遊戯②
そろそろ夜と呼んでも差し支えない時刻。士と美咲は、まだ夕食に有り付いておらんかった。
「うーん、なかなかイイ所がないわねぇ……」
もう何軒も店を覘いたが、食への拘りが割と強い美咲は全然首を縦に振らぬ。昨日の昼食はアッサリと決めた癖に。
「もう昨日のトコでイイじゃないですか」
「イヤよ。二日連続で同じ店なんて。面白くない」
その上、我が儘ときた。士の具申も即座に却下である。
「なら、いっそのことホテルに戻りますか?」
「イチバンありえない選択だわ、それ」
「アレもダメ、コレもダメって……じゃあ何ならイイんですか?」
流石に苛付きを覚えた士は、若干の怒気も籠めて彼女に意見を訊いた。
「ふぅ、そうねぇ……うーん……そう言われると具体的には何も思いつかないわねぇ……」
士の無礼とも取れる物言いを真面目に聞き入れ、少し考え込む美咲。此奴も一応は不躾であったという自覚はあった為、身構えておったが、無駄になって良かった。
「けどまぁ、まだこんな時間だし、気長に探してればそのうちビビッとくる所に当たるでしょ」
黙考から一転。楽観的な結論に達した美咲は、店探しを再開した。
(でも、この調子だと美咲さんのメガネに適う店なんて見つかりそうもねぇぞ)
極力、夕御飯を食べ損ねる事は避けたい士。同時に、美咲の機嫌も損ねたくない。
(昨日んトコもホテルもアウト。となると、ここは無難にファーストフード……はダメっぽいな。俺もそれはちょっと嫌だし)
アメリカに来たのに、幾らなんでも味気なさ過ぎる。故に、その類の店は最初から選択肢から除外。だが、まだ食欲は本格的に襲ってきてはおらぬものの、お腹が鳴くのも時間の問題だ。早く何か腹に入れたい。
(どういうトコがイイんだろうなぁ? 好き嫌いはないって前に言ってたし、ジャンルは問わねぇだろ。ただ店構えの汚いトコは嫌がりそうだな。騒々しいトコも。これは俺も同意だ。賑やかなトコはイイけど。あとは高そうなトコ……は普通に入るな。値段はあんま気にしねぇだろ。品質に見合ってるんなら)
色々と推理を巡らせるが、美咲が入店したがる食事処を発見する手助けにはなりそうもない。
(ハァ……まぁ、金を出すのは美咲さんだし、決定権はあの人にあるから任せるしかないか)
士は結局、彼女の意思に委ねる事にした。何も、考えるのが面倒になった訳ではない。それが最適解であると判断したまでだ。
(にしても、やけに警官が多いような……)
これまでの道中、今朝と同じくパトカーや警察官の姿を頻繁に見掛けた様な印象を持った。凶悪犯が逃走中なのであろうか。
(ニュースでもそれっぽいヤツが流れてたしな)
(ふむ、もしくは殺人や窃盗の予告でもあったか)
(今時そんな酔狂なヤツ居んのか?)
(そういう馬鹿な真似をする輩は何処であろうと何時であろうと現れるものだ)
(ふー、そんなヤツと出くわすのだけは勘弁して欲しいな)
自分達に害が及ばぬ様に祈りつつ、士は美咲の隣を歩く。
「あ! ここなんか良さそうじゃないですか?」
ややあって、ようやっと美咲も納得してくれそうなレストランの前に辿り着いた。
「うーん……そうね、入ってもイイかも」
睨んだ通り、美咲の許可も下りた。彼女は早速、自動扉を潜って入店する。それに士も追従。二人はウェイトレスに案内され、通された席に座る。
(なんか、昨日んトコより高そうだぞ、ここ)
己が代金を支払わなくても良いと分かっておっても、一品の値が張りそうな店に入るのは尻込みしてしまう。店の内装を見回してそう感じた士の心情も、理解できなくはない。共感は厳しいが。
(やっぱ遠慮した方がイイのか?)
(今更か? これだけ散々奢って貰っておいて)
(いやまぁ、そりゃそうなんだけどさぁ……)
(此処まできて遠慮するのは逆に失礼だ。だからといって馬鹿高い物は頼むなよ)
(んだよ、そういうのが一番ムズいんだよ)
我なりの助言はしたが、何を注文しても美咲なら特に文句も言わず御馳走してくれそうである。なので、そう気張らずとも良かろう。
それから二人は銘々好きな料理を注文。尚、案の定メニューに書かれた値段は高額であった。士は肉、美咲は魚をメインに頂き、当たり障りのない会話と共に舌鼓を打つ。
(うんま! やっぱ高いだけあるわ!)
此奴は多分、本当に味が分かっておる訳ではなく、単に高価な物に対して反射的に美味だと思っただけであろう。
肉を頬張り、行儀悪くパンを噛み千切る士。それとは対照的に、上品に魚を切って口へと運ぶ美咲。二人は暫くの間、御喋りを止めて食事に専念した。
そうして、皿の上の料理が残り四分の一程度になろうとした頃、唐突に美咲が話し掛けてきた。
「ねぇ、さっきのテレビ、なんて言ってたのか分かって観てたの?」
「へ? い、いいえ、ちょっとBGMにと思って……」
「あー、そうなの。案外、役に立たないのねぇ、そのイヤリング」
何故その様な事を訊くのか不思議に感じた士は、逆に美咲に問い返す。
「なんでそんなことを?」
「いやその……まぁ、ホラ、私たち朝に山登ったじゃない?」
「ええ、登りましたね」
「あそこで死体が上がったって」
「えっ?!」
「それも私たちが帰った直後ぐらいの時間に発見されたんだって」
知らぬ間に、結構とんでもない報道がされておった様だ。
「正確な場所は言ってなかったけど、意外と近くにあったのかもね。死体」
言いたい事を言うと美咲は食事を再開した。就いておる職業故か、動揺しておる素振りは全くない。世間話の一環として口に出しただけといった様相である。
「そ、そういえば昨日……」
美咲の話を聞いて、士は昨日遭った出来事を思い返した。そして、それを彼女に話した。全部、洗い浚い。
「ふーん、そう。そんなことが。大変だったわねぇ」
ただ、それに対する彼女の反応は、随分と淡白なものであった。
「スゲェ他人事!」
「まぁ私が体験したワケじゃないから、そりゃあね」
「あんたが見て来いって言うから行ったのに!」
「そんぐらい当然じゃない。違う?」
「い、いや、な……何も違いません、けど……」
美咲にそう切り返された士は反論も出来ず、身を竦める様にして肉の欠片を口に放り込む。その様子を見て思うところがあったのか、彼女はこう言葉を紡いだ。
「何も全然心配してなかったワケじゃないのよ? 昨日、君と別れた後にも死体が見つかったって聞いたから。あぁ、これは通行人の会話で知ったんだけどね」
「また死体ですか?」
よく死人が出る街だな、此処は。観光に来るには些か物騒過ぎたのではないか。
「こんな時期に来ちまうなんて、俺らツイてないですね」
「そうね。でもまぁ、君が居れば大抵のヤツは大丈夫でしょ。そのために連れて来たんだし、役に立ってよね」
やや深刻に物事を考える士と、この様な状況でも此奴と一緒ならば安全を確保できると楽天的に考えておる美咲。
「はいはい分かってます。言われなくてもそのつもりです」
無論、彼女を危険に晒す気なんぞ毛頭ないので、士は声を大にして問題なしと言ってのけた。何時になく強気である。
「ならよろしい」
美咲のその一言と共に会話は終了。彼女は残りの料理を平らげるべく、フォークとナイフを手に取った。士も彼女に倣い、皿の上を片付けに掛かる。
二人は瞬く間に料理を腹に収めると、食後用に予め頼んでおいたデザートと珈琲を頂いた。
(コーヒーにげぇ……)
普段は一切飲まぬので、顔を僅かに顰めつつ珈琲を啜る士。勿論、美咲からは見えぬ様に配慮して。苦手なのであれば、別に我慢せずともミルクや砂糖を入れれば済む話だと思うが、見栄を張りたい年頃なのかね。魅力的な異性が目の前に居るという事も、その虚勢に拍車を掛けておるのかも知れん。
珈琲の苦さを緩和する為に甘いデザートを交互に口に含む。その行為を数度繰り返し、何とか珈琲を飲み干した。当然ながらザートも食べ切った。丁度、美咲も食べ終わったので、二人は店を出る。例の如く会計は彼女が払い、士は『ごちそうさまでした』と言って頭を下げた。
「はいはい、近い内に返してね。期待はしてないけど。あー、そんなことより、なんかご飯食べたら眠くなってきちゃった」
昨日と似た様な事を言うと、美咲は大きく口を開けて欠伸をした。
「さっきあんなに寝たのに? てか、食ってすぐ寝るとウシになりますよ」
「なるワケないでしょ。見なさいよ、この完璧なプロポーション。今まで何百回も食っちゃ寝してたけど維持してんのよ」
「そんなこと言ってられんの三十までですよ。それ超えたら一気に反動がきますから」
「だ、大丈夫よ……! 日頃の運動は欠かしてないし……!!」
体型を気にするという非常に女性らしい一面を見せる美咲。少々気が動転したのか、声が裏返って口調も若干変になっておる。
私見だが、あまり気にする必要はないと思う。彼女は日常的な鍛錬の御陰で、かなり引き締まった体をしておる。これを継続しておれば、偶に過剰な飲み食いをしても直ちに影響は無かろう。油断は禁物だが。
美咲の今後はさて置くとして、そんな他愛もない御喋りをしておると思わぬ邪魔が入った。二人が立っておる前の道路を、救急車がけたたましくサイレンを鳴らしながら猛スピードで走り去って行ったのだ。
「なんか、ここに来てから結構見てますよね? 救急車」
「そう? こんなモンじゃないの、日本でも」
「いや、昼間も何台か見たんですよ。美咲さんは俺の背中で寝てたから知らないと思いますけど」
「ふーん、そうなの。まぁ、今の私たちに出来ることは何もないし、カンケーないわね」
さして興味も示さず、美咲は帰途に就こうとした。士も『大変だな』と感じる程度で、彼女と同様に救急車の進行先とは反対の方角に歩き始める。
それから何軒か、この通りに在る店に立ち寄って買い物を楽しんだ。因みに、ホテルに到着するまでの間、救急車は一台も見掛けんかった。
○●○●○
日が完全に沈み、良い子は寝床に入らねばならぬ時刻。美咲が遅めの入浴しておる最中、士はリビングでテレビを点けて先程の小説を読んでおった。最初は見慣れぬ小さい文字に苦戦しておったが、次第に適応。最終的には内容を楽しめる様になった。
(ふー、読んでみると意外とおもしれぇな。あいつのオススメなだけあるわ。でもメッチャ目ぇ疲れた)
読書の途中ではあるが、士はキリの良いところで本を置いた。そのまま瞼と眼球を優しくマッサージしつつ、ソファにゴロンと寝転がる。
(たしか、これって続きモンだったよな? 実家に帰ったら、あいつに返すついでに借りるか)
(気に入ったのならば自分で買っては如何だ?)
(んー、そうだな。そうするか。何回も読み返すかもしんねぇし。たぶん)
購入したのは良いが、一ページも開かぬ等という事がない様に願おう。
「フー、サッパリしたー。お風呂あいたわよー」
士がソファで寛いでおると、風呂上がりでバスローブ姿の美咲が声を掛けてきた。濡れた髪と開いた胸元と隙間から覗く太腿がとても情欲的である。
「何? そんな不愉快な目で見て……ていうか視姦してんじゃないわよ」
「お、俺じゃありませんよ」
美咲にそう言われ、狼狽えた士は思わず彼女には意味不明な事を口走ってしまった。
「ハァ? 君以外に誰が居んのよ。もうイイからさっさと入りなさい」
幸い、美咲は士の妄言を深く捉えんかった。ところが悲しいかな、風呂場が空いた事を伝えると早々に自室に引っ込んだ。士はホッと溜息を吐き、心の中で文句を垂れる。
(チッ、お前のせいで怒られたじゃねぇか)
美咲に注意された不条理さを、士は我へと向けた。しかし、此方にも言い分がある。
(濡れ衣だ。あれはあくまでも貴様の視線であるぞ)
(そりゃあんなカッコでウロウロされたら釘付けにもなんだろ)
その点は認めるのか。ただ、其処へ性欲塗れの目線も混ぜて送ったのが拙かったな。
(半分くらいはお前だろ)
(こんな爺に色欲なぞある訳がなかろう。とうに涸れたさ)
(都合のイイ時だけジジイに戻ってんじゃねぇよ。クソッ、せっかくのチャンスだったのに!)
何の好機かは知らんが、そういうところが駄目だと自覚せよ。女性は男の卑猥な視線に敏感だぞ。
(チッ、まぁイイや。捨てる神あれば拾う神あり、ってな。こうなりゃ美咲さんの残り湯を堪能してや……)
「あっ、そうそう」
士が淫らで変質者的な事を考えておると、美咲が扉を開けて首から上だけをリビングに出した。何か伝えたい事がある模様。
「お風呂の栓、抜いちゃったから自分で入れ直してね」
そう言って彼女は頭を引っ込めて扉を閉めた。残念ながら捨てる女神しか居らんかったな。仕方がないので、士はそれから新たに湯を張り直し、ゆっくり浸かって体を癒した。
入浴後、士は寝間着も着ずに部屋に備え付けられた冷蔵庫に直行。先刻買っておいたペットボトル入りのコーラを取り出し、キャップを外してそのままグイッと喇叭飲みする。
「プハァーッ!! うめぇ! さすが本場!!」
日本でも馴染みのあるメーカーだが、原産地であるこの国で売られておった物の為、普段よりも美味しく感じると士は言う。それともう一つ、更にアメリカがコーラの発祥地である事を感じさせる要素があるとも申した。それは容器の大きさだ。一本の容量が一ガロン(四リットル程)もあるのだ。嘗ての我であれば適当量のサイズだが、日本人の此奴にとっては違和感を覚える位に大きい。その様な想像をしたが、実際はそうでも無かったみたいである。
「昨日は店でちょっとだけ飲んだけど、やっぱ風呂上がりに直で一気に大量に飲むのが一番だわ」
(せめてコップに注いでから飲め。行儀の悪い)
「お前だってビールとかウィスキーとか飲む時はビンに直接口つけて飲むだろ?」
(いや、まぁ、それは……うーむ)
思い返してみれば、我も千歳未満の若い時分は態々マグカップやゴブレットに飲み物を注ぐ行為を煩わしく感じておった。ただ、年齢を重ねるにつれて、その行いは段々と減少傾向に。五千歳を超える頃にもなると、流石に杯に注ぐ様になった。
(まあ、人前ではするなよ)
己を省みてみると、それ位の事しか言えん。
「分かってるってーの。っと、あー、もうこんな時間か」
ふと時計に目を遣ると、既に真夜中を過ぎておる。しかし、未だに睡魔は訪れておらぬ。
「昼寝したからな。全然眠くねぇ。こうなったらいっそ徹夜するか?」
(明日の活動に支障がなければな)
「問題ねぇ。ここ最近はちゃんと寝てる方だから一週間くらいなら寝なくても大丈夫そうだ。それに、これの続きも気になるしな」
士はそう言うや否や、例の小説を手に取った。如何やら一晩で読み切る算段らしい。徹夜は兎も角、読書をして朝まで過ごす心算か。慣れぬ事はせぬ方が良いと思うが、一晩中ゲームをしておるよりかは大分とマシである。
「えーと、さっき買ったヤツは……っと、これだ」
読書の相棒に、先程のコーラの他にチョコレートやスナック菓子も用意。それ等を触った手でページを捲る訳にはいかぬので、何かに使えるかと思って日本から持って来ておった割り箸も隣に置く。これで準備は万端である。尚、今回は小説の内容に集中したい為、テレビは点けぬ。
支度が整ったところで、早速読み始める士。順調に読み進め、時々手と目を休めては菓子を摘んでいく。喉が渇けばコーラで潤す。この調子ならば朝までには読み終えておろう。ただし、何とも不健康な食生活である。深夜に摂る食物ではない。まあ、今更止めはせぬが。
我が言える事は唯一つ。精々、寝落ちには気を付けるのだな。




