不審②
(こっ……こりゃあ……?!)
一言で表すとすれば肉塊。それ以外に表現しようがない物体である。廊下の床から天井、及び左右の壁まで埋め尽くさんばかりの巨体だ。一応、手足らしき物は生えておる為、少なくとも元型は人間であったと思われる。唯一、それ等が二本以上ある点が変哲極まりない。不快感も倍増である。そのあまりの醜怪さに、士も思考の中断を余儀なくされた。
「ひぃっクソ……っ! いっ、行き止まりだ……!」
その間にも、この得体の知れぬ肉の塊が、四人を袋小路に追い詰めておった。あの時、逃げ道の選択を誤ったらしい。
「あぁ……もうダメだ……。ここで死ぬんだ……。食われるんだ……」
その証拠に、絶望と諦観が入り混じった声が醜悪な肉越しに聞こえてくる。発しておるのは、この廃病院での肝試しを思い切り楽しもうとしておった男であろう。第一声を聞いた数十分前と比較して酷く落差がある。
「どどどどうすんのよっ?!」
「どどどうするったって……!!」
「ああんたのせいよっ?! あんたがこんなトコに来ようって言うから!!」
「おおお前だって止めなかったじゃねぇかっ!! つか自分から付いて来たクセに文句言うな!!」
翻って、己をこの様な境遇に巻き込んだ張本人を激しく責め立てる女。無関心であった割りには、此処まで随伴した事は自身の意思であったか。それはそうとして、やはり今回の提案者はあの短慮そうな口調の男であったのだな。大体の予想は付いておったが。
「はぁっ?! 言い出しっぺがイチバン悪いに決まってんでしょうが!! あんた責任とってあいつに特攻して足止めしなさいよ!! その間に逃げるから!!」
尚も女の批難は続く。心情は共感できるが、この状況下でよくそれ程の余裕が出てくるものだ。序でに脱出計画を提示する位に活力もある。ただし内容はかなり無茶、というか脱走経路は全部塞がれておるからその案は無意味だ。あまりに想定外の現実に、判断力や冷静さを失っておるな。
「あぁっ神サマ仏サマ……! 何でもしますから助けて……っ!」
最後に、此処に来てから終始おっかな吃驚しっ放しであった娘が神仏に縋った。彼女の言葉を耳にした士は、瞬時に己が為すべき行いを覚る。即刻、それを実行に移すべく肉塊へ接近。両腕で無造作に掴み、後方に引き摺り歩く。抵抗はない。また、我が筋力の恩恵によって然程重いとは感じぬ。ただ、手に伝わる感触は不愉快としか言いようがない。何とも形容し難い手触りである。加えて、腐肉と薬品の臭いが鼻を突く。しかし、だからといって手放す事も出来ぬ。只管に、掌から這い上がってくる嫌悪感を我慢して、歩調を速める事に努めた。
「フンッ!」
そして、数秒足らずで廊下から広い空間に出ると、手に持った物体を叩き付ける様に壁へ投げた。衝突したまま微動だにせぬ肉塊。それを横目で認識しつつ、士は床にへたり込んでおる四人の所まで走り寄った。すると誰かの所有物であろうか、床に転がった懐中電灯が此方を照らす。人相の秘匿と眩しさを抑える為に、咄嗟に顔の前に手を翳して遮った。
「大丈夫ですかっ?!」
腕の位置を保持したまま、士は徐々に彼・彼女等へ近寄った。声を掛けつつ、安否を確かめる事も忘れぬ。
今は夏が本格的に始まる時期である故、服装は薄着だ。余程、慌てて逃げ回ったのであろう。四人の衣服は薄汚れ、所々破れておる。露出部分からも、多少の擦過傷や打撲、切創が確認できた。ただ、骨折等の大きな怪我を負っておらぬ事は救いと言えよう。このまま立ち上がって逃走する事が可能であるからだ。
「え、あ、ああ……」
士の問い掛けから数拍置いて、男性の片割れがやっと口を利いた。その声は乾いており、面持ちも呆然としたものである。尤も、それは他の者達も同様であったが。
「他の皆さんは?」
今一度、士は残りの三人に向けて尋ねた。
「え、ええ……。だ、大丈夫……です」
そうすると、もう一人の男性が吃りながらも返答。女性二人も、首を何度も縦に振って肯定した。一先ず安堵。
「お、お前は……?」
若干の平常心を取り戻した様子の男から、至極当然の質問が飛んできた。士は暫し迷い、こんな事もあろうかと予め用意しておった嘘で回答しようとする。だが、直前で取り止めざるを得んかった。右斜め後ろから物音がしたのだ。其方を振り向くと、肉塊がモゾモゾと蠢き始めておった。
「それは後で。アレが動き出しそうです。立ってください」
士は四人に起立を促した。それに対して、返事の代わりに懐中電灯を拾い、ヨロヨロと鈍い動作ながらも腰を上げる男性二人。この調子で女性二人もと思ったが、そうは問屋が卸さぬ。
「ま、待って……腰が抜けちゃった……」
「わ、私も……」
ふむ、行動不能者が二人も出たか。問題ない。こうなる事は織り込み済みだ。
「わ、わりぃ。俺もその……足が……」
「恥ずかしながら僕も。走るのはちょっと……」
何と、男性二人も立つだけで精一杯。満足に動けぬときた。目線を下げると、両者の下半身はガクガクと震えておる。流石にこれには気勢が削がれた。
(四人か……。運べるか?)
勿論、男女四人を担いで突っ走る事は不可能ではない。士が懸念しておるのは運搬の手段である。一人はデイパックを前に回せば背負える。二人は両脇に抱えれば良い。しかし、残る一人は如何する事が最善なのであろうか。この前の様に、尻尾を巻き付けて持ち運ぶ訳にもいかぬし。
(チッ、考えてるヒマは無さそうだ)
ガラガラという固形物が崩れる音が聞こえ、士は猶予がない事を察知。即座に四人の搬送に取り掛かった。
「ちょっと我慢してください」
士は事前に断りを入れ、身動きが取れぬ四人を肩に乗せた。両肩に二人ずつ、上下に無理矢理重ねて担いだ。その際、驚きこそすれ、誰からも抗議の声は上がらんかった。ただ案の定、重くはないが、物凄く持ち難い。この状態で階段を駆け下りるのは、ちと難儀するであろう。なので、今までと同じく、手っ取り早く屋上から飛び降りる事にした。
そうと決まれば早速行動を開始。活動を再開しようと奮闘しておる肉塊の脇を高速で通り過ぎ、屋上へ繋がる階段を駆け上がる。上に着くと、其処に在る扉を蹴破ってそのまま直進した。
「お、オイ……! お前、何するつも……!」
その行為に泡を喰った男が訊いてくるが、士はそれを無視。他の三人も何か叫んだが、それも黙殺。躊躇う事なく柵を跳び越え、重力に従って地上へと落ちた。
「「「「ア、アアアアァァァァァァッッ……ッッ?!」」」」
落下中、自然と大きな悲鳴を上げる四人。それを余所に、士は見事に地面に着地。勿論、その時に生じる衝撃を全て吸収して、彼・彼女等にダメージが及ばぬ様に配慮した。
「ひ、ひぃぃ……!」
「あ、あ、ぁぁ……」
「はっ……! はぁ……っ!」
「う、うぇ……」
地上七階相当の高さから転落するという、日常では体験せぬ出来事に四人は茫然自失としておる。心臓に悪かったであろう事は想像に難くない。士はそれに対して特に気にも留めず、四人が乗って来た自動車に足を向ける。その目前に設けられた橙色の柵を、難無く跳び越える。
「よっ……と」
その傍まで接近すると、士は四人をそっと降ろした。当面の危機は去ったが、彼・彼女等は未だに僅かながらも気が動転しておる。当たり前か。
「運転は出来そうですか?」
そんな四人に、士は尋ねた。その問いに、男の一人が息を整えながら答える。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ……っ」
そう言った彼の手はブルブルと震え、とても運転を任せられる様な状態ではない。
「な、なら、僕が運転する」
それを聞き、もう一人の男が述べた。名乗りを上げただけあり、彼に手や足の震えはない。だが、折角の彼の提言に女性の一人が物申す。
「で、でもあんたペーパードライバーじゃ……」
彼女の言う通り、この状況下で不慣れな者がハンドルを握るのは肝が冷える。下手を打てば、事故を起こす事も有り得るからだ。
「い、今はそんなこと気にしている場合じゃないっ……っ」
しかし、そのリスクを負ってでも此処から立ち去りたい。意を決した男は、素早く滑り込む様に運転席に着いた。
「みっ皆も早く乗って!」
彼の言葉に背中を押され、他の者達も乗り込んだ。四人共、足や腰が回復して何よりである。
「君も早く!」
一向に乗車しようとせぬ士を見兼ね、女性が自身の隣に座る様に誘う。しかしながら、その御言葉には甘えられん。与えられた責務を遣り遂げておらぬからだ。
「俺はまだやることがあるんで気にせず行ってください」
「は、ハァ?! あんたナニ言って……!!」
「イイから早く出してください! アレがまた来ますよ!」
病棟の方をチラリと確認した士は、有無を言わせず彼・彼女等に出発を強要した。キツイ口調ではあったが、先の女性の発言も含め、何方も互いを慮っての事である。
「あっ、あれを見ろっ!?」
未だに手の震えが治まらぬ男が、病院の方向を指差して叫んだ。士は二度に亘って其方に視線を送る。すると其処には、窓という窓から外へ出ようとする幾つもの肉塊の姿があった。奴等はその巨体を小さな窓枠に押し込み、強引に抜け出そうとしておる。
「あ、アレだけじゃなかったの!?」
その様子を目撃した女性が怯えた声を上げた。同じ光景を見た士は、運転席の男を急かす。
「早くエンジン掛けて!」
「あ、ああ……っ」
男が肯定の返事と共に、持ち主から預かった鍵を回す。意外にも、挿す動作は一回で済んだ。だが、エンジンの起動は一度では出来んかった。更に二度・三度と回してみるも、駆動し始める気配が全然ない。
(マズイ! あいつらドンドンこっちに近付いて来てる!!)
そうしておる間にも、何体もの肉塊が病棟の外壁を破壊しながら現れ出でる。長年放置されておった故、元々かなり脆くなっておったのだ。その様な所に奴等の体重による圧力が加わり、挙句の果てに耐え切れず崩壊。当然の帰結である。
(発車は……まだみたいだな)
距離こそまだ空いておるものの、このままでは何れ奴等の手が届いてしまう。張り巡らされた柵も、確実に押し倒されてしまうであろう。
「ちょっと! 早くしてよ!!」
「うるさいな!! 分かってるよ!」
切羽詰まったこの状況に、焦燥感を募らせる運転手。女の発した尖り声が、それに拍車を掛ける。しかし、それでもエンジンは掛からぬ。
「俺が時間を稼ぐんでその間に何とかしてください」
にじり寄る肉塊と発進せぬ自動車を交互に見遣った士は、そう述べて近辺に設置された道路標識を引っこ抜いた。根元にくっ付いたコンクリートがパラパラと粉になって落ちる。
「よし」
それを片手に、士は奴等の元へ歩き出す。その途端、彼奴等の進軍が少し速まった。今の振る舞いによって、明確に敵だと定められた様である。
「おっ、おいお前! 何する気なんだ?! バカなマネはやめろ!」
士の身を案じておるのか、男が助手席の窓から頭を出して叫んだ。
「せっ、先輩っ?! まだ掛からないんですか!?」
「くっクソッ! なんで掛からないんだよ?!」
続いて、後部座席の左側に座った女性が運転席に座った男に尋ねる。ところが、依然としてエンジンの吹く音は聞こえてこぬ。
(こりゃまだ時間かかりそうだな)
そう判断した士は背中のデイパックを下ろし、邪魔にならぬ所に投げ捨てた。歩みは止めず、徐々に奴等との間隔が縮まっていく。柵を乗り越え、遂に顔を見合わせる。やはり、何度見ても醜い。人体を粘土の如く粗雑に捏ね合わせた様な外観。なるべく直視はしたくない容貌である。
巨大な肉団子の彼方此方から、何十本もの手足が生えた造形である事は既知。新発見した事実は、その隙間を埋める様に同じ位の数の眼や鼻や耳や口が其処彼処に付いておる事だ。よく観察してみると、頭髪らしき物も目に飛び込んでくる。細部の構成は違うが、どの個体も概ねこの様な風貌である。
(にしてもこいつら、今の今までどこに居たんだ? 昼間探した時は影も形もなかったのに)
ジリジリと這い寄る肉塊を前にして、士の心には疑問が浮かぶ。それとは裏腹に、即席の武器を握る力はより一層強くなる。ふむ、戦闘態勢は整っておるな。
「とりあえず殴るか」
そう呟くと、士は道路標識を両手で握り直した。物騒な言い草ではあるが、あの様な所詮は肉の塊に過ぎん物と、会話が成立するとも思えん。他に有効な手立ても考え付かぬ。力尽くで足止めするしかないな。
「フンッ!!」
士は息を一気に吐き出し、最も近くに居った個体を勢い良く殴打。肉塊の外側を覆う手足が数本砕け、目や鼻が何個も潰れた。すると、奴は普通の人間と同様、各所にある口から耳を劈く様な絶叫を上げた。如何やら苦痛は感じる模様。同時に打撃は有効である事が判明。だが、その代償に道路標識は半ばで折れ曲がり、たった一撃で使い物にならなくなった。膂力が強過ぎたのか。
「チッ!!」
舌打ちした士は肉塊を駆け上がり、鈍器として使用不可能となった道路標識をその天辺に深々と突き刺した。駄目押しに、湾曲した箇所を真っ直ぐに修正して更に奥へ押し通す。ところが、奴の動作は鈍くなれども活動停止には至らぬ。その間隙を縫い、他の個体が自動車へ迫ろうとする。しかし、その金属の塊は、ただ座して死を待つだけの餌を仕舞っておく箱ではない。間一髪のところで、待望の始動音が轟く。
「よしっ!! 掛かったっ!!」
その瞬間、歓喜に満ちた声が運転席から上がった。それから間を置かずに、後部座席の右側に座った女性が士に向かって大声で言う。
「あんたも早く乗りなさい!!」
「俺のことはいいんで早く逃げてください!!」
大変有難いが、目的も果たさず此処を離脱する訳にもいかぬ。なので、士は肉塊から跳び下りてそう即答した。しかしながら、すぐにでも自動車が動き出すかと思いきや、其方からは予想外の叱責が飛んでくる。
「あんたまだそんなこと言ってんの?! イイから早く来なさいっ!!」
(なんで俺が怒られてんの?!)
流石に年下の者を放り出して、自分達だけ遁走する気にはなれんのであろうよ。その証左に、他の三人も口々に『乗れ』と連呼する。これが良くなかった。奴等を刺激してしまった。
「うおぉ……っ!?」
「きゃっ……?!」
「なっ、なんだ?!」
「う後ろっ!?」
四人の呼び声に導かれ、外に居る肉塊が一斉に自動車へと群がった。今日、此奴等と出遭ってから見た中でも最速のアクションである。その内の一体がトランクにしがみ付き、発車を妨害する。このままでは拙い。そう直感した士は、始末したばかりの個体を持ち上げ、車体の後部へ目掛けて投げ付ける。
「ウッ……ッ、ラアァァッ!!」
投擲は見事に的中。大した間合いでは無かった事が幸いした。二つの肉塊は激しく打つかり合い、仲良く道路を転がる。ヒト及び車両の通行量は零に等しい為、事故の心配は無用だ。ところが、一難去ってまた一難。別の個体が車両に追い縋る。
「フンッ!!」
そうはさせじと、士は彼奴に全力の突進を喰らわせた。先刻の二体の様に、この個体も大きく転倒。その後も数体が似た様な行為を採ったが、全て寸でのところで阻止できた。
「今の内に!! 早く!!」
粗方、発進の妨げになるモノを排除した士は、自動車に乗った四人に向かってそう言い放った。一瞬の間があって、運転手は漸くアクセルを踏んだ。その際、男達の悔しそうな顔と、女達の心苦しそうな顔が見えた。
あの者達には申し訳ないが、その様な表情を浮かべられるのは心外である。これではまるで、士が自らの命を犠牲にして四人を助けたみたいではないか。この程度の輩を片付けるのに、此奴が命を賭す必要性は微塵もない。故に、貴様等が後ろめたさを感じる必要もない。そう教えておけば良かったな。後悔しても遅いが。




