寝る子と進行と食いしん坊②
大変と言うよりも面倒な労働ではあったが、これっぽっちも苦では無かった。士が体力馬鹿であるからという理由だけではない。殆どの仕事を美輝と一緒に行ったからである。好意を寄せる異性との共同作業、たとえ肉体が貧弱であったとしても男ならば否が応でも捗る筈だ。
(あいつら、結界とかナントカ言ってたけど、単にサボるための口実じゃねぇだろうな)
その証拠に、何時もの士であればこの様な台詞を吐いておるところだが、この時に限っては一つの愚痴も無かった。
(ねぇ士クン、ちょっとイイ?)
そんな浮付いた心持ちの士に、突如美輝が語り掛けてきた。丁度やるべき事を全て終えて、宿舎へ向かう道中の事である。それも、直に心に。知らぬ間にゴーレムを取り付けられた様だ。
(あ、ああ。イイけど、何?)
口頭ではなく、態々(わざわざ)テレパシーで以て会話を為そうとする彼女の意向を慮り、士も口を開かずに答えた。一瞬『告白か?』とも邪推したが、それは即座に脳内から削除。時機や場所や状況等、何もかもを外し過ぎておる事は、間抜けな此奴でも気付く。そもそも、彼女が士に慕情を抱いておると決まった訳ではない。憎からず想われて、或いは信頼はされておるとは思うが。
(今日、海に入った時、何か感じなかった?)
美輝に何を言われるか予測しておると、彼女から此方が予期もしておらぬ事を質問された。否、ある意味では想定の範囲内か。
(あっ、ああ、感じた。ていうか痛かった。光も?)
(うん。なんて言うか、警告されてるような感じがしたの。痛くはなかったけど)
(警告ぅ? 入るなってことか? でもそんなの今更だろ。これまで何十年も常連だったのに)
(事情が変わったのかも)
(事情、ねぇ……)
美輝は、この海に潜む何モノかの存在を感じ取ったらしい。ただ、それが悪意や敵意なのかまでは判然とせぬ。何れにせよ、善意からくるものであるとは考えておらぬ様子。
(警告してるんだから敵意とか悪意とかを感じるのは普通だろうけど、善意は感じないって断言できるのはどういうこと?)
(うーん、説明するのは難しいんだけど、私たちの身を案じてとかじゃなくて、もっと別の理由があって仕方なく、もしくは無意識にやってる。そんな感じかな)
言葉とは裏腹に、結構具体的な供述をした美輝。例えるならば、領域内へ不正に侵入した者が居るから、自動的かつ事務的な訓告を実施したといったところか。
(天道が体調を崩してんのもそのせいか?)
(ん? 天道君がどうかしたの?)
士は午前中に知り得た天道に関する情報を、美輝に話して聞かせた。己の推量も交えて。それを受け、思案し始める彼女。
(海神様……ありえなくはない、か。天道君は『昔からそうだ』って言ってたんだよね?)
(ああ。あと『ある日、突然』とも言ってたな)
(潮の香りが苦手になったのかな?)
(うーん、そうは見えなかったぞ? ちょっと具合が悪くなるくらいで、近付くだけなら肉体的には問題ないらしい。あくまでも海に入るのがダメみたいだ)
(いきなりそうなったのなら、何かキッカケがあったんだろうけど……)
(ああ。でも、あいつに訊いても分かんねぇだろうな)
互いに見解を打つけ合う二人。しかしながら、宿舎に到着する頃になっても尚、これといった結論は出ぬ。所詮、推測に推測を重ねたところで真相には辿り着かぬか。
「じゃあ、また後でね」
宿に入ると、美輝は小さく手を振って別れの挨拶を送り、自室へと戻った。これから彼女達のグループが入浴する時刻であるからだ。
「言っておくが、覗きはダメだぞ」
「うおっ!?」
気配を断ち、背後から声を掛けてきた者はスコット。もう用事は済ませた様だ。ただ何故か、片手でクリントを引き摺っておる。士は思わず問う。
「何かあったのか?」
「ん? あぁ、コイツか? 案の定、女風呂を覗こうとしたからな。事前に捕縛した」
「だからアリャ誤解だって言ってんじゃねぇか! 不可抗力だって!」
「言い訳は部屋で聞く。そうだ、ちょうどイイ。ツカサにも聞いて貰おう」
クリントの申し開きを中断させ、スコットはそう提案した。それは構わんが、理由が分からぬ。友人であるから、という訳だけなのであろうか。そう考えた士は、即座に問い質す。
「え? 俺も? なんで?」
「それはモチロン同室だからだ」
「えっ!? お前ら同じ部屋だったの?!」
「ああ。気付いてなかったのか?」
「あ、あぁ……全然」
新事実を知らせられ、面食らう士。我はとうに認識しておったぞ。
「まぁイイ。早く帰ってコイツの弁解を聞こう」
宣告通り、急いで部屋に帰った二人は、早速クリントを尋問する。主導するのはスコットで、士はそれを観覧しておるだけである。ただ、傍では天道が睡眠中である為、声の音量はなるべく低くして執り行った。
「それで? なぜアノ時アソコに居たんだ?」
彼等は三手に分かれて結界の点検と調整をしておった。区域の割り当てを行った者はスコット。彼はクリントの性質を熟知しておる為、万が一の事を見越して別の場所を受け持たせた。なので、偶然その場に居ったという言い逃れは出来ぬ。
「いやぁ、ソレがそのぉ、女風呂の近くで怪しい気配があったんだよ」
「オマエ以外に?」
「当たりめぇだろ」
「だが、バッキーからは何の報告もなかったぞ?」
あの辺りの担当はバッキーであった様子。しかし、彼は不審者を補足してはおらぬという。
「えっ?! マジで!? いやいや! オレ嘘なんかついてねぇよ!?」
そう言い張るクリントであったが、スコットは訝しがる。彼へ向ける眼差しも疑義に満ちておる。
「ハァ、オマエの感知能力の高さは知っているが、バッキーもそういうことには敏感だ。現時点では何とも言えないな」
決定的な証拠がない故、スコットは一旦、友人を信じる事にした。
「少し懐疑的になり過ぎたみたいだ。悪かった」
「なーに、イイってことよ」
これにてクリントの審問は終了。自身の疑いが晴れると、彼は直様こう言った。
「じゃあ、頭を冷やすついでに風呂にでも入ろうぜ」
「ふむ、もうそんな時間か。オレは用意が済んでいるが、オマエたちは?」
「まだ」
「俺も。今からするトコだ」
「そうか。ならオレは先に行っているぞ」
そう言うとスコットは、入浴に必要な物を手際良く取り、風呂場へと向かった。一方、士とクリントは今から準備を開始する。
「で? 本当のトコどうなんだ?」
士は自分の旅行鞄に手を突っ込みつつ、クリントを詰問する。
「なんだよ。まだ疑ってんのか?」
「ちょっと」
そう述べた士の語気は少し荒い。多分、目付きも鋭くなっておるであろう。これは恐らく、クリントが女風呂を覗こうとした疑惑がある時間が、美輝が湯浴みしておる真っ最中であったからだ。
「あー、その……さっきのは半分ウソだ」
士の無言の圧力に負けたのか、クリントはそう自供した。
「半分?」
「ああ。正直に言えば、女風呂は覗こうとした。でも未遂だ。先生たちが見張ってた」
「先生たちが居たからやめたのか? 別にお前の視力ならワザワザ近付かなくても見えるだろ?」
「バッカ、ソレじゃあ意味ねぇんだよ」
如何やら、我等には理解できぬ、彼なりの信条がある様だ。それはさて置き、これが虚偽の方の半分か。ならばもう半分は、覚えのない気配がしたという話は真であったか。
「じゃあ、いまも女風呂には何か得体の知れないヤツが居るってことか?」
「いや、スコットに捕まったのと同時に感じなくなった。多分、逃げたんだろうな」
当面の危機は去り、彼女達の安全も取り敢えずは保障されたという訳か。無論、本当に不届きな輩が居ったのであれば、このまま逃亡を許す気はないが。
「そいつがまだどっかに隠れてるってことはないのか?」
士はもう一つの可能性を提示した。
「なくはねぇが、何も感知できねぇんだ。それはアイツらも同じだろうよ。何かありゃあ連絡してくるハズだし」
「まぁ、今んトコ騒ぎにはなってないみたいだから大丈夫なんだと思うけど……いや、バッキー並に隠れんのが上手いだけなのかも」
有り得る事を挙げればキリがないが、確かめに行く訳にもいかぬ。彼の地は、男は入れぬ聖域であるが故に。
「ホントに嘘じゃねぇんだろうな?」
以上の話を聞いても尚、イマイチ信用し切れぬ士は、もう一度クリントに確認する。
「ああ、マジマジ。大魔神様に誓ってもイイぜ」
ふむ、あの御方に誓われては、最早懐疑の念を抱いてはおれんな。
「オイ、このことはスコットには黙っといてくれよ?」
クリントの陳述を信じようとした矢先、彼がそう釘を刺してきた。女子生徒達のあられもない姿を覗き見しようとした事がスコットの耳に入れば、タダでは済まぬ筈であろうからな。
「あ? ああ、分かってるよ。未遂だったみたいだしな。ちょっとでも見てたらもうイッペン顎の骨を砕いてたけど」
「ソリャ勘弁」
士と初めて素顔を合わせた時の事を思い出した様で、クリントは態とらしく身震いした。
「念のためもう一回訊くけど、ホントに見てないんだよな?」
黙秘を約束する代わりに、半ば脅す様な声遣いで今一度クリントを追及する士。それに対する彼の返事は、当然ながら否定であった。
(いちおう、光には伝えとくか)
彼女には、ゴーレムによる哨戒を依頼する心算だ。彼女の事であるから、もしかしたら覗き魔への対策として既に実行しておるかも知れんが。
「もうイイか? ならオレらも風呂入りに行こうぜ」
今度こそ取り調べが終了したので、クリントが入浴を誘ってきた。更にこう続ける。
「知ってるか? ココの男湯と女湯って隣接してるんだぜ?」
「どこも大抵はそうだろうが」
「オマエ察しがワリィな。しかもそれだけじゃなくて、壁もそんなに高くないんだぞ?」
我々にとっては、取るに足らぬ程度の障害である。そういう意図を含んだ物言いだ。
「となりゃあ、答えは決まってんだろ?」
「お前、全然こりてねぇな」
彼が言いたい事は容易に想像できる。やはり此処は、スコットに密告した方が良いのではなかろうか。そんな考えに駆られるが、もう少し待ってみた。
「お前、もう忘れたのか? さっきのは冗談で言ったんじゃないぞ?」
これは、『女湯を覗いたら数ヶ月前と同様、顔面を渾身の力で殴打する』という先刻の宣言の事である。勿論、それは彼も承知の上であった。
「いいや、よく覚えてるよ。ただ……」
「あ?」
【オマエは見たくないのか?】
そう呟いたクリントの面構えは、先程までとは打って変わって妖艶になった。本来は男に用いる単語ではないが、そう表現するしかない幻妖な形相に変貌したのだ。
「は!? なっ、何が……?!」
彼の発言に図らずも士の心は激しく揺さ振られた。何の前触れもなく友人が不意に豹変した事も相俟って、戦慄すら覚えた。
「どっ、どうしたんだ急に?! 声も変だぞ?!」
士の言葉を無視し、クリントは変質した声で更に発する。
【いま、ちょうどミキちゃんが入ってんだろ? 見たくないのか?】
その台詞と共に、クリントは徐々に士を壁際へと追い詰め始める。今までとは立場が逆転した。
「だっ、だから何を……?!」
彼の底知れぬ迫力に圧倒されるも、士は後退りをしつつも掠れた声で尋ねた。
【今さらトボけんなよ。分かってんだろ? オマエも】
しっかりとした足取りで緩やかに歩を進めながら、クリントは言の葉を紡ぐ。それは正しく悪魔が放つ甘い囁き。抗い難い誘惑であった。
【カノジョの裸、見たくねぇのかよ】
士の恐怖は頂点に達した。この一言でトドメを刺されたのだ。
(なんだよこいつっ!? いきなりどうしたってんだよ!?)
遂に壁際まで追い遣られ、逃げ場を失った士。いっその事、クリントを蹴り飛ばそうかという考えが脳裏を過る。するとその瞬間、頭蓋を叩いたと思しき鈍い音が響いた。
「ってーな! いきなり何すんだよ?!」
それはクリントの後頭部を殴った音であった。その衝撃の所為か、彼の声も元に戻った。同時に、その犯人と思われる声も聞こえてくる。
「ハイハイお遊びはソコまで」
しかし、声はすれども姿は視認できず。ただ、聞き覚えのある声と見覚えのある能力であった為、すぐにその正体は割れた。
「あーもう邪魔すんなよ。せっかくツカサがビビりはじめたトコなのによぉ」
不満気な面持ちで、後方の虚空に文句を投げ掛けるクリント。その途端、其方から人影が現出する。バッキーだ。予想に違わず、先刻の殴打は彼の仕業であったのだ。
「ツカサ、大丈夫? クリントってたまにこーゆーことするんだよねー」
「ハッ! ちょっとからかっただけだろうが。あんなビビるとは思わなかったけど」
「あ、アホかお前! 友達が急にオカシな言動になったらビックリぐらいするわ!」
如何やらクリントは、ただ単に戯れておっただけの模様。弄ばれた当人である士にとっては堪ったものではないが。
「クソッ! お前! 趣味悪いぞ!」
被った屈辱を思い返した士は、クリントに向かって悪態を吐いた。言われた彼は、それを笑って受け止める。
「ハッハッハッ! ワリィワリィ! まさかあんな風になるとは思わなくてな!」
「笑いごとじゃねぇ! こっちは本気でビビったってぇの!!」
叫ぶ士。ただ、悪魔の先達として言わせてもらえば、からかった内容は兎も角、あの時のクリントの様相や風貌は上級悪魔と呼ぶに相応しいものであった。
「ホラ、あんまりうるさくするとテンドーが起きちゃうよ」
バッキーに注意され、士とクリントは些細な言い争いを止めて風呂へ行く準備を再開した。




