Episode 19:神に選ばれし者の系譜
アッパー・リング最上層。
アストリア大聖堂。
その最奥。
《天啓の間》。
外界の音は一切届かない。
風も。
鐘の音も。
人の声すらも。
ここにはただ、蒼白い燭火だけが揺れていた。
まるで世界そのものから切り離された空間。
神を名乗る者が座すためだけに造られた部屋。
その中央。
白銀の玉座に、一人の男が腰掛けていた。
セラフィム=ヴァス。
アルコーン大司教。
神の代弁者。
選民思想の頂点。
そして――
誰よりも神を渇望した男。
「……また一つ、扉が開かれましたね」
静かな声。
その足元にはフォス=デルマールが膝をついている。
胸を貫かれた傷。
焼け焦げた法衣。
それでも男は笑っていた。
「申し訳ありません……」
「地下聖堂は失いました」
「器も大半が回収不能です」
沈黙。
だが。
セラフィムは責めない。
怒らない。
失望すらしない。
「構いません」
優しい声。
まるで慈父。
だがフォスは知っている。
この男の本質は慈悲ではない。
狂信だ。
「敗北は悪ではありません」
「神へ至る道の途中であれば」
セラフィムは微笑む。
「灰は必要です」
「火が燃えるためには」
「必ず」
「灰が必要なのです」
フォスは深く頭を垂れた。
「……やはり」
「シャルトリューズは」
「神の種子でした」
セラフィムが頷く。
「あの子は成功例です」
静かな断言。
「二十三年間」
「私が探し続けた」
「唯一の到達点」
その言葉にフォスが息を呑む。
「では……」
「はい」
セラフィムの瞳が細まる。
「まもなく覚醒します」
「聖印は完成段階へ入りました」
「洗礼の時が近い」
その瞬間。
セラフィムの背中が蠢いた。
白銀の法衣の下。
肉が波打つ。
骨格が変形する。
背中から伸びる無数の神経触手。
青白く発光する管。
脈打つ因子結晶。
もはや人ではない。
神経触手。
超常因子そのものが肉体化した異形。
セラフィムは続ける。
「私のプラスミド」
《受胎遺伝》
「それは因子を植え付ける能力ではありません」
触手が揺れる。
「人を」
「新しい生命へ作り変える能力です」
壁面のモニターに記録が映る。
被験者番号。
生存率。
適合率。
失敗率。
数字だけが並ぶ。
――適合成功率 0.2%
――精神崩壊 61%
――肉体崩壊 23%
――死亡 15.8%
絶望的な数字。
だが。
セラフィムは微笑む。
「失敗ではありません」
「成功へ至る過程です」
「人類は常にそうやって進化してきた」
狂気だった。
フォスですら背筋が冷える。
それほど純粋な狂信。
「神の子は生まれます」
「何度でも」
「何人でも」
「成功するまで」
そして。
一枚の写真を手に取る。
シャルトリューズ。
眠る少女。
笑う少女。
泣く少女。
第七分室で生き始めた少女。
「ですが」
セラフィムの声が柔らかくなる。
「この子だけは違う」
指先で頬をなぞる。
「彼女は完成品です」
「私の理想そのもの」
「神へ至る最後の器」
その視線には。
研究者の執着。
父親の愛情。
狂信者の崇拝。
その全てが混ざっていた。
――
同時刻。
アストリア大聖堂。
円卓会議室。
十二席。
アルコーン最高幹部たちが並ぶ。
「第七分室の介入が加速しています」
「聖印計画への影響は無視できません」
「早期排除を進言します」
重苦しい空気。
だが。
セラフィムは首を振った。
「不要です」
幹部たちが顔を上げる。
「彼らは必要です」
「揺らぎだからです」
沈黙。
「神は完全であってはならない」
「完成とは停滞」
「停滞とは死」
「ゆえに神は常に不完全であるべきです」
誰も反論できない。
それがセラフィムの教義だった。
そして。
その場でただ一人。
別のことを考えている女がいた。
ドミナ=ヴェルヴェット。
七罪の使徒。
《色欲》。
妖艶な唇が微かに歪む。
(神様ねぇ……)
退屈そうに頬杖をつく。
(あんたが一番神様を信じてないじゃない)
(セラフィム)
誰にも聞こえない独白。
その瞳には。
僅かな反逆の火種が宿っていた。
――
深夜。
大聖堂尖塔。
都市の全景を見下ろしながら。
セラフィムは一人立っていた。
掌には蒼白い因子結晶。
改良型ジェネシス。
最新世代。
最終段階。
「間もなく」
静かな声。
「神の子が生まれる」
都市の光が瞬く。
ネオ=アクアリウム。
罪と欲望の坩堝。
その全てを見下ろしながら。
セラフィムは微笑んだ。
「シャルトリューズ」
優しく。
慈しむように。
愛を囁くように。
その名を呼ぶ。
「お前こそが」
「私たちの悲願」
「私たちの救済」
「私たちの神」
蒼白い焔が空へ昇る。
それは祝福ではない。
祈りでもない。
世界を焼くための導火線。
黙示録の始まりを告げる狼煙だった。




