第5章・38節『ピンクの髪』
「どけ! 邪魔だ!!」
赤い髪をした作業員のドゥルフは、鼓膜が震えるほどの勢いでカズラに怒鳴った。
「どうしてだ! 俺の後から来た奴は雇っただろ!」
カズラが負けじと声を張り上げる。
他の作業員がその騒ぎに目にとめ、赤い髪のドゥルフに注意を促した。
「おい、そいつ行方不明のクースフローだろ!? チァーラの実を盗んで逃げたって噂だぞ!」
ルク・ミィアのように、ラジオ放送で事件を知ったのだろうか。大規模窃盗事件が起きたことを考えると、島中が窃盗事件の話題で持ちきりになっていてもおかしくはない。噂が憶測を呼び、憶測がまた噂を呼ぶ。
「俺は何もしていない! 治安維持部隊にも話をした!」
赤い髪のドゥルフは、凄みをきかせた目でカズラをにらんだ。手入れのされていない汚れたしっぽが、警戒して下げられる。作業員たちの白い目に耐えて、更にカズラが叫んだ。
「本当にチァーラを盗んで逃げたなら、金欲しさに仕事をくれと言うか!」
カズラのもとに行くため、岸壁に向かっていたカーネルシア達の後ろから、聞き覚えのある声があがった。
「あいつ、物乞いしてんのかよ。ガキの後追っかけるのに飽きたのか?」
それは昨夜、地下集落チョスポにあるトスポバーにいた、ケラ茸で笑い転げていたピンク髪の人間だった。あごの下まで伸びた髪は、薄暗いトスポバーで見た時よりも色彩を攻撃的に放っている。
カーネルシアが口をへの字に曲げ、後方に立っていたピンク髪の人間に面と向かった。人間は派手な色の髪の割に、しなびた茶色の外套で身を包み、中身の入っていなさそうな袋を肩にかけていた。
赤毛のドゥルフは、筋肉の盛り上がりを誇示したいのか、胸の前でゆっくりと両腕を組んだ。
キーイーらィの呪い後も、ランデル戦争後も、さすが犬と人間のキメラ種だけあり、ドゥルフは人間に忠実な態度を示していた。そのため、クースフローよりも自分達が上の階級にいると思っている節があった。
2メートル近い大柄なドゥルフの作業員の中で、170センチメートルにも満たないカズラは、まるで子供のように見えた。どう料理してやろうかと口元を歪めるドゥルフをよそに、長身のピンク髪の人間がカズラに近づき、甲高く声をかけた。
「おい、黒猫! 金が欲しけりゃ恵んでやってもいいぞ!?」
カズラが振り返り、カーネルシア達の存在に気づく。
「ただし、俺の目の前で土下座したらな」
ピンク髪の男は、長細い顔でいやらしく笑った。
ルク・ミィアとラグが、ひと悶着ありそうな気配を感じて息をのんだ。カズラはピンク髪の胡散臭さに眉をひそめたものの、手っ取り早く金を手にするためにはやむを得まい。ピンク髪の前に歩いて行き、渋々その膝を曲げようとした。
素直に土下座しようとしているカズラに意表を突かれたのか、ピンク髪が目を丸くする。しかし、気を取り戻すように咳払いし、厳つく表情を取りつくろった。
「おら、土下座しながら金をお恵みくださいって言ってみろ」
ピンク髪は、カズラの膝に自身の足がつきそうなほど近くに詰め寄った。
歯を食いしばったカズラは、両手を地面につけ、目の前のピンク髪の靴に額がつくほど頭を下げた。年季が入った革靴だったが、ふざけた風貌の割に丁寧に手入れされているように見える。
「金を……」
「カズラ」
カズラの動作を不思議そうに見ていたカーネルシアが、ピンク髪とカズラの間に無理やり入り、ピンク髪の靴の上に尻を置くようにしゃがみ込んだ。
「!?」
ピンク髪は、ぎょっとして足をどかそうとしたが、全体重をかけられているのか、動かすことができない。
カーネルシアはカズラの頭を両手で上げて、カズラの体を起こそうとした。
「カズラ、何をしているんだ」
「俺に構うな。金がないと、お前とグレィマに行けない」
カズラは再度、要求された行為を実行するため、立て膝で後ろに下がった。
「おい、てめぇ、人の足の上に乗ってんじゃねえよ」
ピンク髪はそう言いながら、カーネルシアの頭を叩こうと、長い手を伸ばした。
「カーネルシア!」
ピンク髪の振り上げた手に反応し、ルク・ミィアとラグが慌てて声を上げた。
ピンク髪の手がカーネルシアの頭をとらえようとした瞬間、カーネルシアがしゃがんだまま前進し、ピンク髪の手が空を滑った。足からカーネルシアが退いた事と、手を空振りした事で、ピンク髪は少しバランスを失った。
「っと」
すぐさま体勢を立て直そうと前にずらした足が、カーネルシアの瑠璃色のポンチョコートの裾を踏む。カーネルシアが即立ち上がったため、ピンク髪は更にバランスを崩し、カーネルシアの肩につかまろうとした。
「っとっと」
ピンク髪はまるで、奇妙な踊りでも踊っているかの様に、足と手を不格好に動かした。ピンク髪の手がカーネルシアの肩に置かれる前に、カーネルシアはカズラの後ろに回り込み、カズラを無理やり立たせようと脇の下に手を入れた。
「っとっとっと?」
ピンク髪が大きくバランスを崩し、カズラの太ももに足を引っかけ、更に船の横に置かれていた何かの機材にぶつかった。よろけて岸壁の縁を踏み損ね、機材を蹴落とした挙句、ピンク髪の男も海へと落ちていく。
その目には、カーネルシアを除いた者たちが全員、口を開けてピンク髪を見ている姿だけが映っていた。
次の瞬間、岸壁の上が怒声であふれた。落ちたピンク髪の男を助けるためか、作業員の何人かが海に飛び込んでいった。
カーネルシアはカズラを強引に立たせると、手を引いて人目を避けるように岸壁から離れた。
「どうして邪魔をする!」
カズラがカーネルシアを引き留めようとするものの、全く歯が立たない。華奢な体のどこに、そんな力があるのかと思えるほどだ。
いやしかし、カズラはその腕に全力を込めている訳でもなかった。あの場から離れたがっていた自分の弱い心を隠すために、止む無く引きずられているのだと言う事にしたいのだ。
「カズラは僕が背負っていけばいい。僕の乗船券はルク・ミィアが買ってくれたから、それで大丈夫だろう?」
カズラ達に追いついたルク・ミィアとラグが、カーネルシアの言葉に耳を疑った。
「カーネルシア、背負ってもカズラさんの乗船券は必要ですよ? そもそも大の大人を背負うだなんて、潰されてしまいます」
カーネルシアは道の端で立ち止まると、ルク・ミィアを曇りのない瞳で見上げた。
「カズラは僕と一緒じゃないと駄目なんだ。さみしがり屋のにゃんにゃんだからな」
カズラの眼の下と耳がぴくぴく動き、ルク・ミィアの鼻の穴が笑いをこらえようと膨らんだ。
「俺、カズラの乗船券を買ってやっても」
「断る!」
何かを思いついた様に提案したラグに対し、条件反射のように叫び返したカズラは、しっぽで乱暴に空気を叩いた。
「何を企んでいる。人に恩を着せて、法外な要求でもするつもりか!?」
カズラの幼稚な言いがかりに、ルク・ミィアが呆れ顔で肩をすくめる。
「手負いの猫じゃないんですから、人の好意はありがたく受け取ったらいかがですか。まぁ、私が代わりに乗船券を購入して差し上げてもよろしいんですが」
「冗談じゃない!!」




