お前は誰だ?②
「あっ……!?」
一時間近く走られておると、士が何の前振りもなく思い切り後ろに引っくり返った。これ以上ないと言える程に、見事な転倒である。それと共に餃子の入った袋が宙を舞い、箱が辺りに散乱した。ビッチリと封がされておる為、中身は出ておらんが、回収しておる暇はない。晩飯は抜きか、或いは家にあるインスタント食品やレトルト食品で済ますしかないな。これを無事に切り抜けられれば、の話であるが。
「痛ぅっ!? なんだ?! 冷たっ!?」
尻餅を着いた地面は冷たく、其処には氷が張られておった。後頭部を強かに打ち付けた士は、瘤が出来ておらんか確かめる様に摩りながら上半身を起こし、周りを見渡す。すると転倒した所より前方、立っておるのは一本の木。その根元には矢が。冷気はこの矢から発せられ、土中の水分等を凍り付かせておると見て良い。
貫通・追尾・燃焼・破壊・爆発・凍結。これ程までに多様な矢を、遠距離から高精度に射られる者。まさか……!?
(士! 立ち止まるな!!)
「え……?! グアッ!?」
肩に痛みを感じ、悲鳴を上げた士。滑る氷上に何とか耐えつつ立ち上がったものの、再び膝を着く羽目になった。その辺りを手で探ると、指先には矢の感触が。しかし、肩に突き刺さった矢の効力は、それだけに止まらぬ。
「アガガガガガガッッ!?」
感電しておる。全身を激しく痙攣させ、凍った地面に倒れる士。此奴の鋼以上に強靭な筋繊維を貫いただけでも脅威だというのに、よもや電撃とは。士にも皮下脂肪は豊富にあるが、矢がそれを飛び越えて直接筋肉に電気を流しておるから無意味なのだ。
時間にして僅か数秒。電気ショックが止み、士の意思に反した動きは止まった。体からはプスプスと煙が上がり、焼け焦げた肉の臭いが鼻を突く。
「臭っ!? なんちゅう臭いだ!」
(それは貴様が放っておるモノだ)
案の定、ものの数秒で士のダメージは回復し、意識もハッキリした。凍結した土の上に散らばった箱と、落とした学生鞄には目もくれず、すぐに立ち上がって逃走を再開する。ただ、怪我は治っても痺れは抜けきっておらず、少々ぎこちない。だが、それでも充分速い。その速度を維持しつつ矢を引き抜き、その辺に捨てる。その傷も、跡形もなく塞がっていく。
それにしても、今更ながら我も引く程の自然治癒力よの。それに、体力や持久力も異常である。
(このままじゃジリ貧だ! どうにかしねぇと!)
しかし、その思いとは裏腹に何の解決策も浮かんで来ぬ。ただ、このまま逃げ続けておっても如何にもならん事は百も承知。だからといって、此方から攻勢に打って出る訳にもいかぬ。先の理由もあるからだ。
こうしておる間も、様々な効力が付与された矢は一向に止む気配を見せん。爆発音は途切れる事なく前方以外の三方向から聞こえ、背後には常に数本の矢が追尾しておる。後者の大半は、其処等の木に当たるか途中で失速するが、何十本かに一本は士の背中に刺さる。その度に抜きはすれども、走りながらでは難しい。それに、矢を抜いて傷がすぐに癒えるとしても、痛みが完全に消えてくれる訳ではない。痛みと闘う士の逃げ足は、段々と、目に見えて鈍っていった。
止まる事は許されず、逃げる方向まで誘導されておる。絶対に罠だな、これは。更に隙を見せれば地面を凍らされ、電撃を食らわせられる。
己の肉体しか頼れぬ我等では、この局勢を打開する策が思い付かん。いや、一つ出来る事はあるが、今は何の役にも立たん。するゆとりも無い。
悪魔化すれば、逃げ足はかなり速くなる。だが体格も大きくなる為、この鬱蒼とした森林では走り回り難くなる。これも無し。
「ハァ……ッ! ん!? 広場に出た?!」
突如として、休まず何も考えず、ただ逃げる事に専念しておった士の前に、樹木はなくなった。其処に広がっておったのは芝生である。射手は此処に誘い込みたかったのか。
「うおっ?! 誰かいるっ!?」
広場と思しき所に出ると、其処には人影が浮かんでおった。月明かりと街灯に照らされたそれは、黒いコートを着込み、背なのフードを目深に被り、更に仮面まで着けておる。季節は夏に差し掛かっておるというのに。その上、手袋まで装着する徹底振りである。余程、正体を知られたくないらしい。
それを見て、ただただ芝の上で立ち尽くす士。その鼓膜を揺らすのは微風、後方からの木々が倒れ、燃える音、そして己の吐息のみ。結構煩いな。
それを視て、奴は一言も発する事なくコートの中に右手を突っ込み、一振りの剣を取り出した。大きさは然程でもない。飾り気のない、無骨で普遍的なロングソードである。奴はそれを両手で構えると、一気に間合いを詰めて斬り掛かって来た。
「――ッ!!」
そのあまりの速さに、士は奴の放った鋭い斬撃を避けられぬ。両腕を頭上に差し出し、防御するのが精一杯であった。
「フンッ!!」
「グブッ……?!」
剣戟を受け止められた事すらも予想の範疇であったのか、奴は間髪入れずに士の腹を蹴り込んだ。気合いを入れたその脚力は、中々に強い。士の体を地面と平行に飛ばし、後ろの木に激突させる程である。その衝撃で木の葉が数十枚、舞い散った。
「クッ……ッ!」
腕の出血もとうに止まり、今し方食らった蹴りも衝突も、内臓や骨にそれ程ダメージを与えてはおらん。ただ、今の一撃で筋繊維を何本か斬られた。それは、此奴が鉄をも寸断できる技量の持ち主である事の証左に他ならん。更に気を引き締めて掛からねば。関節に的を絞れば、手足の一本や二本、容易く持っていかれるであろう。
士は直様起き上がり、同時に悪魔化した。相手は此方を完全に殺しに掛かって来ておる輩である。『正体がバレる』とか、その様な呑気な事は言っておれん。幸運にも、この場所は神社の境内から外れておる。負担はない。
【ラアァッ!!】
奴に向かって突進する士。速い。満点をやっても良い位である。しかし、士のタックルは些か直線的過ぎた。奴の眼には止まって見えたのか、僅かに半身を捻っただけで避けられてしまった。
(マズい! 後ろを取られた!)
蹈鞴を踏みつつもすぐに足を止め、士は即座に方向転換を試みた。だがそれでも、速度は彼方に軍配が上がる。奴が大きく一歩を踏み出した。たった一歩、然れどそれで充分に距離は詰まった。士が振り向いた為、振り被った剣が今度は左肘に迫る。
「なっ……!?」
ところが、硬質化した士の皮膚と奴の達者な剣速が相俟って、剣は音を立て、半ばから折れた。これはやや想定外であったのか、奴の口から驚愕の声が漏れる。これは、男の声だな。先程の気合いも加味して。
「チッ!」
己が武器を失ったと分かるや否や、奴は後方に跳んで大きく距離を開けた。その判断の早さは見事。ただその舌打ちは、自身の未熟への苛立ちを抑え切れず、意図せず出てしまったものか。だとすれば相当に若いと見て良いな。
それはそうと、かなり間合いを取られたな。ん? いや、それだけではない。宙に居る間、奴は使い物にならん様になった剣を捨て去った。そして素早く懐に手を入れ、取り出したるは又もや剣。彼奴に次の手段を用意させる猶予を与えてしまったか。
此度の物は先程よりも少し大きい。俗にバスタードソードと呼ばれる剣である。この剣は、大きさや重さ等が他の剣に比べて中途半端であり、良く言えば“万能”、悪く言えば“器用貧乏”と評価される。斬って良し・突いて良し、両手で持つ・盾と併用する・片手で扱う・二刀流・守りに徹する等といった多様な使用法がある分、使い手の技量が問われる武器なのだ。
「スゥゥゥ……」
奴はそれをロングソードの時と同様、両手で構えた。仮面の下から呼吸を整える音が聞こえる。
(フン、今までは小手調べってことか)
(舐められたものだな)
バスタードソードを握った奴が見せた佇まいには、一分の空隙もない。それに少したじろぎ、士は踏み込めぬ。二人は此処に来て初めて相対し、暫くは静寂が空間を支配した。
先にそれを破ったのは奴だ。コートをはためかせ、小細工なしで一直線に跳び出した! 繰り出すは単純な袈裟斬り。非常に力強い斬撃である。手袋は滑るどころか、グリップ力を高める造りになっておるのか。
それから数十、いや百にも達しかねん攻防が繰り広げられた。彼方の剣は士には通じず、此方の拳は奴には当たらぬ。厳密には相手の剣は通じておるが、傷を負ってはおらんという事だ。
これまでの奴の動きから、膂力も脚力も、驚異的な域にある事が分かる。更に反射神経も、人間とは比べ物にならん程に優れておるのが見て取れる。しかし、それだけに止まらん。士の強力で素早いが、単調過ぎる攻撃が見切られておるのだ。
肉体的な性能、それ自体は此方が遥かに勝る。ところが奴は、それを補えるだけの技量を備えておる。またそれに加え、経験も相当に積んでおろう。その上、格上との戦いに慣れておる様だ。対する士は、多勢とはいえ格下としか戦っておらん。これは差が出る。身体能力に飽かせたゴリ押しは通用せんぞ。
(じゃあ、俺の取り得を活かせば良い)
打開策として挙げられるのは、持久戦。士の特性、如何なる攻撃をどれだけその身に浴びようと即効で治り、何十時間動き回ろうとも力尽きる事がない。これを活かせるとすれば、出来るだけ戦いを長引かせ、相手を疲労困憊まで追い込み、止めを刺す。この戦法であれば技量と経験、その他の差を埋められる。これ以外には何も思い付かん。ああ、己の知性の低さが恨めしい。
と、これでは結局ゴリ押しではないか
(いや待て。さっきの射手も居る。もし助太刀に入られたら……)
そうか、長期戦になれば彼方も必ず手を貸す。もし今、其奴に矢を射掛けられれば、確実に隙を曝す事になる。それを胴に食らっても多少驚く程度であるが、眼球や内耳、口腔内を貫かれれば唯では済まん。再生はするであろうが、死ぬ可能性も少なからずある。避けた方が無難か。
それに、向こうの味方があの射手一人と決まった訳ではない。まだ伏兵が居るかも知れん。周囲への警戒を怠ってはならん。
【クッ……ッ!!】
だが、その余裕は作れそうもない。周りに気を張る余力があるのならば、目の前で剣を振る此奴に集中した方が良い。その様な具合である。
「ハァ、ハァ……! ハァ……!」
む? 奴の息がそろそろ切れてきたか。フフン、先の心配は無用であったな。もう軽く一時間は打ち合っておったからな。これ程の長時間、全力で動いたのだ。よく保った方と言えよう。
気が付けば、辺りの地面も様変わりしておった。芝生は捲り上がり、其処等中で茶色い土が剥き出しになっておる。修復作業が大変そうだな。
「フンッ!!」
相手は気合い一閃。疲れを撥ね退ける。しかし、強がってはおってもその剣速は確実に鈍り、精確さにも欠けてきた。更に士の拳を避け切れず、コートにも徐々に切れ目が生まれ始めた。
(よし、このまま押し切れる!)
奴の剣は、既に何十本も駄目になっておる。刃が毀れ、刀身が折れ、本来の役目を果たせん様になった残骸が、その辺に打ち捨てられておるのが何よりの証。そしてその度に、新しい剣を懐から取り出しておるのだ。
(こいつ! 何本もってんだよ!?)
一体何処に仕舞っておるのか。そういう能力の持ち主なのか、それともやはり我の想像しておる者達なのか。まだ断言はできん。
中にはカトラスやシャムシール、グラディウスにスクラマサクス、クレイモア、果ては大太刀やツーハンデッドソード等が混じっておる。長さも大きさも重さも関係なし、古今東西、実に節操なく刀や剣を扱う。これ程までに多種類の武器を、器用に使い熟せるものなのか。
【ラアァッ!!】
「フンッ!」
長く続いた二人の戦いに、とある変化が訪れる。奴が振るった剣を士が腕で受け止め、膠着状態になった。ところが、それも瞬く間だけ。互いに接近し、咄嗟には行動できんこの様態を好機と見たのか、仮面に設けられたスリットから覗く奴の両目が紅く光ったのだ。
(チッ! 目くらましか!?)
士はすぐに瞼を閉じ、腕で顔面を庇う。しかし、一瞬遅れてしまった。紅色に塗り潰される視界。回復には数秒を要した。
【……ん? 居ない!? どこ行った?!】
そろそろ良いかと、士はゆっくり目を開ける。案の定、其処に奴の姿はなかった。
【森ん中に逃げたか!】
この瞬刻で我等の目が届かぬ所へ逃げるとすれば、他にない。
(ふむ、立ち去ったのならば、此方から追う必要はない。帰るぞ)
【え? あ、ああ、そうだな】
もうこの様な所には居りたくない。あの様な物騒な輩にも関わりとうない。態々(わざわざ)追い掛けて此方から挑むなんぞ面倒だ。無用な戦いは避けるべきである。さっさと帰って晩飯を。と、思ったが、向こうから仕掛けた戦いをそう簡単に切り上げてはくれんらしい。
【ゴハッ!?】
背中に衝撃と炎熱を感じた瞬間、士の体は吹き飛ばされた。爆発矢だ。それから矢継ぎ早に、宛らロケットランチャーの如く降り注ぎ、士を森へと追い込もうとする。
いっその事、『この面制圧爆撃の真っ只中を突っ切って、射手を仕留めるか?』とも考えたが、まだ街中に居るかも知れん。それに向こうも、これ程の腕を持つ射手ならば目は良い筈。即、自身を狙う輩の姿を見付けるであろう。自棄を起こして、街に撃ち込まれては堪らん。やはり、森の中へ退避するしかないな。
【あいつ、どこ行った?!】
森に入ると、当然ながらあの剣士の姿はない。此処も、先程までとはかなり様相が違った。彼方此方で木が倒れ、焼け焦げておる。遮蔽物がない。少ない。広く感じる。
(でも見つからない)
そう心の中で零しつつ、士は辺りを散策する。射手の番えた矢が未だに此方を向いておると思うと、おいそれと逃亡は図れん。
(大方、何処かに隠れて体力回復に努めておるのであろう。警戒は解くなよ)
(分かってるよ)
そう思ってはおるものの、士の足取りは変わらず適当である。慎重さなんぞ皆無だ。
(警戒はしてる)
とはいえ、辺り一体では、樹木が音と煙を上げて燃えておる。その為、視覚・聴覚・嗅覚から得られる情報は、大幅に制限される。剣士を捜すにせよ、奇襲に備えるにせよ、至難の業である事に変わりはない。その技術も経験もない士にとってはな。ただ……。
【どうやら、その必要はないらしい】
森の中に出来た少し開けた所に、奴は立っておった。体力を回復させ、士が来るのを待っておった様だな。再戦の支度が整ったか。火災に乗じれば良いものを。物好きな奴だ。
(ふむ、仕切り直しという訳か)
奴はバスタードソードを携え、此方を見据える。士は両腕を胸の前で構え、彼方を睨む。無言で対峙する二人。先に動いたのは士だ。堪え性がないからな。
【ヴンッ!!】
それを黙して迎え撃つ剣士。まあ、結果は先程とさして変わらんがな、剣は効かず、拳は当たらん。何十回もの衝突。しかし、どれも決定打にはならず。奴の刀剣もやはり同様、次々に使い捨てられていく。
(ストックありすぎだろ!?)
先の物も合わせると三百に迫ろうか、壊れた刀剣は。
(このまま続けてたら隙ができるか?)
結果、士の思惑は上手くいった。数十回、それも全力での打つかり合いにより、疲労がブリ返したのである。更に、相手が正面から挑むタイプであったのが幸いした。剣士の洗練された動きに、僅かな綻びが生まれたのだ。
(ここだっ!!)
それに付け込み、士は破壊しようと拳を突き出した。ただ、奴はそれを辛うじて回避。しかし、反応が鈍くなっておる事は明白である。疲れは回復し切っておらん様だな。
(クッ! 掠っただけか)
とはいえ、今の一撃で奴の左腕は御釈迦だ。剣は握れても、満足には振るえまい。しかし次の瞬間、士は学んだ。心に刻んだ。油断は、己の破滅を招くと。
「クゥ……ゥッ!!」
剣士は諦めてはおらんかった。痛みに耐え、無事な方の手にグラディウスを握り、切っ先が士の目で追えぬ程の速度で斜めに斬り上げる。士は避けぬ。
(ん? 耳鳴り……?)
気を逸らしはしたが、命中したとてどうせ刃が立たぬ。剣は弾かれ、圧し折れるであろう。その思いが致命的な過ちであった。
【グウゥッッ?!】
士の顔が歪んだ。何と、剣は今までと同じ様に通らぬと思いきや、肘を境目に左腕を断ち斬ったのである。他の強靭な部分を避け、脆い関節をピンポイントで叩っ斬るとは! 此処ならばアダマンチウムの有無なんぞ問題にならん。敵ながら天晴れ、と言いたいが、まだだ。
【グゥゥ、アアアァァァッッ!!】
痛みに呻きつつも、士は苦し紛れに拳を振り上げ、奴に目掛けて叩き付けた。剣士は避ける素振りを見せず、地面に膝を着いておる。手に持つグラディウスは砕けた。折れたのではない。奴は身を守る手段も失った。これは好機。
【ガ……ッ!?】
ところが、拳は届かんかった。彼方から矢が飛来し、士の右眼を貫いたのだ!
【ガァァァアアアァァァッッ!?】
あまりの痛みに絶叫する士。元凶たる矢を抜く事も、気を紛らわせる為に目を抑える事もできぬ。残った腕を振り乱して暴走し、傍に在った木を殴り倒す事しかできぬ。
β-エンドルフィンもアドレナリンも、その他諸々の神経伝達物質も未だに分泌されておらぬ故、耐えられんのである。あれ程戦っておるのに、まだ興奮しておらんかったのか。
【アアァァッ!? 目がっ?! 眼がァッ!?】
冷静さを失い、周囲に気を向けられん士を討つ機会なんぞ、幾らでもあった筈。ところが、剣士は力を使い切ったのか、何もして来ぬ。
更に、災難はこれで終わらず、また別の痛みが士を襲う。
【グフッ……!?】
一瞬、背中に重みを感じた後、首に違和感が。
(首?! なんで!? いつの間に?!)
士は己が背に乗った思われる不作法者に、勢いを付けて振り向きながら肘鉄を食らわせる。だが、既に其処には何も居らず、肘は虚しく宙を切ったに過ぎんかった。
(馬鹿な!? 何の臭いも音もせなんだぞ!?)
またもや、士の短い人生で感じた事のない種類の激痛。声も出せぬ。その根元である首に手を当てる。其処にあったのは、ナイフの柄だけ。手でそれに触れると、痛みが増す。
【グッ……!! ゴボッ……!!】
士の口から血が吐き出された。無論、矢やナイフを抜けば再生する。腕も、近付ければ立ち所に接着する筈だ。ただ、何せ初めての経験である。否そうでなくとも、腕を断たれ、眼球を射抜かれ、首筋を刺される痛みに耐えられるモノなぞ居らん。その所為で思考が正常に働かず、手も足も思う様に動かんのだ。
(しっかりしろ!! まだ体は貴様のものだ! 死んだ訳ではない!)
我の叫びも聞こえんのか、土に片手を着き、次に膝を着き、終いには伏せってしまう士。次第に呼吸も困難になり、意識も朦朧としてきた。更に悪魔化も解け、全裸になった。しかしそれでも、肉体の主導権が我に移ってはおらん。まだ大丈夫だ。
「助かった。だが邪魔をするな」
謎の剣士が、初めてまともに声を発した。感謝と共に含まれておったのは、僅かな怒気。耳はまだまともに機能しておる様だ。誰に話し掛けておる? と、思った瞬間、聞き覚えのない少年の声が。
「ナニそれ? 助けてあげたのに『邪魔』はないんじゃない?」
その声色と口調から無邪気さが伝わって来る。
「だからちゃんと『助かった』と言っただろう」
「そういうときは『ありがとう』なんじゃないの?」
「はいはい、アリガトウありがとう」
「感謝の気持ちがカケラも伝わってこないんだけど……」
士の存在を無視し、二人の遣り取りは続く。
(何だ、これは?)
会話がぎこちない。まるで普段使わぬ言葉を話しておる様な、そういう喋り方である。日本語に慣れておらんのか。
(痛っ! こ、こいつ、どっから現れたんだ?!)
顔を上げ、ぼやける視界の中で何とか彼の少年を捉えた。しかし、この者もまた、剣士と似た様な衣に身を包んでおる。風貌は分からん。声も籠っておる。
「まぁ、別に良いけどねー。今に始まったことじゃないし」
この有様で聞く悪意のない口調は、非常に癇に障る。それも張本人である為、尚更だ。それが怒りを生み、辛うじて士の意識を繋ぎ止めておった。
(な、なんで、何も感じなかったんだ……?)
伏兵の可能性も考え、周囲に気は張っておった。だが此奴は、何の音も立てず、何の臭いも振り撒かず、気配も感じさせんかった。幾ら士が気配を感じ取る事に疎いとはいえ、聴覚や嗅覚そのモノは鋭い。肉体に殆ど何も割く必要がなく、それを一手に引き受けられる我が、感知に集中しておったというのに何も覚れずに居った。『落ち葉や土が足音を消した』、『未だ燃え、或いは燻り続けておる木々が放つ臭いがキツい』。目は言わずもがな、片眼を潰され、更に煙によって大して機能せぬ。理由はそれだけか? 他にも何かあるのでは? そう例えば……。
「でもほら、アイツも怒ってるよ? 『なんか言うことあんだろ?』だって」
「オマエに言われなくてもちゃんと聞こえている」
(“アイツ”って、射手のことか。……ん? 今のは?)
成程、そういう事か。射手が別の場所に待機しておる事よりも重要な事が、今の会話で分かった。
「その腕、ダイジョウブ?」
暗殺者の少年は、あらぬ方向に曲がった剣士の左腕を見て、彼を気遣う様子を見せた。
「大丈夫なワケないだろう。痛みはコレのお陰で麻痺されているが」
ふむ、何かしらの装備か道具で痛覚を遮断させておった故に、先程は斯様な動きが出来たのか。
「それと、ここでは日本語で話せと言っただろう。コイツに聞かれていたらどうする」
これまで見せて貰った高い戦闘能力と奇怪な戦闘方法。そして何より、彼等が口にしておる言語が我の推測を確信に変えた。
「大丈夫でしょ。ナイフにヒュドラの毒タップリ塗り込んだから」
何という事をしてくれておるのだ。超猛毒ではないか。死にはせんが、士と雖もかなり危ない。何しろ、神の血を引く英雄の命を奪い、不死身の賢者がそのあまりの苦痛から不死を返上してしまう程の代物なのであるから。完全に排除するのには、何時もより時間が掛かるぞ。
それに、何よりも驚きなのは、此奴等のグラディウスとナイフである。肘の裏や首という、強度がイマイチな箇所とはいえ、ブッタ斬り、突き立てるとはな。それも、悪魔化によって強靭さが増しておるというのに。一体何から造られておるのか。どの様な術を用いたのか。勿論、この者共の膂力や技量が人間離れしておる事も起因しておるのであろうが。
「それでも油断するな。そういうときが一番キケンなんだ」
「はーい」
そう言った剣士には、慢心なんぞない様だ。反対に、暗殺者の少年は軽いが。
「コイツはアモン様と一体化している。もしかしたら耐えるかもしれん」
彼の心掛けは立派である。だが、幾ら我の肉体が『悪魔一強靭』と言われておろうとも、流石に耐えられん。ヒュドラの毒には。キュアファクターが無かったならば、死は免れられん。
「オマエもだぞ」
最後の言葉は、此処に居らぬ射手に向けたものか。奴はまだ話し続ける。
「あー、そのまま構えていろ。……は? 弾切れ?」
「え? ゼンブ撃っちゃったの?!」
(これは、なんだ?)
霞んでいく意識の中、士はハッキリと聞いた。己が知る筈のない、異界の言葉を。
「また必要になるかもしれん。今のうちに作れ」
「大急ぎでね」
全然気が緩む様子を見せん。想像以上に面倒な奴等だ。
(なんで俺こんなの分かるんだ? 聞いたことが無いのになんで?)
それは、士が耳にした事がない筈の言語であった。しかし、今は理解できる。
(いや、こいつらの前にそれを口にするヤツが。まるで……)
我はこの言語をよく知っておる。今は無き耳、そして未だ健在しておる魂に刻まれた言語だ。
(そうか)
我は嘗て、それをよく口にした。友と語らい、惚れた女に愛を叫んだ事もあった。
(これが、そうか)
我はもう二度と、それを使う事はない。そう思っておった。
(この目に映っている者が)
我はこの出会いを嬉しむべきか? 懐かしき同胞よ。
(悪魔、か)




