Sに手を出すな③
(あいつ、どこ行く気だ?)
今、奴を呼び止める事は簡単である。だが、その様な事をすれば、追い詰められた彼奴が自暴自棄になって彼女に危害を加えかねん。だからといって、奴に感知されず少女を無傷で颯爽と奪還する技量なんぞ、士は持ち合わせておらぬ。幸いにして、あの男は此方を察知しておらぬ様子。なので、このまま尾行する事にした。
(スコットは? この事態に気付いてんのか?)
士と別行動を採って、外から美輝が寝ておる部屋の窓へ向かった筈のスコット。彼の行い如何によって、我等が果たさなくてはならない役目が変わってくるのだが、肝要の彼が何をしておるのかが分からん。何処に居るのかも不明だ。ただ、タイミングから考えても、大男が少女を背負ってあの部屋から急に出て来たのは、スコットと鉢合わせしたからである可能性は高い。
(ってなると、あいつも手ぇ出せないままヤツを追い駆けてんのか? チッ、連絡が取れないってのは不便だな)
我の特性の影響で、テレパシー機能が付いた耳飾りによる情報の共有は不可能。携帯電話は、海に行くと言うので置いてきてしまった。何れにせよ、持っておっても着信音で感付かれそうであるから使わぬが。
(まぁ、今の自分が出来ることをするしかないか)
色々と思考を巡らせた後、士は大男の追跡を続行。そのほんの数秒後、奴は建物の外に出た。
(あいつ、どこに行く気なんだ? 人質を取ったってことは交渉するつもりだろ? なのに俺たちを探してる様子はない。まさか、自分の国まで連れて行ってから取引に持ち込もうって腹か?)
そういう魂胆なのであれば、流石に沈黙を貫いておる訳にはいかん。即行で飛び掛かって彼奴の身柄を押さえ、少女を一刻も早く引き剥がさなくてはならん。士と大男が打つかり合えば、彼女に多少の怪我を負わせてしまうかも知れんが、最悪の事態は避けられるであろう。
(ま、いざとなったらそうするか。いやでも仲間を置いて逃げ帰るようなタマか? あいつ)
職務を達成する上で同胞が犠牲になる位の事、連中全員が腹を括って臨んでおろう。まして、他国に無断で足を踏み入れ、良からぬ事を仕出かそうとしておった様な輩達である。そういう教育や訓練はされておって然るべきだ。
(けど、なんかあいつ新人っぽかったし、そういう心構えがまだ出来てないんじゃねぇか?)
確かに、あの大男の言動は若年者に有り勝ちなものであった。顔立ちにも幼さが残っておった。図体は大きいが、奴の年齢は士達とそう離れておらぬと見える。
(ってことは無茶もしがち、か)
(貴様も他人の事を言えた立場ではないぞ。年齢的に)
(うるせぇ、お前に言われるまでもねぇわ。っと、あいつやっぱり自国に帰る気だな)
大男の後をつけておると、浜辺に戻ろうとしておる事が分かった。依然、少女は担がれた状態にある。このままでは彼女が攫われてしまう。そうはさせまいと、当初の予定通り士は奴の背中に声を掛ける。
「おい待てよデカイの!!」
一瞬、突進しようかとも考えたが、やはり少女に傷を付けたくはないので士は声を張った。すると、彼奴は立ち止まって後ろを振り向く。
「チッ! テメェか、人間」
忌々しそうに此方を睨むが、予想に反して奴は冷静であった。これならば話し合いに応じるかと思い、士は少女の返還を迫ってみる。
「その子をこっちに渡せ」
「で大人しく捕まれってか」
「よく分かってんじゃねぇか。そうだ」
士はそう言って、何気なく一歩を踏み出した。その動作と同時に、大男が叫ぶ。
「来るな!!」
奴は少女を自分の身体の前に掲げ、士を脅迫する。
「それ以上こっちに近付くな! 来たらこいつの首をヘシ折る!」
その様な事を言われては、此方は手も足も出せぬ。前進しようとした足を引っ込めながら、士は後悔した。こんな事になるのであれば、少々の負傷を覚悟してでも強引に彼女を奪回しておくべきであった。しかし、もう遅い。此処から彼女を救う手立てを模索しなければならん。
「無駄な抵抗はよせ!! 彼女の首をヘシ折ったらその瞬間にお前を守るモノはなくなるぞ!!」
「うるせぇっ!! たとえテメェらにブッ殺されることが確定してるとしても!! 地上に住む目障りな人間が一人でも減るんなら本望だよ!!」
動揺を誘ってみたものの、無意味に終わった。自分で盾を失う様な真似はせぬと思い込んでおったが、そう簡単にはいかんか。
(チッ!! 心中覚悟か……!! 厄介な……っ)
奴の面倒な性格に苛立つ士。次なる手を思索する傍らで、少女に焦点が合う。クラスメイトではない。別の組の生徒であろう。だが、何故か見覚えがある。
(そういやぁ、バッキーと一緒に居た子たちの一人に似てるような……って今そんなことどうでもイイ! どうすりゃこの逆境を打開できる?!)
士が悩み抜いておる間にも、大男はジリジリと海に向かって後退しておる。少女を解放する気配は皆無だ。
「まっ、待て! その子を連れて行ってどうするつもりだ?!」
皺の少ない脳味噌で思案したところで何も思い浮かばぬ。それ故、士は時間稼ぎに専念する事にした。今以て尚、アクションを起こさず姿も現さぬスコットが、我等の与り知らぬ所で解決に奔走してくれておると信じて、引き続き奴との対話を試みる。
「その子を連れ去ったら日本がお前の国に攻め込む口実を与えることになるんだぞ!?」
もう一度、揺さ振りを掛けてみた。されども、彼奴は態度を変えぬ。
「任務は失敗だ。しかも全員ワケの分かんねぇヤツらに捕まった。誰かが帰ってこのことを報告しなきゃなんねぇ」
「帰るだけならその子は要らねぇだろ。置いて行け」
見す見す奴を帰国させる気なんぞ毛頭ないが、彼女の無事が最優先である。一旦誘拐されてしまえば、取り返す事が非常に困難になる。絶対に、今この場で自由にさせなければならぬ。ところが、事はそう簡単には運ばぬ。
「そういうワケにはいかねぇ。こいつを手放した瞬間、俺が帰れなくなる。これはテメェの言ったことだぞ」
ハッキリとは申しておらんが、暗に匂わせる様な発言はした。
「おっと『代わりに俺が』なんて言うなよ。ゼッテー嫌だから」
士が正にそう提言しようとした時、大男は先手を打って拒否した。当たり前だが、己と力が拮抗し得る者を人質に取りたくはないか。何故なら其奴の逃亡を安易に許してしまい、尚且つ自分が殺される虞があるからな。更に言えば、課せられた責務も完遂できぬ。奴にとっては、百害あって一利なしの申し出だという事である。
「つーか男なんか抱いて泳ぎたくねぇしな」
「そっちが本音か」
士がそう突っ込みを入れた時、大男の踵が海水に浸かった。もっと引き延ばしを図らなくてはならん。新たな話題を頭の中から引っ張り出す。
「な、なんで彼女を選んだ?! さっさと逃げなきゃなんねぇのに、わざわざ離れたトコに在る建物の三階に上がってまで連れて行こうとした理由はなんだ!?」
士の質問は功を奏した。奴は立ち止まって考え込み始める。
「アァン? んなモン決まって……」
膨大な魔力を持つ美輝が狙われたというのならば話は早い。尋常ではない位に虫酸が走るが、実力のある魔術師の利用価値は高いからだ。奴等が魔力を感じ取れるのか、或いは魔術師を必要としておるのか、そもそも存在を認識しておるのかは知らんが。
(あいつ、なんで急に黙りこくってんだ? まぁ俺としちゃ都合がイイけど)
此方も思考する余裕が得られた。先程の続きであるが、もしや本当は美輝を拐かす算段であったのではなかろうか。しかし、現実には間違えた。二人は同室であるから充分に有り得る。ただそれならば、連中は魔力の感知は正確に出来ぬという訳になるな。謎は深まるばかりである。
「……あ? なんでだ? なんで俺は……?!」
暫く黙考しておった大男が間抜けな声を上げた。此奴、彼女を選択した所以を自分自身でも理解しておらぬ様子。一体、如何いう事であろうか。
「チッ! んなこたぁどうでもイイんだよ!!」
自覚のない事柄を指摘され、激昂する大男。
「テメェとのお喋りはこれで終わりだ!!」
それなりに奴を繋ぎ止められたが、貧困な我等の頭脳ではそろそろ限界である。
「ズラがらせてもらうぜ! ついて来んなよ!」
一言放つ度に奴の足が見えなくなっていく。最初は踝、一歩下がれば脹脛。今は既に膝から下が海中に沈んだ。
(チッ! クソッ! こうなったらもう強硬手段に出るしか……っ!)
もう一刻の猶予もない事を悟った士は、最後の賭けに挑む決意を固めた。即ち、少女を腕尽くで奪回する。最早、彼女の怪我を気にしておる余地はない。奴の手が彼女の首を捻る前に、己が持てる脚力を全て使って突貫し、この手に取り戻す。
(よし! それでいこ……お?)
粗末だが、一応のプランは立った。後は実行するだけだ。士も我もそう思った瞬間、大男が腹立たし気に呟く。
「クソッ、なんか歩きづれぇな……」
海中の砂に足を取られておるのか、奴の後退する速度が急に目に見えて鈍くなった。これを最高の好機だと判断した士は、即座に大男に向かって駆け出そうとする。
「ガッ……ッ?! ハ……ッッ!?」
ところがその途端、彼奴の様相が急変した。顔を歪めて膝から崩れ落ちたのだ。自身に何が起こったのか、まるで見当が付いておらぬという表情をしておる。尤も、それは我等も同じであるが。
(なんだ?! どうなってんだ!?)
突如、目の前で引き起こされた出来事に、士は激しく動揺する。だが、これは絶好の機会でもある。大男の手が緩んだ隙に、少女を取り返す。序でに奴を再逮捕する。一石二鳥だ。
「オラ! とっとと返せ!!」
それ等の事柄を思うまでもなく、士は反射的に執るべき行動を表出させた。
「グッ……!? しまっ……っ!」
囚われの身であった少女を、実力で返して貰った。その勢いで、大男を陸地に放り投げる。ただ、少し力み過ぎたらしく、かなり遠方まで投擲してしまった。
「でもまぁ、これで形勢逆転だな」
少女を脇に抱え直し、逃走されるよりも前に大男の所へ走り寄る士。
「グッ……ッ! ク……ッ!!」
奴の元まで行くと、何故か苦痛に喘いでおった。士は慌てて救いの手を差し伸ばそうとしたが、此方を油断させる為の罠かも知れぬ。咄嗟にそう考え、奴に触れる寸前でその手を止めた。するとこの時、ある事に気が付いた。
(あ? なんだ? 血……か?)
己の利き手に何か付着しておると分かった。感触は粘り気のある液体。匂いは錆びた鉄の様だ。紛う事なく血液であろう。
(あいつのか?)
自分は出血しておらず、それに伴う痛みもない。ならば必然的に、眼前で倒れ伏す大男が流した血だという事になる。
(だから苦しんでんのか。でも、なんで?)
疑問は尽きぬが、古傷でも開いたのであろうと己を納得させ、士は奴も担ごうと腰を曲げる。その瞬間、首筋に途轍もない痛みを覚えた。
「グ……ッ!? ブ……ッッ?!」
あまりの激痛に、助け出した少女を思わず取り落としてしまった。同時に吐血もした。
(クソッ! 一体何がどうなって……っ?!)
まさか一日に二度も首元を傷付けられるとは。だが、今回の負傷は先程と訳が違う。犯人が見当たらぬ。第一被疑者の大男は、すぐ傍で仰向けになって呻いておる。その隣に居る、加害行為どころかピクリともせぬ少女は論外。
(こっ、こんなこと出来んのなんてあいつぐらいしか……!?)
士の脳裏に一人の少年が浮かぶが、今更この様な事をするとは到底思えぬ。彼は就寝中であるし、何よりもう敵対はしておらぬ。友情を結んだ筈だ。一切の気配を断って急所を刺される謂れ等ない。
(でも、あいつ以外に考えらんねぇ。よし、こうなったら……!)
今も尚、刃物を突き立てられておる感触が胴部にある。しかし、何の問題もない。
「フ……ンッ……ッ!!」
脇腹に痛みを感じた瞬間、それを押し殺して刃物が抜けぬ様に筋肉を引き締めた。狙い通り、刃物による犯行は止まり、それから手探りで犯人の実体を掴もうとする。ところが、其処に存在するであろう物体に指先すら掠らぬ。既に離脱した後なのか。以前の失敗から学んだのかも知れん。
(チッ! なんであいつに刺されなきゃなんねぇのか分かんねぇけど! とにかく止めねぇと!)
そうは言うものの、全力で消えておる彼の位置なんぞ感知できぬ。現在、此処にまだ留まっておるのかさえ把握できぬ。
(とっ、とりあえず二人を連れてスコットたちと合流しよう! 話はそれからだ!)
そう決めると、士は見覚えのあるナイフを引き抜き、口に咥えた。そして、苦しみながら横たわる大男と眠ったままの少女を肩に抱き上げ、宿舎の方へ進もうとした。だが、またもやそれを邪魔する者があった。
「つ……っ?!」
刺された。今度は背中である。まるで、宿への進行を阻止するかの様だ。
「クッソ……お前に恨まれる覚えはないぞ!」
喉の刺傷も癒えたので声に出して毒づくも、彼からの反応はない。警戒と牽制の為に、生やした尻尾を体の周囲で振り回すが、何にも接触せぬ。
(チッ、意味が分かんねぇ! あの野郎……! 正気に戻ったら絶対に詫び入れさせるからな!)
以降、特に襲われる事もなく、宿舎に辿り着いた。




