、少しだけ低くなる。


「外から切られた、って感じです」


ロックの脳裏に、あの瞬間が蘇る。


(……あそこか)


勝ちを掴みかけた、あの一瞬。


“横から持っていかれた”タイミング。


「……意図的だな」


「ですよね」


リリスが肩をすくめる。


「しかも、かなり精度が高いです」


モルトが、会話に入る。


いつの間にか近くに立っていた。


「複数系統の観測を同時に遮断」


淡々と分析する。


「通常の妨害では不可能です」


「じゃあ、何だよ」


ロックが問う。


モルトは一瞬だけ考える。


「“観測されないようにする能力”」


簡潔に答える。


「もしくは――」


わずかに間を置く。


「観測そのものを“無かったことにする”干渉」


リリスが顔をしかめる。


「それ、ほぼ反則じゃないですか」


「ええ」


モルトは頷く。


「だからこそ、“七罪級”かと」


空気が、わずかに重くなる。


ロックはタブレットを見下ろす。


消えた数秒。


何も映っていないはずなのに。


そこに、“何かがあった”確信だけが残っている。


その確信だけが、妙に生々しい。


(……見えてなかっただけか)


拳を、わずかに握る。


そのとき。


カップの縁から、雫が一滴落ちた。


机に当たる。


小さな音。


ロックは、ほんの一瞬だけ目をやる。


――遅れて、音が聞こえた。


わずかなズレ。


気のせいと言えば、それまでの。


だが。


ロックの指先が、止まる。


(……今の)


言葉にはしない。


できない。


だが確実に、“何か”がズレている。


リリスが小さく息を吐く。


「……やだな、それ」


本音。


「増えてません?」


「可能性としては」


モルトが淡々と返す。


「否定できません」


沈黙。


ロックが、タブレットを机に置く。


音が、小さく響く。


「……面倒だな」


ぽつりと。


リリスが苦笑する。


「それで済ませます?」


「済ませるしかねぇだろ」


ロックは窓の外を見る。


いつも通りの街。


何も知らない顔で、動いている。


「来るなら、叩く」


短く。


それだけ。


だが――


以前とは、少し違う。


“見えている敵”じゃない。


“見えない何か”に対しての言葉。


リリスが、小さく笑う。


「雑ですねぇ」


「シンプルだろ」


「まあ、ロックさんらしいですけど」


空気が、ほんの少しだけ軽くなる。


モルトが、資料を閉じる。


「いずれにせよ」


静かに言う。


「我々は“観測されている側”にいる可能性が高い」


その言葉が、静かに沈む。


ロックは、何も言わない。


ただ。


窓の外を見続ける。


どこかで。


見られている。


そんな感覚が、消えない。


第七分室は、いつも通り動いている。


だが――


確実に、何かが入り込んでいる。


目に見えないまま。


音もなく。


気づいた時には、もう遅い。


そんな類の“何か”が。


ロックは、ゆっくりと息を吐く。


冷めたコーヒーを、一口だけ飲む。


苦い。


その味は、はっきりしている。


なのに――


飲み込んだはずの感覚が、どこか曖昧に溶けていく。


(……残らねぇな)


小さく、思う。


何が消えているのか。


まだ、わからない。


だが。


確実に、“何か”が削られている。


気づかないまま。


少しずつ。


確実に。

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