父の手掛かり②
神城を彼方に置いていき、東京に帰ってきた我々は、その足で特区に赴いた。文字通り徒歩で。
「うわぁ~! ここが特区かぁ~!!」
初めて見る街並みと、其処を行き交うヒトの群れに、光は甚く興奮しておる。
(俺も初めて来たときはあんな感じだったなぁ~)
それが今では、余程の事がない限り何の刺激も受けん様になってしまった。慣れとは恐ろしいものだ。まだ一ヶ月も経っておらんのに。
「で? どこにコレ持って行くんですか? 沢渡さんの所?」
士は光が持つ箱に目を遣りながら、前を歩く美咲の背中に行き先を問う。
「なんで休日の昼っ間から、あのピリピリした顔みなきゃなんないのよ」
彼女は振り返らず、声だけを此方に投げ掛けた。まあ、沢渡の纏う空気には、その場に居る者を緊張させる何かが含まれておるからな。言いたい事は分かる。
「そっち方面に詳しいヒトが居るから、その人に見てもらうわ」
ふむ、言語に精通しておる者か。カメ型鱗人とか、エルフとかであろうか?
「ま、桜の紹介だけどね」
何だかんだ言いつつも、結局は彼奴に頼っておるではないか。昨晩か今朝にでも、彼女から聞いたのであろう。
それから暫く、特区内を歩いて回る。思えば、こうしてゆったり散策するのは初めての事である。だが、今の士に街の景観なんぞ見えはせん。此奴が目を向けておるのは、自身の右隣だ。
士の隣を歩く光は、父が残していった箱を、歳の割には豊かな胸の前に抱え込んでおる。本来であれば士が持ちたかった、或いは持つべきなのであるが、生憎そういう訳にはイカン。最早こうなれば、彼女ごと抱き上げてエスコートするしかなかろう。
(いきなりそんな事したら光に嫌われんだろ?!)
(冗談だ)
ただ士よ、それは自分が彼女に好かれておる事を前提に言っておるな。というか、美咲にも同様の感情を抱いておったな。別に人間ではないのであるから一人に絞らんでも良い。彼女達が知っておるかは分からんが、特区内は確か、重婚が認められておった筈だ。ただし、そうであっても、日本で育った者なればこそ、一夫多妻は容易ではない。
更に、この国には『二兎を追う者は、一兎をも得ず』という諺もある。必ずしも二人の了承を得られるとは限らん。寧ろ、それは低かろう。ただ、本気で二人共を幸せにしたいのならば、我も協力は惜しまん。だがまずは、経済力と甲斐性を培うのだな。話はそれからだ。
(いやそれ以前にお前と合体してる時点でムリだろ)
おっと、如何やら目的地に到着した様である。
「二人とも、着いたわよ」
立ち止まったのは、とあるマンションの入口前。何故か士が住んでおる所に酷似しておる。ま、設計者が同じなのであろう。
美咲は其処に在るインターフォンで件の者を呼び出し、中に入る許可を得た。彼女はメモを片手に、我々を導く。閉まる寸前であったエレベーターに駆け込み、降りたのは四階。再度メモに目を遣り、最終確認する美咲。歩き出し、目当ての部屋の前に立つと、改めてインターフォンを鳴らして訪ねた。
―『開いとるから入って来なさい』―
しゃがれた老人の声が、機械越しに届けられた。招かれた三人は、部屋へと上がり込む。ふむ、アポイントメントは取得済みか。昨日の今日だと言うのに、随分と手際が良いな。
「はいはい、話は沢渡君から聞いとるよ」
老人は三人をテーブルに着かせると、挨拶もそこそこに早速本題に入った。互いの自己紹介すらも省かれた。
「で、どれかね? 見せてみんしゃい」
「はい、これです」
彼に促され、光は箱をテーブルの上に置く。濃い緑色をした皺だらけの腕が、それを受け取った。否、先程老人と言ったが、老いた“人間”ではない。我々の眼前には、我の予想通りカメ型の鱗人が鎮座しておった。
《鱗人》とは、汎ヒト族の一角を為す獣人、その一種である。またの名を《リザードマン》とも言う。簡単に言い表せば、二足歩行の爬虫類である。主な種族を挙げると、トカゲやヘビ、ワニにカメとなる。当然、卵生だ。
基本的に体格は大きく、ワニ型ともなれば三mを超える事もザラで、中には四mに達する個体もしばしば。またどの種族であっても、堅固で弾力のある甲羅や鱗等がその身を覆っておる。大抵、多少の攻撃では怯まず、体力に優れ、腕力も強い為、戦士として非常に優秀。武器も人間並、もしくはそれ以上に使い熟す。水中や酷暑にも強いが、元が変温動物である為、寒さには驚く程弱い。というか終いには冬越し、或いは冬眠をし始める。
プライドからなのか、人間の姿になる事はほぼない。ただ長年・何世代もそうしてきた事もあり、その機能が退化してきておる可能性も捨て切れん。最初から、ではない筈だ。
寿命はそう長くはなく、五十年も生きれば良い方。ただ、一回の産卵で数十個もの卵を産む為、非常に子沢山である。また、カメ型はヒト族の中でも特に長寿で知られており、千年以上を生きる者も。『鶴は千年、亀は万年』とも言うから、実際に一万年を生きる者もこの先現れるかも知れんな。しかし、種族そのものが戦闘には向いておらず、その長い寿命を活かし、専ら知識を深める事を生業とする者が大半である。因みに、陸型と海型が居る。
「あ~、こりゃ見たことないねぇ~。エルフが使うモンに似とる気もするが、どれも細部が違う」
眼鏡を掛け、その上から大きなルーペで覗き、箱に刻まれた文字を凝視するカメ爺さん。老眼にも程がある。よく見ると、コンタクトレンズも着けておる。レーシックでも受けたら如何かね?
「いや待てよ? 確か……」
彼は徐に席を離れ、実にカメらしい動作と速度で別室に向かった。何か思い当たる事でも?
「あぁ~、やっぱりそうじゃ」
別室から出て来た彼は、手に資料らしき物を携えておる。
「これに載っておったわい。ほれ」
そう言って、カメ爺さんは書物を開いて見せた。じっくり目を凝らすと、其処には確かに、例の物に似通った文字が記されておった。
「これ、どこの言語なんですか?」
皆を代表して尋ねた士。しかし、彼が返したのは無情な一言であった。
「分からん」
「は?」
「正確には、分からんという事が分かったのじゃ」
言い直すカメ爺。それは“分かった”の範疇には入らんよ。如何やら、彼も心当たりはない様である。結局、何の解決にもなっておらんではないか。ところが、彼の話には続きがあり、それを聞いた我々には少しだけ希望が見えた。
「ただやはり、エルフの字に似とる気がする。もしかすればこれは《ハイエルフ語》かもしれん」
ほほう、ハイエルフとな。これはまた、珍しい種族の名が挙がったものだ。どちらにせよ、読めん事に変わりはないが。
「ハイ……なんですか?」
「エルフの一種なのでしょうか?」
「だとしたら、名前からして上位種かしらね」
三人は耳慣れぬ種族に困惑、しておるのは士だけだな。他の二人は、既に思考を巡らせておる。解説しようかとも思ったが、その様な暇もなさそうだ。仕方がない。それは何れ、其奴等と会った時にでもしてやろうか。
「ふ~む。だがハイエルフが人里に降りたという話は聞いたことがないし、この街にも居らん」
そう言いながら、カメ爺さんは手を動かし、箱の文字を紙にメモしておる。彼が言いたいのは、少なくとも、この街で住民登録が為されておる者の中には居らんという事だ。
「読める人は居ないのでしょうか?」
光は尚も彼に縋る。ハイエルフその者が居らずとも、彼の様な言語学者や翻訳家が他に居れば、話は進む。しかしやはり、事はそう上手くは運ばん。
「居らんな。資料も今のところコレしか無いし、ワシもまだ研究中なのだ。翻訳どころか単語を解することもできん」
皺に覆われた顔を、申し訳なさそうに歪めるカメ爺さん。ふむ、資料は探せば見つかるかも知れん。だが発見できる蓋然性は低い。彼奴等には、絵や文章等の形で何かを遺すという概念がない。長い寿命を持つ為、自身で伝えれば良いからだ。あるとしても手紙の遣り取り位である。彼が所有しておる物も、その類であろう。
「協力してやれんで済まんな」
「いえ、充分です。お時間を割いていただき、ありがとうございました」
光は適切な動作と共に、謝辞を述べる。
「では、私たちはこれで失礼します」
美咲のその言葉を合図に、もう御暇しようと三人は立ち上がった。
「そうか。まあ、何か分かれば沢渡君に連絡しよう」
「はい。よろしくお願いします」
再度、頭を深く下げ、宜しく頼み申す光。
「今日はなんのお構いもせんで。今度きたときには、美味い茶とお菓子を用意しておこう」
「はい。機会があれば、また」
光はテーブルに置かれた箱を胸に抱え直し、一礼。
「お邪魔しました」
「ほいほい、達者でな」
他愛のない挨拶を交わし、我々はマンションを後にした。
ハア。光の父の手掛かりは、此処でどん詰まり。結局、殆ど分からず終いか。ヒントは得られたが、それもあまり意味があるとは言えん。何せ使える者が居らず、解読できんのであるから。更にいえば、それですらも推測でしかない。
三人は横並びになって、通りを行く。
「どうやら、今はこれ以上、あなたの力になれそうにないわね」
マンションを出てから少し歩いた所で、美咲は光に詫びた。言葉のみではあったが、彼女らしからぬ殊勝な態度である。何か悪い物でも食ったか? いやいや、大した時間を過ごしておらんのに、これはかなり礼を欠いておるな。済まん。
「いえ、ここまでして頂いてありがとうございました」
光も、ほぼ見ず知らずの自分の為に、此処までしてくれた美咲に深々と頭を下げた。
「ま、困ってる人を助けるために警察官になったから。これくらいは、ね」
多分これ以降も発される事のない、彼女に一番似合わぬ言葉、かも知れん。度々、済まん。
(お前、絶対悪いと思ってないだろ)
(その様な事はない。心からの謝罪である)
「石森君、いま失礼なこと考えたでしょ?」
歩きながらも、時たま二人に邪な視線を向けておった士。それを感じ取ったのか、此方に向き直り、的外れではあるが、ズバリ指摘する美咲。この女、もしや我の事に気付いておるのでは無かろうな?
「か、考えてませんよ!?」
考えておったのは我であるが、罪は同じ位の重さだ。あの汚れた視線は。
「本当~?」
士は必死で弁明するも、彼女の疑いは晴れる兆しを一向に見せぬ。その様子を傍らで観察しておった光も、徐々に目の色が変化しておる様に見受けられた。
「まあ、考えるだけなら自由よ。考えるだけならね」
つまり妄想は許すと、そう捉えて良いのか。助かったな士。
「やっぱダメ。不快」
いや、やはりこれが女性として普通の反応だな。
「そ、それでこの箱どうすんの?」
この空気から脱する為、光に振って話を強引にシフトさせる士。
「とりあえず家に持って帰る。伝手を辿っていけば誰か分かるかもしれないし」
魔術師は己の技術を秘匿したがる為、一族等の縦は強いが、同業者との横の繋がりは弱い。だが一度縁を結べば、心強い味方となってくれる。彼女の親戚やその関係者を順々に巻き込んでいけば、案外掴めるか。
「じゃ、ここで解散ね。君は彼女を送ってってあげなさい」
特区の際まで来た我々は、結界を潜り、まだ其処まで見慣れておらん街に戻る。美咲は、『もう用は終わった』とばかりに、自家用車に乗り込んだ。二人きりになれる時間を作ってやったというのか。それとも単に面倒になっただけか。
それはそれとして、此処から一人で帰らせる訳にもイカン。士はトランクから出された二人分の荷物を担ぎ、最寄り駅まで案内。駆け込み乗車に気を付けつつ四番列車に乗り、光の家が在る駅で降車。無事に彼女を家まで送り届けた。箱も持ってあげられれば最高であったのだがな。
「オジさん、どこ行ったのかなぁ?」
其処から徒歩で帰る事にした士は、光の父について考えておった。
(ふむ、とんだ連休になってしまったな)
しかし、何も思い付かぬまま家路に就く士。今更だが、士は要ったのか。




