降伏のホシ②
「おや? 君はさっきの……?」
彼女に釣られて、男の方もやっと士の存在を認識した。ただ、此処で一つの問題が発生する。
「なんでここに?」
眉を少し顰め、怪訝そうな表情で尋ねる男。当然の反応である。さて、如何するのだ、士よ。下手な説明は己の首を絞めるぞ。
「あー、えーと、それはですね……」
士は必死で考える。この場を切り抜けられる、上手い言い訳を。
「じ、実はですねぇ……」
「実は、なんですか?」
容赦なく問い詰める男。これ以上、要らぬ疑念を抱かせてはならぬ。意を決した士は、暫しの熟考の後にこう切り出した。
「い、以前、さっきのアレに襲われたことがありまして……」
「へぇ。それで?」
士の発言は、普通の人間ならば到底信じられぬ様な内容である。だが、それを聞いて尚、男は冷静に続きを促した。
「お、お二人と別れた後にアレを見つけたんで、後をつけたんです」
「一度襲われたのにかい?」
「え、ええ、そのときは撃退できたので。それで、放っておくと誰かが被害に遭うかもしれないと思ったんで尾行することに」
「ふ~ん」
てっきり我関せずの姿勢で居ると思っておったが、望月 瞳は興味なさそうにしつつも相槌を打つ。実際は一杯喰わされた挙句、逃げられただけであるが、この際如何でも良い。というか、彼女は理解しておるのかね。まだ五歳か其処等であるというのに。
「で、アレを追ってる内にここに入って行くのが見えたんで、明かりも点いていましたし、中の人が危ないと思って入ったら悲鳴が聞こえたんで突入しました」
脳細胞を限界まで酷使し、何とかこれだけを絞り出した。口調も若干たどたどしい。ただ、嘘を吐く事に慣れておらぬ士と雖も、一から十まで捏造した訳ではない為、二人が覚える違和感は少ない筈だ。希望的観測ではあるが。
「なるほど、そういう訳だったのですか」
士が苦し紛れに吐いた拙い虚言で、男は納得してくれた様だ。そしてこう続ける。
「今日は二回も我々を助けていただいてありがとうございました。お礼は後日いたしますので、今日のところはお帰りください。もう夜も遅いですし」
彼の喋り方は随分と杓子定規であった。それに、有無を言わせぬ迫力もある。今し方、ナマハゲを見て気を失った男と同一人物とは思えぬ位だ。ただこうなると、長居されると都合が悪いのか、と邪推してしまう。
(チッ、でも確かに、ここに留まる理由はなくなっちまった)
此処は大人しく退散するしかない。士はそう悟った。手掛かりを目前にして立ち去るのは本日二度目である。歯痒いが、致し方ない。だが、我等が諦めかけたその時、士の超人的な聴覚が微細な音を捉えた。
(ん? これは……足音?)
それは、何者かがこの建物の階段を駆け上がる音であり、同時に我等にとっての福音でもあった。その音は徐々に大きくなっていき、他の二人の耳にも届いた様子。そして間もなく、背後の扉が勢い良く開かれる。其処に現れたるは救世主。否、女神が降臨する。
「警察よ! 動かないで!」
威勢の良い声が部屋中に響く。その声の主は美咲 凜花。彼女は悠然と男の元まで歩いて来る。よく見ると、彼女は己の役職を示す警察手帳を右手に、もう片方の手には何やら紙切れを携えておった。手帳の方は、我々三人が見える様に胸の前に開いて掲げておる。他方、紙切れの方は折り畳まれておる故、何が記されておるのか全く分からぬ。
「け、警察?!」
美咲の登場により、男は驚きの声を上げた。そんな彼に、望月 瞳はヒソヒソ声で問い質す。
「ちょ、ちょっとあんた……っ! 大丈夫って言ったじゃない!」
途端に慌てふためき始める二人。先刻までの落ち着き振りが嘘の様だ。やはり、何か疚しい事があると見える。
「け、警察の方が何の御用でしょうか?」
男は表層だけでも何とか取り繕い、やや上擦った声で美咲に尋ねる。
(ちょっとボロ出てたし、今さら誤魔化しても遅いだろ)
だからといって、何の証拠も挙げられずに認める訳にもいくまい。そもそも彼等が銀行強盗の真犯人と決まってはおらぬぞ。美咲が此処に来た理由にもよるが。
(それ以外に何があるんだよ。あの人が持ってんの、アレたぶん令状だろ。逮捕しに来たんだよ)
年齢を鑑みれば、望月 瞳に縄は掛けられぬ筈。ならば男の方だけに下りたのか。しかし、何れにせよ断言は出来ぬ。令状は令状でも、捜査令状かも知れぬからだ。
結果だけを言えば、それは要らぬ杞憂であった。士の推理が的中し、男は逮捕されたからである。罪状は未成年者略取及び誘拐罪と強盗罪。我々が推論した内容と一緒であった。
「で、でも、なんでこの人が犯人だって分かったんですか? なんにも無かったんでしょう? 証拠も証言も」
美咲が男に手錠を掛ける様を呆然と見詰めておった士。急展開により、思考が一旦停止したのだ。だが、すぐにハッと思い至り、彼女に質問した。
「ええ。証人も居なかったし、警察の捜査じゃムリだったわね。情けないけど仕方ないわ。ウチは相手が人間であることを前提に動いてるんだから」
「それは……そうですよねぇ……」
人間の突然変異体や人類以外の知的生物の実在を、世間一般・公式的に認知しておらぬのだ。個々の警察官ならば兎も角、国家機関たる警察組織全体がそれ等を想定しておる筈がない。科学捜査の技術が世界屈指と雖も、そういう存在を念頭に置いておらぬのであれば難航して当然。では何故、美咲は彼を犯人として逮捕できたのであろうか。裁判所からの正式な令状まで貰って来て。
「そんなの簡単よ。そういう特別な能力がある人に手伝ってもらったの」
「神城さんですか?」
「拳? 違うわ。彼はこういうことに不向きなの。君と同じでね。手を借りたのは別の人よ」
「へぇ、そうだったんですか」
「まぁ、実際に会ってはないけどね」
「え?!」
美咲の弁によると、彼女宛てに手紙が届き、其処に全て書かれておったそうな。
(よくそんなモン信じたな……)
それには得も知れぬ説得力と、信じなくてはならぬという強制力があった。士が尋ねる前に彼女はそう言った。魔術的な何かが仕込まれておったのかも知れんな。悪意のあるモノでなければ良いが。後で霊能者にでも見て貰うか。その為には実物が必要だ。
「ちなみに、それって今も持ってますか?」
「ええ。これよ」
美咲は懐から例の手紙を出し、士に渡した。受け取った物は、何の変哲もない封筒である。これに入っておるのか。差出人の名前は書かれておらぬ。それを折り畳んでポケットに仕舞う。
訊きたい事はもう一つある。
「あ、でも、令状はどうやって取ったんですか? そのことを説明したって門前払いか鼻で嗤われるのがオチでしょう?」
ちゃんとした根拠を示さねば、逮捕も捜査も許可されんからな。士は其処に突っ込んだのだが、美咲の回答は疑問の解消どころか更に謎を深めるものであった。
「う~ん、そこは私も分かんないのよねぇ」
「は? どういうことですか?」
「これもねぇ、さっき言った人が送ってきたの。一応、本物ではあるみたいなんだけど」
「えぇ?! そんな不確かなモンで逮捕に踏み切って大丈夫なんですか?! ていうかその前に、ホントに本物なんですか? それ」
驚きのあまり声を荒げる士は、美咲が持っておる令状らしき物を指差した。すると、話を聞いておった男が抗議する。
「れ、令状がないんなら逮捕も家宅捜査もできないだろ?! は、早く手錠を外せよ! こ、こんなの国家権力の横暴だ! 人権侵害で訴えるぞ!!」
「うるさい」
「ぶっ……っ!!」
喚く男に美咲は容赦なく平手打ちを喰らわせた。パァンッという乾いた音が耳を打つ。彼は至極真っ当な主張をしただけだが、彼女も耳障りな大声を黙らせたかっただけであろう。とても理不尽な話ではあるが。ただ、彼女がこういう性格である事には、士もそろそろ気が付いておった。故に、特に吃驚もせぬ。とはいえ、流石にこのままでは宜しくないので、おずおずしつつも注意はした。
「み、美咲さん、いくらなんでもそれはマズイんじゃ……」
「へーき、へーき。いざとなったら公務執行妨害ってことにするから。だいたい、こんなカヨワイ女の子のビンタなんかで音を上げてる男の方がオカシイのよ。ていうか私にぶたれたんだから寧ろ御褒美だと思いなさいよ」
美咲は悪びれもせずに宣う。これが日本の警察組織のキャリアというものなのか。
(いや、単にこの人が特殊なだけだろ。皆が皆こんなんだったらとっくに崩壊してるって)
美咲の不遜についてはさて置き、念には念を入れて、士は彼女に再度確認する。
「もう一度訊きますけど、それホントに本物なんですよね?」
「しつこいわねぇ、大丈夫よ。私が言うんだから間違いないわ。今まで何十枚見てきたと思ってんの?」
自信満々で言い返す美咲。本職に此処まで言われれば、これ以上は素人が口を出しようがない。士は勿論、我もこの国の令状なんぞ見た事がない故に。ただこれで、もしも令状が偽物であったとしても、士に責任は発生せぬ筈だ。
「ほら、ちゃんと立って自分で歩きなさい」
国家権力の過ちという、最後の希望を打ち砕かれて立ち尽くす男。そんな彼を、己の足で歩行する様に促す美咲。それを見た士は、今の今まで蚊帳の外であった者の事を口にする。
「あ、ちょっと美咲さん、この子はどうするんですか?」
士が視線で示した者は、この状況に唖然としておる望月 瞳である。
「あ~その子ね、桜に引き渡すから……」
美咲がそう言い掛けた瞬間、望月 瞳が大きく息を吸い込む姿を捉えた。
「そう何度も喰らってたまるかっ!!」
咄嗟に駆け出した士は、彼女の口を手で塞いであの爆音を阻止した。当然、それでも彼女は声を発しようとするが、漏れ聞こえてくるのはただの唸り声。かなり良心が痛むが、心を鬼にして黙殺する。その様子を見た美咲が一言。
「君にも手錠かけた方がイイ?」
「こうしとかないと危険なんですよ!」
三度も鼓膜を破られては敵わんからな。それだけではなく、脳も揺さ振られる。士は良くても、美咲にとっては一生を左右する程の怪我を負わせてしまう可能性がある。それは絶対に避けねばならん。例え、変態の烙印を押され、有らぬ誹りを受けようとも。
「んー!! ンーッ!!」
無論、その様な事を考えておる間にも、望月 瞳は声にならぬ声を上げる。手足をジタバタと振り回して踠く。だが、暫くそうしておる内に、疲労からか次第に大人しくなった。
「まぁイイわ。その子は君が連れ……っと、それはちょっとマズイわね……」
そう呟き、ほんの数秒間だけ沈黙が流れた後、美咲はこう言った。
「もうすぐ美輝ちゃんが来るから、その子は彼女に連れて行ってもらいましょ。君だと面倒事が増えるだけだし」
「光が? なんでそんなことが分かるんですか?」
「これよ」
その一言と共に美咲が示した先は、自身のシャツの襟元。其処に付着しておった物には見覚えがあった。それもその筈、それは美輝が使役しておる蜘蛛型ゴーレムに他ならん。
(そういや、美咲さんも一枚噛んでるんだっけ)
このゴーレムの製作には、美咲も携わっておると事前に美輝から聞かされた。それ故、彼女がこれを所有しておっても別段不思議ではない。我々が此処に居る事も、彼女が伝えたのだという。
「最初はこいつの家に行ったんだけど蛻の殻。いま思えば当たり前だけど。で、そこにちょうど美輝ちゃんからの連絡があったの」
「そうだったんですか」
美咲から此処に来るまでの経緯を伺っておると、誰かが階段を昇って来る音がした。十中八九、美輝であろう。案の定、開かれた扉から入って来たのは彼女であった。
「はぁ……はぁ……っ、お、遅くなりました……っ」
彼女は走って来たのか、息を切らしておった。その姿に少し興奮する士。
「あら、もう来たのね。別にそんなに急がなくても良かったのに」
急いで駆け付けた美輝に、美咲は早速指示を下す。序でに、未だに望月 瞳の口に手を当てたままの士にも。
「じゃあ、さっき言った通りその子をお願い。石森君と一緒に桜……は分かんないわよね。まぁとにかく特区に行ってちょうだい。あとは石森君に任せとけばイイから」
美咲は最早、美輝がこういう事を手伝って当然というか、違和感を抱いてはおらぬ様だ。これは歓迎すべき事なのであろうか。ただ、美輝の能力が役に立つ事は身を以て体験した。美咲もそう判断したからこそ、彼女を関わらせたのであろう。ゴーレム作りに口を出した事が、その証明の一つである。実際に確認もせずに行った事は、彼女らしくない気もするが。
(ん? 誰からだ?)
我々五人が部屋を出ようとした正にその時、電話の着信音が聞こえた。士はポケットから携帯電話を取り出すが、これが鳴っておった訳ではないらしい。美咲も美輝もそれぞれ自分の物を確認したが、右に同じ。では、誰の物であろうか。或いは、この部屋の固定電話か。
「わ、私の物だ……っ!!」
違った。鳴っておったのは男の携帯電話の様だ。彼は自身の携帯電話に着信があると理解した途端、顔面から一気に血の気が引いた。
「は、早く!! 早く私を警察署に連れて行ってくれっ!!」
そして、男はそう叫びながら美咲に縋り付いた。尋常ではない怯え振りだ。これでもかという位に必死さが伝わってくる。心成しか、蒼白になった顔面が更に白くなった気もした。
「うるっさいわね! 言われなくてもそうするわよ! ていうかアンタ! ドサクサにまぎれてドコ触ってんのよ!」
哀れなまでに『連行してくれ』と希う男を、まるで痴漢を相手取るかの如く罵倒する美咲。今のところ暴力は振るっておらんが、このままだと時間の問題である。
(ホントに痴漢なんかしたら、こんなんじゃ済まないんだろうなぁ)
最悪、社会的だけではなく男性として殺されかねんな。
「そんなことどうでもイイから早く!!」
美咲に怒鳴られ、あまりのしつこさから遂には足蹴にされた男。それでも尚、彼は『早く』と急かす。それに加え、何度か『保護してくれ』とも繰り返した。
(保護? どういう意味だ?)
その問いが士の口から発せられる直前、美咲の怒号が飛ぶ。
「あーもう!! 分かってるって言ってんでしょうがっ! そんなにしがみつかれたら動きたくても動けないのよ!! 石森君!! その子の前に署までこいつ連行するの手伝って!!」
「は、はい! うおっ!?」
彼女の要請に士が了承の返事をするや否や、間髪入れずに男を押し付けられた。乱暴な扱いだが、致し方ない。士は左手で望月 瞳の口を塞いだまま、右手で男を抱き留めた。それを確認した後、美咲はこうも告げた。
「あーそれと石森君、そいつからケータイ取り上げて電源切っといて」
そういえば、男の携帯電話はあれからずっと鳴り続けておる。余程、彼に出て欲しい用事がある様だ。だが、我々には関係のない話である。早急に男のポケットから探り当て、停止ボタンを押さねばならぬ。煩くて仕方がない。
「失礼しますよ」
士は断りを入れると、男が着ておるスーツやズボンのポケットを弄っていく。用いるのは、比較的自由の利く右手だ。彼からは特に抵抗もない。その代わり、何か譫言を呟いておる。とうとう錯乱し始めたらしい。
次は二週間後。




