蠢く邪心②
園崎邸を出た士とスコットは、クリントとバッキーが奴を目撃したと主張する場所へ赴いた。それ程、遠い所ではない様だ。二人が全速力で走って、十分と掛からぬ。今度こそジンメン本人が居れば良いが。尚、二人とは直に合流せぬ。その方が有利に事を運べる故。
「どこに居るんだ?」
現場に到着して早々、士はスコットに尋ねる。それを受けた彼は、他の二人にジンメンの正確な位置を訊く。
「この辺りに居ると聞いたが……見当たらないな」
上下・前後・左右を見回し、スコットは答えた。
「そいつどころか、人っ子ひとり居ねぇぞ。どうなってんだ?」
「さっきまでは見えていたらしいが、オレたちが来る少し前から姿を消したそうだ」
「バッキーみたいに透明になったのか?」
「あるいは、とっくにこの場から立ち去ったか」
まさか、無駄足を踏んでしまったのか。この火急の事態に。一刻も早く彼女の安全を確保せねばならぬのに。徐々に焦りを募らせる士とスコット。
我も胸の内は彼等と同じである、しかし一方で、二人の意見に首を傾げざるを得ぬ。奴は上級悪魔であるが、運動能力は大して高くはない。そら人間とは比べられんが。
若造とはいえ、三人の上級悪魔と一人のミュータントが後を追っておる。全力で、必死に。加えて一人の最上級悪魔も。そう簡単に逃げ切れる、行方を晦ませられるとは思えぬ。
また、仮面に何等かの効力を宿すには、それに見合うだけの手間と素材が必要になる。腕前は言わずもがな。今回、奴に与えられた期間は一週間。昔から頻繁に拵えておった死体を動かせる仮面は即席で作れても、透明化の仮面は作り慣れておらぬ。七日間、それも逃走しつつとなれば、まず無理であろう。
もう一つの手段として空間転移が考えられるが、これも恐らく同様だ。因みに、スコット達が士を伊豆から八王子へ転送した術と同系統。細部は異なるが。
それに元となる素材も、人間界にある間に合わせの物という訳にもいかぬ。代用品はあろうが、その収集も勝手の利かぬこの土地では殆ど不可能な筈。
(つまり何が言いたいんだ?)
(奴はこの近くに居る。少なくとも遠くへは行っておらん)
(範囲は絞れたけど、この辺は入り組んでるし、建物も多いから捜すのは骨だぞ)
なので、増援を寄越して貰おうとスコットの方へ首を動かす士。視線の先に、彼の背後に奇妙な影が迫っておるのが見えた。彼も此方を向いておる。しかし、スコットはそれに気を止める事をせず、何故か士を睨みながら剣を握る。
(スコット? 何やって……? 気づいてねぇのか?)
仕方がない。代わりに自分が掃ってやろうと、士は地面を強く蹴って跳び出した。
(なっ……っ!?)
またもや何故。スコットも士と似た様な動作で剣を振るって来たのだ。こうなってはもう、方向転換は利かぬ。避けられぬ。打つかる。斬られる。そう悟った瞬間、二人は擦れ違った。
(ん? あれ?)
疑問を抱きつつ、奇妙な影の主を拳で撃退する士。それはやはりというか、仮面を被った輩であった。ただ、これまでの個体と比較して違和感を覚える。
(いや、今はそれどころじゃない。スコットは何がしたかったんだ?)
それを解消する為、士は振り返った。すると其処には、同じく地に伏せる仮面らしき者とその傍に立つ彼が居った。
(なるほど、あいつも俺と一緒だったってことか)
スコットと同様、士の後ろにも、ジンメンの下僕の一人が迫って来ておったのだ。撃退までの経過もほぼ似た様な感じであろう。
「ん? コイツは……」
ふと、仮面を見下ろすスコット。彼の顔に変化が見られた。あまり良いものでは無さそうだ。
「どうした?」
「この顔、見覚えがある。誰だったか……そうだ、バラム様の部下の一人だ。たしか、四日前から行方不明になっていたハズ。そうか、ヤツに捕えられていたのか」
そういう事か。先程、我が覚えた違和感の正体はこれか。人間よりも下級悪魔の方が、戦闘時の手応えが段違いなのは自明の理。この者の様に、軍や警察関係者ならば尚更である。
「えらく冷静だな。丸っきり他人ってワケじゃないんだろ?」
淡々と事実を述べるスコットに、士は若干の皮肉を込めてそう言った。
「いいや、写真で見たことがあるだけだ。直接会ったことはない」
それだけでよく記憶に留めておれるな。
「だからといって何も感じないワケではないが、ココで慌てても事態は好転しない。こういう時こそクールに徹しなくてはならない。そしてヤツを捕える。それがカレらの弔いになる」
まともに言い返され、次の言葉に詰まる士。その間にスコットが確認したところ、士が倒した相手もブルースの部下だそうだ。
(ふむ……)
(なんだ? 何か思いついたのか?)
ジンメンは、戦闘行為に従事する下級悪魔を己の警護に当たらせたのではなかろうか。くどい様だが、奴は戦いを不得手としておる。それを知る者ならば、自然とその答えに行き着く。この者達は、奴がこの近辺に潜んでおる事の、何よりの証左である。
「なるほど、一理ありますね」
その考えを、士が代弁してスコットに伝えた。彼は思考に没頭し、親指と人差し指で顎を擦る。
「しかし、そのような事をすれば隠れ家が露呈してしまう危険性があります。それを読めない相手ではないと伺っていますが」
また囮かも知れない。彼はそう言いたいのだ。ただ、こういう事を考えればキリがないな。
「お前はアホか。そう思わせることがヤツの狙いかもしんねぇだろ」
今度は士が我に代わって返答。
「誰がアホだ。オマエよりはマシだ。オレはあくまでも可能性を示したに過ぎない」
喧嘩をしておる場合ではない。二人共それは百も承知である為、これで言い争いは終了。
「なんにしろ、手掛かりはココしかない」
「まぁ、信頼できる筋からの情報だし、現に重要な証拠もあったもんな」
此処に留まっておっても如何にもならん。なので、会話を続けつつ二人は歩き出した。
「でも、ヤツを虱潰しに捜してるヒマはねぇぞ。ここはビルが多いし、路地裏もイッパイあるし。そんなことしてる間に香奈ちゃんが……」
―『ほほう、あの娘の名はカナと言うのか』―
突如、頭上から耳障りな声が降ってきた。
「だ……っ?! 誰だっ!?」
見上げる士。だが、隣を往くスコットは前方を見据えておる。
「ツカサ、ソッチはただの仮面。本体はコッチだ」
彼が発する声は、普段以上に真剣に聞こえた。それに導かれ、士が其方を向くと立っておる。
「オマエら、あの家に居たヤツらだな」
其処に居ったのは金髪の男。着けておった仮面を剥ぎ、素顔を晒した。見た目は四十代半ばといったところだが、実年齢は我と大して変わらぬ。数千年の時を生きた最上級悪魔だ。
(ジンメン……ッッ!)
歳や長い獄中生活の所為もあろうが、より一層深く刻まれた皺と少々やつれた頬。僅か一週間とはいえ、それが奴の慣れぬ土地での逃亡生活を物語っておる。他方、着衣は新品で小奇麗。此方で入手した物の様だ。囚人服はとうに脱ぎ捨てたか。まあ、当たり前か。目立つからな。
(ふむ、アレか)
今し方、奴が外した仮面を見る。恐らく、アレの効用でルシファー様の追跡を逃れたのだな。
(ジンメン……こいつが……)
士は初めて奴を正面から捉えた。何故、自ら姿を晒したのかは不明だが、これは願ってもおらぬ絶好の機会。逃してはならぬ。
「あー、黙ってても無駄だ。仮面を通して見聞きしてたからな」
既にバレておるか。しかし、それ位は我々も予想済み。動揺はせぬ。
(香奈ちゃんが居ない……っ! どっかに監禁してんのかっ?!)
士以外は。表に出さぬ様に努めてはおるが、内心ではかなり焦っておる。
「なぜココに居る? 偶然ってワケじゃないだろ? まさか、迷い込んだとでも言うつもりか?」
む、奇妙だな。此奴、二人が悪魔と人外である事に感付いておらぬ様子だ。それとも気付いてはおるが、敢えて触れてこぬだけか。
「ふむ、警戒してるのか。ってことは同胞だな?」
押し黙ったままの二人に詰め寄りながら、ジンメンは更なる確信を得る様に尋ねる。
「同胞? なんのことだ?」
それに対し、士は惚けた。事情は知っておるが、これ自体は嘘ではない。だが、奴には通じんかった様だ。
「隠すな、隠すな。オレにはお見通しだ。ソッチの金髪の兄ちゃんは純正、ソレも上級悪魔。剣を使うってこたぁカイムかボティス、あるいはアンドラスか。コッチの黒髪は、たぶん現地の人間か? オレと出会っちまって不運だったな」
(おい! こっちの素性ほとんどバレてんぞ!)
一部を除いてバッチリ見抜かれておるな。先程の急襲で、情報を収集されたか。我の事はまだ察知されておらぬ様だが、時間の問題かも知れん。
「悪魔? アンタ何を言っているんだ?」
スコットも、奴の言っておる事が分からぬフリをする。
「フフ、あくまでもシラを切るつもりか。無駄だって言ってるだろ」
こうも自信満々に断言するとは……。如何やら、此方の正体は看破されておると見て間違いなさそうだ。
「ハァ、どうやら本当に分かっているみたいだな。だが、それならなぜオレたちの前に現れたんだ? 自首する気にでもなったのか?」
それを感じ取り、至極真っ当な詰問をするスコット。ジンメンはそれを鼻で笑って否定する。
「フフン、そんなワケねぇだろ」
「ならば人質と交換で何か要求する気か? だとしたら相当なマヌケだな」
此奴を此処で確保してしまえば、香奈が助かる確率が最も高いのは火を見るより明らか。奴もそれは分かっておる筈。糞っ。奴の思考回路が如何いう仕組みになっておるのか、益々(ますます)分からん様になってきた。
「もう逃げ回るのは疲れた。だが、オマエらに捕まって、またムショ行きは勘弁してぇ」
そう言うジンメンの肉体がドンドン膨らんでいく。衣服は襤褸切れ同然になり、奴の体から剥がれる。容姿が人間から掛け離れていく。
「となりゃ話は簡単だ。追って来る野郎どもを全員返り討ちにすりゃ良い」
肌は深い緑色。皺や疣が以前よりも増えておる。背中には巨大な甲羅が顕現する。首が伸び、頭の形状も変化していく。
【どんな手段を使ってもなっ!!】
その叫びと同時に、奴の変身は完了した。
(なるほど、ブルースさんが『カメ』って言ってたのはこの事か)
其処に出現したモノは、ワゴン車を思わせる位に巨大化した陸亀。奴の、ジンメンことクラーシス・オスマン・マブロニック・アガレスの真の姿である。
(あっちから戦闘に持ち込んでくれるんなら好都合だ。スコットも居るし、クリントとバッキーも近くでこの様子を見守ってるハズ。断然こっちが有利だ)
士の言い分は正しい。元より、ジンメンは戦いが苦手だ。此奴自身もそうだが、加えて心強い味方が三人も付いておる。
だというのに、戦闘は不得手な癖に、奴は何故この様な手段を採ったのだ?! 先刻の襲撃で、眼前の二人の力量は測れた筈だ。それを見誤る様な馬鹿ではない。死体の御供を一体も連れず、香奈を、人質を盾にする事もせぬ。これは奴に、貴族として・最上級を賜った悪魔として最低限の誇りが残っておる証拠であると願いたい。
(でもなんでだ? さっきから胸騒ぎが治まらない……)
我も士と同様、心中が穏やかではない。往々にして、願っておるモノ・信じたいモノ程、こっ酷く裏切られる事が多い。
「アンタは闘いを避けて生きてきたと聞いていたが、なぜ今になってオレたちと相対する気になったんだ? 自暴自棄にでもなったのか?」
両手に剣を一振りずつ握りながら、スコットは単刀直入に訊く。
【質問が好きな野郎だな。んなこと訊いてる間に何回オレを斬れると思う?】
ジンメンはスコットを挑発する。何故こうも戦闘に持っていきたがるのか。真意は未だ掴めぬ。
「それもそうか」
「敵に諭されてんじゃねぇよ」
【グダグダ言ってねぇでさっさと掛かって来たらどうだ? 来ねぇならコッチから……】
奴が言い切る前、重心が変わろうとした瞬間に、二人は跳び出した。それはまるで、事前に示し合わせたかの様な絶妙なタイミングであった。奴との距離は数十mあるが、此奴等ならば数秒で詰めるであろう。
【オイオイ、ひとの話は最後まで聴くもんだぜ? とくに年長者のはな】
迫り来る拳と剣を前に、余裕を崩さぬジンメン。それどころか防御も回避行動も執らぬ。何方も、まともに受ければ致命傷は免れぬ攻撃である。しかし、奴は相変わらずその場に突っ立っておるだけだ。不気味にも程がある。
「罪人の言葉に耳を傾けるのはオレの仕事ではない」
「ってかお前、人じゃねぇし」
「「さっさと御縄につけ」」
異口同音。奴の不審さを気にも留めず、二人は駆ける。士は右側面から腹を、スコットは左側面から脚をそれぞれ狙う。
「なっ……っっ!? ツカサっ!! 止まれっ!!」
ところが、スコットが前触れなしにストップを掛けた。唐突に停止を命令された士は、蹈鞴を踏みつつ何とか静止する。
「なんで止めるんだよっ?!」
当然、士は憤慨する。だが、スコットの顔を見て、すぐに唯事ではないと理解した。苦虫を噛み潰した様な顔とはこの事か。
【ハハ、気付いたみてぇだな】
それを見て、ジンメンは不敵に笑う。
(気付く? 何を?)
此方側からは、これといった異変は確認できん。それにも拘らず、士の焦燥は強まる一方である。根拠等ない。直感と本能だ。
「なんの話をしてんだ?! スコット! 何があった?!」
士の詰問に、彼は何も答えぬ。その代わり、ジンメンが己の所業を徐に語り始めた。
【オレは戦いが苦手だ。オマエらの始末も、普通なら下僕どもにやらせる。だが、ソレらはことごとく潰された。アイツらじゃ力不足。さっきのヤツで手駒も既に尽きた。こうなったら最後の賭けに出るしかねぇ。もともとこんな形で使う気はなかったが、意外なトコで役に立ったな】
奴は言い終わると、ゆっくりと後ろを向いて背中の甲羅を見せ付けた。
「なっ……っ?! テメェ……ッッ!!」
“それ”が視界に入った瞬間、怒りを露にする士。しかし、奴に向かって行けぬ。
(グッ……ッッ! これじゃ手が出せねぇ……っ!!)
我々が見たモノ。それは、甲羅のマスの一つに張り付く香奈の寝顔であった。
(クラァァシィィスッッ!! 其処まで堕ちたかぁぁっっ!!)
【言ったろ? どんな手段を使っても逃げ切ってやるってな】
我の絶叫が聞こえた訳では無かろうが、ジンメンはそう宣言した。




