第34話:遊戯
「あーもう疲れたー!!」
明朝、登山を開始して早々、美咲が大分と後ろの方で音を上げ始めた。当然、容易に予想できた台詞ではあったが、思ったよりもかなり早かった。
「え?! もうですか!? まだ三十分くらいしか経ってませんよ?!」
「君が速すぎんの!! もっと私のペースに合わせなさいよ!!」
そう文句を言いつつも、加減しておるとはいえ士の歩行速度に何とか付いて来られるだけでも、美咲の基礎体力の高さが窺える。
「だから無理して付いて来なくてイイですって!」
山中で声を張って応答し合う二人。傍迷惑な行為だが、周囲に人間の気配はない。問題なかろう。
「ホントにこっちで合ってるんでしょうねぇっ!?」
「だからさっきから言ってるじゃないですか! 俺が先に行って見てくるって!!」
此方へ出向く前に再三申したのだが、美咲はそれを聞いておらんかった様だ。昨晩と今朝の食事時に告げたので、酒と眠気の所為で脳が正常に働いておらんおったのかね。
「あー何か景色とかどうでも良くなってきたー」
一晩寝て頭がスッキリし、此処まで来るのに疲れて果て、スッカリ熱が冷めてしまった様子の美咲は、そんな事を漏らす。
「じゃあ帰りますか?」
「嫌よ。ここまで来たんだから途中で帰るなんてバカらしいじゃない」
士が煽る様にそう言うと、彼女は案の定、意地を張って続行を宣言。疲労した体に鞭を打って歩き出した。
(でも美咲さんの言うことも分かる気がする。どこにあんだよ、例のポイントは。俺もそろそろメンドくさくなってきたぞ)
美咲に感化され、自身もモチベーションを保てなくなってきた士。早めに用事を済ませるべく、彼女を置いて一っ走りして周辺を見て回って来ようかとも本気で考えた。そんな矢先、少し開けた場所に出た。辺りの木々が無くなり、これまで遮られておった陽光を直に浴びる。
「ん? ……お?! ここじゃねぇのか?!」
すると其処は、街全体を見下ろせる絶景ポイントであった。しかも、嘗て観た事がある風景。そう、二人の目的地である。
「美咲さん! ありました! ここ! ここですよ!!」
やっと見付けたという事もあり、士の声は自然と先程よりも大きくなる。
「うっさいわね! そんなに大声で言わなくても聞こえてるわよ!」
それが耳障りなのか、美咲は抗議した。何故か耳ではなく頭を押さえながら。また二日酔いであろうか。
「大丈夫ですか?」
「このくらい何でもないわ」
士の心配を一蹴し、美咲も同じ位置に立つ。そして同じ景色を眺める。
「あー、気持ち悪い……。見るもの見たし、さっさと帰りましょ」
だが、言い出しっぺの彼女は余程体調が優れぬらしく、本当に一目だけ見て下山しようとした。
(とりあえず記念に写真だけでも撮っとくか)
このまま帰るのも味気ないので、美咲が持参した小型のデジタルカメラで眼前の眺望を色々な角度から撮影しておく事にした。それが終わると、何気なくカメラのメモリーをチェック。昨日も絶えずシャッターを切っておったが、容量の残りが沢山ある事を確認した。
「昨日だけでも結構撮ってますね」
「え? あーまぁそうね。昨日はまだ元気が残ってたからね」
何とか返事をした美咲であるが、その表情は晴れぬ。彼女の言う通り、元気があったのは昨日までの様だ。本日の外出はこれで終了にしておいた方が良さそうだ。
「じゃあ今日はもうホテルに帰りましょうか」
「そうね。そうしましょう」
「いちおう病院に寄っときますか?」
「んー、いやイイわ。薬は日本から持って来たヤツが何種類かあるから、それ飲んで寝とけばそのうち治るでしょ」
調子は悪いが、病院には行きたくないと主張する美咲。外国の病院は不安なのであろう。ちゃんと診察してくれるか分からぬ上、手続きが煩雑そうだ。仕方がない。我等も激しく同意する。そんな彼女は歩くのも辛いと言うので、士は喜んで背負い、ホテルまで戻った。役得である。
あまり彼女を揺らさぬ様に努め、尚且つ急いで走る。電車やバス、タクシーは用いぬ。自身の足で行く方が速いからではない。なるべく美咲の体温を長く感じていたいからだ。
それから休まず走り続け、数十分を要して例の山から宿泊しておるホテルに到着。その道中、心成しか警察官を多く見掛けた様に思える。
(まぁアメリカだし、日本とは事情が違うんだろ)
異様かつ物騒ではあったものの、この国では普通の事なのであろうと考え、士は部屋に入った。背中の美咲をベッドにゆっくり降ろして寝かせ、彼女の鞄から薬を探し出す。
「どれだ?」
(これではないか?)
(そりゃ便秘薬だ。こっちは……?)
(それは胃腸薬だな)
そういった間違いがありつつも、何とか効きそうな薬を探し当てて美咲に飲ませた。すると程なくして、静かに寝息を立て始めた。
「夜もキッチリ寝てたのに、やけにスンナリ寝たな。そんなに疲れてたのか?」
(ただの飲み過ぎであれば良いがな)
昨日の朝も具合悪そうにしておった癖に、夜になった途端その様な事はスッカリ忘れて普通に飲酒しておったからな。自業自得と言えばそれまでだが。
「まぁ、なんにせよ、今日は部屋で大人しくしてるか。現地のホテルに籠ってゲームすんのも旅行の醍醐味だろ」
外出はせず、午後からは部屋に引き籠る事を決めた士は、荷物の中から携帯ゲーム機を取り出して電源を入れた。何とも不健全な楽しみ方であるが、今回は致し方ないか。
暫くゲームをプレイしておると、空腹感を覚えた。時計に目を遣れば、正午はとうに過ぎておる。
(こういうときは……と)
態々、外へ買いに行かずとも、ルームサービスで食事を済ませられるところがホテルの利点である。料金は宿泊代に含まれておる、つまり追加で金を請求されぬ故、遠慮は不要だ。
昼食を頼もうと、士は内線電話の隣に置かれたメニューに手を伸ばす。内容は全く読めぬが、絵が描かれておるので注文したい物は決められる。
(よし、これにするか。……あ、美咲さんは食うかな? まぁ、いちおう頼んどくか。要らないんなら俺が食えばイイし)
食べたい料理が決定し、受話器に手が触れる。しかし、此処である事に気が付き、その手がピタリと止まった。この翻訳機能を有するイヤリングは、電話越しでも正常に働くのであろうか。そんな疑惑が脳裏を過ったのだ。
「あー、昨日はテンパってたからなぁ。全然、気にも留めてなかったわ。あのまま通報しても会話が成立してたかどうか……」
あの時、彼女が巡回しておって本当に助かったな。
「チッ、メンドくせぇけど直で頼みに行くか」
もしかしたらキチンと翻訳してくれるかも知れんが、あの融通の利かなそうなスコットから借りた物だ。此方も杓子定規な性能しか付与されておらん可能性が高い。そう推論した士は、一階の受付に出向いて直接注文する事にした。
数分後、部屋に戻った士は、己の早計さに軽く嫌気が差した。
「あー、クソッ。なんで気が付かなかったんだ……!」
二人分の昼飯は無事に確保できた。その時、イチイチ言葉を介さずとも内線電話のボタンを一定のパターンで押せばルームサービスを利用できると、受付で知らされたのである。ちゃんとメニューにも記載されておるとも教えられた。
「そうだよなぁ。極力、他人と接触したくないヤツも居るもんなぁ」
世の中には、面と向かって喋るどころか電話すら嫌がる者も居る。高級ホテルであれば、そういった配慮が為されておっても不思議ではない。寧ろ標準で備えておかなければならんとも言える。
その後、運ばれてきた料理を平らげた。尚、美咲に食べるか否か尋ねたが、目覚める気配すらなく、また無理に叩き起こす訳にもいかぬので彼女の分も頂いた。
「ふぅ~、じゃあ、これから夕飯までどうする?」
外出は論外。ゲームは少々飽きた。テレビも駄目だ。今し方、スイッチを入れたらニュースが放送されておったが、イヤリングによる翻訳は出来ておらんかった。映像でパトカーと救急車を確認した故、何かしらの事件があったと推察できた程度である。ただ、これで諦めるには早過ぎる。暇潰しの為に持って来た物は他にもあった筈だ。
(本でも読んだら如何だ? 確か持って来ておろう?)
「ん? あー、そういやそうだった」
こういう事態も想定し、地元の友人に勧められた小説を持参しておったのだ。
(序でに夏休みの宿題も済ませてしまえ)
「せっかくの旅行でそんなことする気はねぇよ。楽しさ半減じゃねぇか。ていうか、そもそも持って来てねぇから。そんなモン」
それもそうか。だが、この余暇を有効利用せぬ手はない。
(読書感想文ならば終わらせられよう?)
「あー、うん、まぁ、書くかどうかは置いといて、とりあえず読むから静かに」
士はそう言うと、鞄の側面に入っておった割と厚みのある文庫本を手に取り、ページを捲っていく。しかし、何ページか読み進めたところで一旦本を閉じた。
「苦痛だ……。やっぱ慣れねぇことするもんじゃねぇな」
活字を追うという普段は滅多にせぬ作業に目が疲れた様で、暫し瞼を閉じたままの士。情けない。
「美咲さん、どんな感じかな?」
ふと思い立ち、士は彼女の様子を見に行く。帰って来た時と同じく、スヤスヤと眠っておる。その姿を視認し、こう思う。
「このまま寝てりゃ明日には快復してんだろ。あー、なんか俺も眠くなってきた」
彼女の寝姿に引っ張られ、士も眠気に襲われ始めた。
「晩飯まで寝るか。どうせやることねぇし」
士は独り言を呟くと寝室へと歩き、ベッドに潜り込んだ。そして、瞬く間に夢の中へ沈んだ。
○●○●○
目が覚めると、空はまだ明るかった。
「あー、旅行先でこういうムダな時間を過ごすのもイイな」
欠伸をしながら寝惚け眼を擦り、士はベッドから出た。その足で、美咲の部屋へ向かう。
「美咲さーん、起きてますかぁ?」
そう声を掛けながらノックし、返事を待たずにガチャリと扉を開けた。怒鳴られても知らんぞ。就寝中とは限らんのであるから。
(ゲッ?! マジで起きてる!?)
言わん事ではない。悪い予感は的中するものだ。美咲は既に起床しておった。それだけではなく、天井から床まである嵌め殺しの窓の傍に立って、夕焼けに染まる街並みを見下ろしておった。
「いや……っ、その……! すっ、すみません! てっきりまだ寝てるものと……!?」
士は腰を九十度に曲げて、無断で入室した事を謝罪した。だが、幾ら待っても罵声や平手打ちどころか何の反応も返ってこぬ。
(ん……?! あれ? なんで何も言わねぇんだ? まさか立ったまま寝てるとか?)
美咲が変わらず体の正面を窓の方に向けておる理由を、その様に解釈した士は彼女にそっと近付いた。
「み、美咲さーん、もう起きて大丈夫なんですかぁ?」
恐る恐る尋ねた士は、美咲の体を回り込んで顔を覗き見る。すると彼女は漸く此方を認識したのか、ゆっくりと首だけを動かした。ただそれでも尚、一切口は開かぬ。
(ん? なんだ?)
数秒ではあるものの、彼女を観察して士は違和感と既視感を覚えた。まず一つ、目の焦点が何処となく合っておらん。いっそ虚ろと言っても差し支えない。もう一つは、最近これと似た目を見た記憶がある。
(昨日、山で出くわした男もこんな目ぇしてたような……)
よくよく思い出してみれば、あの男の奇妙な点は風貌だけに止まらんかった。足取りも覚束ず、視点も定まっておらんかった様に思える。
(な、なんで……?)
何故、あの男と美咲の様態が被って見えるのか。疑問ばかりが脳内を駆け巡るが、そんな事を思案しておる内に当の彼女の目には理性の光が戻っておった。
「あら、何してんの? 君」
「い、いえ……その……」
「ていうか勝手に入ってんじゃないわよ」
美咲に静かに怒られ、部屋を追い出された士は、ソファに腰を下ろしつつ思考する。
(うーん、いつもの美咲さんだったなぁ。やっぱ寝ボケてただけなのか?)
(そう考えるのが妥当であるな。今のところは)
(ま、大事なさそうで何よりだよ)
憂慮の種が一先ず消え、手持ち無沙汰になった士は何気なくテレビを点ける。内容は全く頭に入ってこぬが、背景音楽として流しておく為だ。
締まりのない呆けた表情でテレビ画面を眺めておると、先刻までとは違う服装に着替えた美咲が部屋から出て来た。恐らく、シャワーも浴びた。
「もう動いて大丈夫なんですか?」
「ええ、問題ないわ。まだちょっと眠い気もするけど」
立って歩ける位に回復したのは良いが、全快という訳ではない模様。
「ホントに大丈夫なんですか?」
「ヘーキ、ヘーキ。こんなの屁でもないわ」
「今の今までダウンしてたクセに何言ってんですか」
「うっさいわね。本人が大丈夫って言ってんだから大丈夫なのよ」
そう断言した美咲の迫力と勢いに負けた士は、気持ちを切り替えて今後の予定を尋ねる。
「もうそろそろ夕飯ですけど、どうします? 夜の街にでも繰り出しますか?」
「高校生の分際で何言ってんの、ナマイキな。って言わなきゃイケないんだけどねー、ホントは。職業柄ね。でもまぁ、それも面白そうね。そうしましょうか」
非番である為か、今回は警察官としての義務を果たす心算はない様だ。寧ろ賛同しておる。
「ちょうどイイ時間だし、晩御飯は外で食べましょうか」
今から店を探すのであれば、確かに夕餉の時間にはピッタリとなろう。それを見越した上での提案であろう。
「夜の雰囲気も味わっとかないと、この街を堪能したとは言えないしね」
美咲のその一言により、夜間外出が決定した。
「ほら、早くテレビ消して。行くわよ」
「はいはい」
「『はい』は一回!」
「はい」
美咲に促され、士はテレビの電源を切ってソファから尻を離した。




