第31話:海の向こう側
腕組みをした士は、冷たい床の上で正座しておる一人の少年の前で仁王立ちになった。そして、険しい顔で彼を問い詰める。
「本っ当に覚えてねぇのか?」
「だからぁ~、何回も言ってんじゃん。覚えてないって」
彼に面倒臭そうな表情で否定されたので、士は別の友人の方を向いて文句を言う。
「オイ、話が違うじゃねぇか」
「フム、そのようだな」
「『そのようだな』って……そんだけか?」
「オレは『今まではそうだった』としか言っていないぞ」
要は彼にとっても不測の事態であったという訳だ。今回の此奴の暴走は。
「チッ、最悪の日だよ。今日は」
士は不貞腐れ、宿舎のロビーに設置された一人掛けのソファにドカッと腰を下ろした。ちゃんと着席する事すら億劫である為、全ての力を抜いて体を預ける。その動作を見て、やっと解放されたと思ったのか、少年が確認してくる。
「ねぇ、もう足くずしてもイイ?」
「「ダメだ」」
二人の返事が重なった。続けて士がこう宣告する。
「バッキー、今回は俺だったから良かったけど、もし違うヤツならエラいことになってたんだぞ。ったく、敵ならまだしも味方を襲うなんて……」
「そっ、そんなこと言われてもさぁ……」
正座させられておる少年、バッキーが困惑した面持ちで項垂れる。するともう一人の友人、スコットが口を開く。
「まぁ、その辺りのことは何とも言えないな。無意識にツカサだと分かっていたから刺しただけで、他の誰かなら刺さなかったかもしれないし」
「うーん、それならイ……いや良くねぇけど、不幸中の幸いではあったな」
無理矢理に己を納得させる士を余所に、スコットが更にバッキーにこう告げる。
「ただ、今回は初めてのケースだから、いちおうオマエの実家には報告しておくぞ」
「ハーイ」
取り敢えず、保留という形ではあるが、これでバッキーに関しての問題は解決したと仮定。正座を崩しても良い許可が下りたので、彼もソファに座った。
余談だが、あの時の事をスコットに尋ねてみた。大男を追う時、二手に分かれて美輝が寝泊まりしておる部屋で合流しようと決めた後の事だ。あれ以降、彼が姿を見せんかった理由についてである。その設問に対する彼の回答を聞いて、案の定バッキーが関係しておる事が判明した。
異変に最初に気が付いたのはクリントであった。捕縛した魚人共を見張る為に一人で居残った彼は、まず手持ちのポーションを連中に飲ませた。安物である故、効果の程は殆ど見込めぬが、気休め位にはなる。
当然、これだけでは心許ないと思い、バッキーが持っておるポーションを取りに行った。負傷した足を引き摺りつつ、何とか自室に到着。ところが、其処には布団の中で横になっておる筈の彼が居らぬ。慌てたクリントは、即座にスコットに連絡。それから二人で、バッキーを捜索しておったという訳である。
「で、こっちはほったらかしかい」
「スマン。何分、初めてのことでな。気が動転してバッキーの行方を優先してしまったんだ。何か間違いがあってはいけないし」
意見したい事はあったが、スコットの言い分も理解できる。現に、バッキーは理性を喪失して辺りを徘徊しておった。士と大男以外は傷付けておらんかったとはいえ、彼等の採った行動は正しい。一刻も早く、彼の身柄を押さえるべきであった。
それに、結果論ではあるが、最終的には自分だけでも対応できた。なので、士はこの件を深く追求せぬ事にした。
「ソレで? サワタリさんとやらに連絡はついたのか?」
次の話題に移行する前段階として、士の隣のソファに腰掛けたクリントが、包帯を巻いた手首を擦りながら訊いてきた。
「ああ。ここに向かう道中らしい。俺が電話した時は、ちょうど出掛ける準備をしてたんだとよ」
「出掛ける? 帰宅じゃなくてか?」
「ああ。なんか、別のトコでも魚人が上陸して来そうだったからそれの対処に行くつもりだったんだって」
また、此方にも人員を寄越す予定であったとも申しておった。ただそれ以前に、どの様にして魚人共が侵入して来る事を予期したのかが気に掛かる。彼女達の事であるから、我等の知らぬ情報網が沢山あっても特段不思議ではないが。
「まぁ、後のことは専門家に任しときゃイイさ。あいつらを引き渡せば俺らの役目は終了だ」
「ああ。今度はバッキーの持っていたポーションを盛ってちゃんと眠らせてあるからな。もう心配は要らない」
士の言葉に、スコットがクリントに対する嫌味を効かせながらそう返した。
「では、オレたちは先に休ませてもらうぞ」
「じゃ頑張ってねー。お休みー」
「おう、お休み」
「お休……っう……っ」
「お大事に」
士を残し、三人は自室へと戻った。此処で暫く、我等は沢渡達が来るまで待機。
「あー、早く来てくんねぇかなー、沢渡さん」
いきなり暇を持て余す形になったので、士が独り言ちる。
(すぐに着くと言っておったから、もう少しの辛抱だ)
我の言った通り、それから間もなくして沢渡達の一行が到着。彼女の部下・仲間達が、魚人共の身柄を引き取って行った。彼女自身はまだこの場に留まり、士と話し込んでおる。
「あのヒトらはどうなるんですか?」
士は眼前に立つ沢渡に尋ねた。
「そうですね……おそらく、単純に強制送還とはいかないでしょうね」
闇夜に紛れ、武装して乗り込んで来たからな。全員、出入国管理及び難民認定法・第二章に記載されておる入国及び上陸に関する規定に違反し、かつ銃砲刀剣類所持等取締法も犯しておる。並びに、大男には未遂ながら略取・誘拐罪違反が適用されるであろう。
「ってことは逮捕して尋問したら裁判行きですか?」
「ええ。未然に防げたとはいえ、破壊活動をしようとした証拠もありますからね」
当然ながら、スコットが押収した彼奴等の所持品は、既に全部渡してある。無論、直接対面せぬ様に前以て所定の部屋に出しておいて貰った。因みに、クリントの矢で気絶させられた奴等の中には、爆発物や銃器も所有しておる者も居った。決定的な証拠品だ。
「彼らの母国から要請があったとしても、そう簡単に帰す訳にはいきません。日本の法で裁き、相応の罰が与えられることでしょう」
「それって懲役ですよね? 罰金じゃなくて」
「はい、もちろんです。全員、無一文でしたので。彼らの故国が代わりに払う可能性も考えられますが、それはほとんど有り得ません。たぶん『彼らが勝手にやったこと』と言って、知らぬ存ぜぬで通すでしょう」
流石の魚人共も、真正面から日本と事を構えたくはないらしい。この様な卑劣で下賤で悪辣な真似をした事が、その何よりの証左である。
「彼らが服役するのはイイんですが、人間の刑務所に入っても大丈夫なんですか?」
「いいえ。普通の刑務所では簡単に脱獄されてしまいます。なので、専門の所に服役させます」
沢渡の弁では、特区内には人間以外のヒト族を収容可能な監獄が幾つか在るそうだ。連中は其処に入獄させられる予定であると言う。それであれば、一先ずは安心できるな。勿論、裁判の結果を待たねば断言は出来ぬが、まず間違いなく有罪であろう。
「もう帰って寝てもイイですか?」
自身の務めは果たした為、早く自室に戻って休みたい。沢渡にそう申し出たところ、彼女から待ったを掛けられた。
「ダメです。まだ訊きたいことが」
「なんですか?」
「本当に石森さんが単独で彼らを捕えたのですか?」
やはり、それを問うてくるか。疑われる事は至極当然だが、有りの儘の真実を伝える訳にもいかぬ。だからといって、己一人で為したとも言えん。士の能力では、敷地のほぼ全域に展開した大勢の魚人を単身で、それも短時間で全員を捕縛する事は不可能。その事は沢渡も理解しておろう。半端な嘘を吐いたところで、彼女には通じん。こうなれば、徹底的に誤魔化し切るしかない。
「い、いいえ、実はですね……」
そう決意し、喋り始めたのは良いものの、いざ実行しようとすると何も言葉が浮かんでこぬ。口から出任せを言うのも、案外難しい。上手に法螺話を並べるにも、一種の才能とそれなりの技術が必要なのだ。
「いやぁ、そのぉ、なんか神様を自称する変な人が助けてくれました」
その為、やっとの思いで出てきた台詞がこの一文。粗雑で稚拙な虚言だが、零から作った物ではない。スコット達の話では、この地域を治める神が存在するとの事であったので、それを引用させて貰ったのだ。たとえ実在を知っておるとしても、沢渡達もおいそれと神と面会を賜ったり、交信を行えたり出来るとは思えぬ。
逆に、彼女達が神の存在を信じておらぬとなれば、此方の精神や頭が正常か否か疑われるが、その点は目を瞑ろう。致し方ない。何れにせよ、話題をはぐらかせられる。多少の効果は見込めるであろう。士は微かにそう期待した。
(いや、でも……さすがに無理があるか?)
その反面、こうも感じておった。だが、士の荒削りな偽りの発言は意外にも功を成した。
「……なるほど、そういうことでしたか」
「へ?!」
納得した様子を見せる沢渡に、士は動揺を隠せぬ。まさか、予想外にも程があったからだ。半ば自暴自棄になって言い放った事を、本気で信用するとは。
「いえ、実はですね……」
士と似た様な枕言葉を述べた後、沢渡は語り出した。その内容を要約すると、神から御告げがあったそうだ。魚人共が領域内へ不正に入り込もうとしておるから、それを阻止せよ。そういう託宣を受けた人物が居ったと言う。
(巫女的な人が聴いたのか? でも、悪魔が来たことは黙ってたんだよな? 話の筋からして。ちゃんと許可を取ってから来たからか?)
事前に許しを得さえすれば、悪魔でも支障なく活動できる。滞在の秘密も守ってくれるとは、日本の神々の寛容さには感服しきりである。ただ、鷹揚なのは大変嬉しいが、有事の際にも人間任せなのは如何なものか。
「その神様自身が魚人たちの侵入を妨害するなり、排除するなり出来なかったんですか?」
士も同じ考えに至ったので、沢渡に尋ねてみた。すると彼女は、基本的にヒト同士の諍いに神が介入する事はないと言った。また、今回の件に関しては、己が領地を踏み荒らされるものの、その対象がヒトであった為、警告するだけに止めたそうだ。ただし、余程気に入った者が居れば話も変わってくるとも言った。本件はそれに該当するのでしょう。彼女はそう呟いて、勝手に自己完結しておった。
(なんか色々とメンドくせぇんだな、神様も)
兎にも角にも一件落着だ。やるべき事は完遂した筈である。
一つ、懸念があるとすれば、例の神が沢渡達に余計な事を話してしまい、士の嘘が露呈する事だが、恐らく大丈夫だ。神の方から人間に接触してくる事は稀である。それのみか、人間側が何かを問い掛けても、彼・彼女達が返事を寄越さぬ事もさして珍しくない。神とは得てしてそういうモノであり、文字通り人間とは住む世界が違うのだ。
尚、スコット達の事については特に憂慮しておらん。魔界との規約がある故に。
「もうイイですか? 戻っても」
訊かれた事には答えた為、士は沢渡に確認を取った。
「ええ、どうぞ。お引き留めしてすみません。あとは私たちが引き継ぎますから、ゆっくり休んで……楽しんでください」
「あ、はい、ありがとうございます。あ! それと……」
「ご安心ください。石森さんが目覚める頃には、我々は撤退していますので」
此方の言いたい事を予想した上で返答されたので、士は今度こそ部屋に帰って睡眠を摂った。ほんの二~三時間程度ではあったものの、心身の回復は充分に図れた。




