Episode 11:聖なる使徒
その日、第七分室は、いつになく静寂に包まれていた。
ヴァルカン=アッシュとの激闘を終え、シャルトリューズの無事を確認し、審問を乗り越えた彼らのもとに、ようやく一息つけるはずの時間が訪れた──はずだった。
だが。
その重苦しい空気を裂くように、控えめな音とともに扉が開いた。
「失礼します」
澄み切った声。祈りを思わせる柔らかさと、どこか機械的な冷たさを帯びた響き。
姿を現したのは、一人の女。
白を基調とした修道服のような外套。その裾には金糸で織られた紋章。
赤銅色の長髪が背に流れ、瞳は凍りついた水面のような淡い青。
現実の中に立ちながら、現実を超越したような存在感。
まるで、この世界の“外側”から来た者のようだった。
「……どちら様だ?」
ロックの声は警戒を含んでいた。
だが女は微笑すら崩さず、静かに答える。
「初めまして。イグナ=リエナスと申します。
ロウアー・リング外縁部にて、ノンタグの孤児たちを保護しております」
モルトが背後で端末を操作する。
孤児院リリーフの管理責任者として、確かに彼女の名が記されていた。
だがそれ以上に、画面の隅に記されたスポンサー名が、室内の空気を凍らせる。
《宗教法人アルコーン》
イグナは静かに、一歩前へ踏み出す。
「本日は、特別な用件で参りました。
大司教セラフィム──アルコーンの代弁者として、皆様に“伝言”をお預かりしております」
その瞬間、室内の温度が一度落ちたように感じられた。
PCPDにおいて“セラフィム”の名は、口にすることさえ躊躇われる存在。
神託者。選民の導き手。
国家と宗教の境界線を揺るがす象徴。
「……セラフィム。あのアルコーンの“神託者”が、俺たちに話があると?」
ロックの問いに、イグナは微かに頷く。
「はい。アストリア大聖堂にて、皆様をお迎えしたいと申しております。
遠からず訪れる“厄災”について──その前に、対話の機会を設けたいとのことでした」
「……断ったら?」
冷たい声。ロックの目が硬直する。
だが、イグナは目を伏せ、一息置く。
「それでも、“その時”は来ます。
だからこそ……“選ばれぬ者”たちが、備えなければならないのです。
“選ばれし者”となる、その瞬間のために──」
言葉はそこで途切れた。
深く一礼し、静かに踵を返す。
その歩みは、まるで重力を拒むかのように軽く、無垢で、しかし異様な存在感を宿す。
“使徒”の名にふさわしい、足取りだった。
扉が閉まると、沈黙が再び空間を覆った。
「アルコーンが……俺たちに接触してきた」
ロックの低い吐息。
「神の名を騙る狂信者どもが……今度は何を企んでやがる」
モルトはタブレットを見つめながら言う。
「先ほどの彼女。見た目以上に“層”がありました。
精神操作、あるいは信仰を媒介とした影響型プラスミド……否定はできません」
「で、どうするんですか? 行くんですか? あんな怪しい場所」
リリスの声には、わずかに緊張が混ざる。
沈黙が流れる。
ロックはイグナの残した言葉を反芻する──
──《選ばれぬ者たちが、選ばれるその時のために》
「……行く」
声が、静寂を切り裂く。
「話を聞くだけだ。それ以上は、俺たちで決める」
モルトとリリスが小さく頷いた。
アストリア大聖堂。
巨大宗教組織アルコーンの総本山にして、“選民”たちの聖域。
第七分室の足音が、静かに、しかし確実に動き出す。
神を信じる者が何を見て、何を望み、
何を“選ばせよう”としているのか──
その全てを暴くために。