Episode 11:神の代弁者
アッパー・リング──その最奥。
空に浮かぶかのように聳え立つ白亜の巨塔。
《アストリア大聖堂》。
幾重にも重なる尖塔は雲を突き、
黄金の装飾は聖歌の譜面のように精密で、
過剰なまでの整合美を宿している。
狂いはない。
歪みもない。
祈りの余白すら存在しない。
それはまるで──
人間が作った建造物ではなく、
神そのものが削り出した神殿のようだった。
イグナ=リエナスに導かれ、
第七分室の面々は大聖堂へ足を踏み入れる。
その瞬間。
空気が変わった。
重い。
静かだ。
だが息苦しい。
聖歌にも似た低周波。
甘く濃密な香。
揺れる無数の蝋燭。
すべてが感覚を鈍らせ、
思考を沈めていく。
「ようこそ」
柔らかな声が響いた。
「神の御許へ」
歓迎というより。
選別。
あるいは認可。
そんな響きだった。
壇上には一人の男が立っている。
銀の法衣。
長い銀髪。
琥珀色の瞳。
穏やかな微笑。
セラフィム=ヴァス。
宗教法人アルコーン大司教。
神の代弁者。
この都市で最も影響力を持つ宗教指導者。
「初めまして」
静かな声。
その言葉は耳で聞くものではなく、
直接意識へ染み込むような感覚を伴っていた。
「第七分室の皆様」
ロックは無意識に眉をひそめる。
嫌な感覚だった。
敵意ではない。
威圧でもない。
もっと別の何か。
心の内側へ入り込まれるような違和感。
「本日は、ある依頼をお持ちしました」
セラフィムが差し出した資料。
ロウアー・リング。
児童失踪事件。
被害者は二十七名。
共通点は一つ。
全員が超常因子適性保持者。
モルトが資料を読み込む。
「……プラスミド因子反応」
「はい」
セラフィムは頷く。
「我々はこれを“兆し”と呼んでいます」
静かな声。
「神意の断片」
「言葉にも形にもならない予兆です」
ロックは鼻で笑った。
「神様はガキ攫いでもするのか」
イグナの眉が僅かに動く。
だが。
セラフィムは微笑んだままだった。
「そうであれば、私はここにいません」
答えは自然だった。
だからこそ不気味だった。
「なぜ俺たちだ」
モルトが問う。
「アルコーンの組織力なら自力で調べられる」
セラフィムは少しだけ目を細めた。
「信仰は時に真実を曇らせます」
静かに言う。
「あなた方は違う」
「地に立ちながら天を見上げる者たちです」
称賛ではない。
観察者の視線だった。
ロックは資料を閉じる。
「……アルコーンの都合には興味ねぇ」
一拍。
「だがガキが消えてるなら話は別だ」
資料を抱える。
「依頼は受ける」
セラフィムは満足そうに頷いた。
「感謝します」
そして。
その視線が移る。
シャルトリューズ。
白い少女。
その瞬間だった。
セラフィムの表情が消えた。
本当に一瞬だけ。
驚愕。
歓喜。
困惑。
様々な感情が瞳の奥をよぎる。
だが。
次の瞬間には元の微笑へ戻っていた。
「……どうかしましたか」
モルトが問う。
セラフィムは静かに微笑む。
「いいえ」
しかし。
視線だけは離れない。
「少し懐かしくなっただけです」
シャルトリューズの胸が痛む。
ドクン。
心臓が跳ねた。
白い部屋。
暖かな手。
優しい声。
『大丈夫ですよ』
記憶が閃く。
しかし。
霧のように消えた。
「……っ」
少女が額を押さえる。
ロックが即座に前へ出た。
「シャル」
「だい……じょうぶ……」
本当は違う。
だがそう答えるしかなかった。
ロックはセラフィムを睨む。
大司教は微笑むだけだった。
何も言わない。
何も聞かない。
それが余計に不気味だった。
やがて謁見は終わる。
第七分室は大聖堂を後にした。
*
長い回廊。
誰も口を開かない。
だが。
その沈黙は長く続かなかった。
「ご苦労さん」
男がいた。
黒い法衣。
赤い縁取り。
軽薄そうな笑み。
だが目は笑っていない。
「……誰だ」
ロックが問う。
男は肩を竦める。
「フォス=デルマール」
軽く一礼。
「セラフィム様の影だ」
不快な視線が全員を舐める。
「名前は覚えなくていい」
笑う。
「どうせまた会う」
そして。
去り際に振り返った。
「忠告してやるよ」
その目が冷える。
「神の使いってのはな」
笑う。
「悪魔よりタチが悪い」
そう言い残し。
フォスは姿を消した。
残されたのは。
不快な余韻だけだった。
*
大聖堂最奥。
祭壇。
静寂。
フォスが跪く。
「面白い連中でしたね」
セラフィムは答えない。
ただ。
シャルトリューズがいた場所を見つめている。
「セラフィム様?」
フォスが首を傾げる。
ようやく。
大司教は口を開いた。
「神とは」
小さな声。
「時として人の形を取って現れるものです」
フォスの笑みが消える。
「……まさか」
セラフィムは微笑む。
「まだ分かりません」
祭壇を見上げる。
「ですが」
光が降り注ぐ。
銀色の法衣が輝く。
「彼女は、あまりにも美しい」
フォスは何も言えなかった。
それが信仰なのか。
狂気なのか。
判断できなかったからだ。
「観察には良い環境が整いました」
セラフィムは目を閉じる。
「覚醒の時は近い」
静寂。
大聖堂は再び沈黙へ還る。
その奥で。
誰にも聞こえない祈りだけが響いていた。




