Episode 20:牙を研ぐ刻
鈍色の天井灯が、無機質な会議室を淡く照らしていた。
鋼鉄とガラスに囲われたその空間は、感情という概念そのものを拒絶しているかのように、冷え切っている。
窓の向こうに広がるネオ=アクアリウム。
水槽の底に沈む幻影の都市が、無言のままこちらを見返していた。
「──ようやく揃ったか。第七分室の諸君」
中央に立つ男が、感情の温度を感じさせない視線を投げる。
情報管理局局長にして、PCPD上級特任補佐官──
イージス=マクダネル。
その背後には、十数名の上層幹部。
並ぶ顔には一様に、“正義”の仮面を被った冷酷な計算が貼り付いていた。
「では説明してもらおう。
君たちの独断専行によって生じた損失と──それに伴う政治的余波について」
一歩前に出たのは、リリスだった。
差し出された報告書。その手は微塵も揺れていない。
「アルコーンの地下聖堂には、明確に非合法な生体改造の痕跡がありました。
廃人と化した子どもたちは、その何よりの証拠です」
「──状況証拠としては、弱いな」
イージスの声は平坦だった。
人の命ではなく、書類を評価するような響き。
「むしろ“神聖施設”を無断で侵犯した事実の方が問題だ。
外交的観点から見ても、極めて不利だと判断している」
「だからって……!」
ロックが席を蹴って立ち上がる。
胸の奥で燻っていた怒りが、堰を切ったように噴き出した。
「あんな……クソみてぇな“実験場”を見せられて、
黙って引き下がれってのかよ!」
「──これは命令だ」
イージスの瞳が、眼鏡の奥で冷たく光る。
「第七分室には、今後一切の関与を禁ずる。
それが我々の──総意だ」
重たい沈黙が落ちた。
言葉よりも重い“圧”が、会議室を満たしていく。
⸻
「……それが“全員の”意見とは限らんがな」
低く、しかし確かに空気を震わせる声。
扉の前に立っていたのは、一人の男。
重力そのものを纏うかのような威容──
第七分室室長、カルマ=ジン。
その姿に、イージスの眉がわずかに動く。
「……カルマ室長。これは内部調査の会議です。
あなたの出席は──」
「だからこそ、来た」
カルマは遮るように言い、ゆっくりと歩み出る。
その足取りに合わせ、床が軋んだ──錯覚ではない、圧力だった。
「第七分室は、私の直轄部隊だ。
都合の良い“政治”で、部下を切り捨てさせるつもりはない」
その一言で、空気が変わった。
ロックの握り締めていた拳が、わずかに緩む。
モルトは小さく頷き、リリスの瞳には確かな光が戻っていた。
⸻
会議の後。
一行はカルマの室長室へと移動していた。
重厚な扉が閉まった瞬間、ロックが感情を抑えきれずに吐き出す。
「……なんで止めたんですか、室長!
あんな連中、黙らせることだって──!」
「──だから火種になると言っている」
カルマの声は静かだった。
だが、その静けさは冷たい鋼のように揺るがない。
「今はまだ早い。
正面からアルコーンとぶつかれば、先に潰されるのはこっちだ」
壁に掛けられた都市下層マップへ、指が伸びる。
赤く示された一帯──《黒霧街》。
「裏社会の情報網を牛耳る女がいる。
マダム・クラリス──
この街で、彼女の網にかからない情報は存在しない」
その名に、モルトの表情がわずかに曇る。
「……情報の精度は保証できます。
ですが……我々PCPDが接触するには、あまりにもリスクが……」
「清濁併せ呑めぬ者に、真実など掴めん」
カルマは即答した。
「クラリスは知っている。
この街で起きている“異常”のすべてを──」
そして、ロックを真っ直ぐに見据える。
「……お前の怒りは、間違っていない。
だが、“燃やす”のは今じゃない」
一拍置いて、言葉を叩きつける。
「牙を研げ、ロック。
その牙が、確実に喉笛へ届く瞬間まで──待て」
⸻
署を出た後。
第七分室の面々は、ネオンに濡れた夜の街を歩いていた。
都市の喧騒が遠のく中、ロックの呟きが静かに落ちる。
「……待て、か。
だったら──折れねぇように、もっと鋭く研がねぇとな」
隣で、シャルトリューズが小さく頷いた。
その瞳の奥で、消えぬ《聖印》が淡く脈打つ。
それは恐怖ではない。
──覚悟の火。
「……クラリスに、会うんだな」
その名が意味するものは、
彼らの運命を──確実に、別の軌道へと引きずり込んでいく。




