Episode46:残された代償
黒霧街の外れ。
戦の芯から、わずかに外れた場所。
半壊した建物の影に――
二つの影が落ちていた。
ジャック=ライナー。
そして、マダム・クラリス。
地面には、黒く焼け焦げた痕。
肉も、骨も、形を失い。
ただ“何かだったもの”の名残だけが、残っている。
ガット=トラクトが――
そこに“いた”証。
そして、“消えた”証。
ジャックは、崩れた壁にもたれ、座り込んでいた。
呼吸は浅く、荒い。
顔色は土気色に近い。
そして。
右腕が、ない。
肩口から先が、綺麗に消えている。
血は流れていない。
否――
流れる前に、止めている。
焼いて、塞いだ。
無理やり。
生き延びるためだけの、雑な処理。
「……相変わらず、えげつねぇな」
低く、吐き捨てる。
視線は前。
クラリスへ。
クラリスは、刀を拭っていた。
紅椿。
淡く紅を宿した刃は、すでに穢れを残していない。
もう“終わったもの”として扱われている。
「よく言われるよ。いい趣味だってね」
軽く返す。
何もなかったかのような声音。
ジャックが、乾いた笑いを漏らす。
「褒めてねぇよ」
視線を落とす。
黒い残滓。
ガットの成れの果て。
「……あれは何だ」
ぽつりと。
「怪物で片付けていい代物じゃねぇ」
クラリスの手が一瞬止まり――また動く。
「七罪《暴食》――ガット=トラクト」
静かに言う。
「“腹が減る”って現象が、そのまま形になったようなもんさね」
「説明になってねぇな」
「生き物じゃない」
刀を鞘に収める。
小さく、澄んだ音。
「終わりのない“状態”さ」
わずかに目を細める。
「だから――終わらせるしかない」
ジャックが見る。
「……お前のそれで、か」
「えぇ」
間を置かずに。
「撫命」
淡々と。
「命を足して、壊す」
ジャックの眉が歪む。
「治して殺す……か」
「壊れるまで付き合わせるだけさ」
軽い。
あまりにも軽い。
ジャックが息を吐く。
「……胸糞悪ぃ」
「効き目はあったろ」
「……ああ」
左手を見る。
壊れた銃。
「核は出た」
短く。
「その代わり、腕が持ってかれた」
肩をわずかに揺らす。
右は、もう応えない。
「割に合わねぇな」
「命が残ってりゃ上等さね」
即答。
「そういう問題かよ」
苦笑。
風が吹く。
焼けた匂いが遅れてくる。
沈黙。
「……あの中から出てきた“本体”」
ジャックが口を開く。
「アレも七罪か?」
クラリスは、煙の向こうを見る。
「いや」
短く。
「あれは“器”だ」
「器?」
「ガットって概念が、無理やり形を持った殻さ」
ゆっくり。
「本体に、かなり近い」
ジャックが舌打ちする。
「……めんどくせぇ」
「そういうのが一番厄介だ」
肩をすくめる。
そして――
目が、わずかに鋭くなる。
「けどな」
空気が締まる。
「本当に面倒なのは、そこじゃない」
ジャックが顔を上げる。
「……何だ」
クラリスは、黒霧街の中心を見る。
煙は、まだ消えない。
「あの夜――“二体同時”」
静かに。
「しかも別口の七罪が、同じ場に来てる」
ジャックも理解する。
「……仕込みか」
「偶然じゃない」
即答。
「誰かが並べてる」
「試してるのか」
声が低くなる。
「俺たちを?」
「あるいは――」
わずかに間。
「あの子たち、をね」
ロックたちの方へ。
ジャックが、小さく笑う。
「……気に入ったか」
「えぇ」
即答。
軽く。
だが、底は深い。
「だからこそ」
一拍。
「目をつけられた」
ジャックが息を吐く。
「……最悪だ」
「違いないね」
沈黙。
風だけが通る。
遠くで瓦礫が崩れる音。
ジャックが立ち上がる。
足元が揺れる。
それでも、立つ。
「……帰るか、このままじゃ死ぬ」
「医者ならここにいるけど?」
さらりと。
「冗談きついな」
ジャックが鼻で笑う。
「お前に診せるくらいなら、このままの方がマシだ」
「そりゃ残念」
肩をすくめる。
二人は歩き出す。
朝の光が、背を照らす。
だがそれは――
温もりを持たない。
ただ、焼け跡を白く浮かび上がらせるだけの光。
終わったはずの夜は。
まだ、どこかで続いている。
その気配だけが、
静かに残っていた。




