エピローグ 誠実な味
テレビの向こう側で、淡々としたアナウンサーの声が流れる。
「……逃亡先で見つかったのは、住所不定、佐伯被告。車内からは遺書のようなものが見つかっており、警察は自ら命を絶ったものとみて捜査を進めています」
かつて慶太を追い詰め、すべてを奪おうとした男の最期は、驚くほど静かで、無機質なものだった。彼が抱えていた忸怩たる想いも、歪んだ執着も、夏の乾いた風にかき消されるようにして幕を閉じた。
◆
高松の路地裏。
主を失ったはずの小さな店には、今、以前よりも濃い「餃子の匂い」が漂っている。
恵美は、慶太が使っていたあの使い込まれた包丁を握り、キャベツを刻んでいた。
トントントン、とリズムを刻む音だけが店内に響く。
「……少し、粗かったかな」
独り言を呟き、恵美は慶太が遺したあのノートを開く。そこには、慶太の几帳面な字で、季節ごとの水分量や、練り方のコツがびっしりと書き込まれていた。その文字の端々に、彼が「地に足をつけよう」ともがいていた日々の体温が残っている。
◆
「いらっしゃいませ」
暖簾をくぐってきたのは、あの事故の前日、慶太が最後に出した餃子を「旨い」と言ってくれた工場の男だった。彼は、カウンターの端に置かれた慶太の写真に小さく一礼し、いつもの席に座った。
「……焼いてくれるか」
「はい。喜んで」
恵美は、慶太に教わった通りに鉄板に火を入れる。
じゅう、と小気味よい音が上がり、白い湯気が立ち昇る。
慶太が命を懸けて守ろうとした、この場所。
そして、松山のお父さんが教えてくれた「味は人で決まる」という答え。
◆
恵美は、慶太が帰ってきたら伝えようとしていた言葉を、今は心の中で、鉄板に向かって呟いている。
(慶太さん。私、ここで生きていくよ。あなたが教えてくれた、この誠実な味と一緒に)
カウンター越しに差し出された餃子を、男は一口食べて、ふっと目を細めた。
「……ああ。やっぱり、ここのは生き返るな」
その言葉に、恵美は静かに微笑んだ。
窓の外には、夕暮れに染まる高松の空が広がっている。
かつては「蓮見」という影に怯えていたこの路地裏も、今はもう、誰かを温めるための灯火として、確かにそこに存在していた。
◆
店を出て、空を見上げる。
松山の空まで繋がっているであろう深い紺青。
恵美の左手薬指には、新しく、けれどどこか懐かしい輝きを放つ「六車」としての誓いが、静かに寄り添っていた。
泥の中から芽吹いた、小さな、けれど決して折れない花のように。
彼女の本当の人生が、今、静かに動き始めていた。




