第8話 恋は計算できないと知った公爵ですが、最後に欲しくなったのは家族でした
「汝、病めるときも健やかなるときも、この者を愛し、支えることを誓いますか?」
「はい、誓います」
厳かな声が、式場に響いた。
今日は結婚式だ。
創造神へ誓いを立てる、神聖な儀式。
私パンジー・マリーゴールドも、派閥の長として列席していた。
・・・・独身だけど。
「お嬢様、結婚したいんですか?」
隣で控える護衛騎士が、相変わらず軽口を叩いてくる。
「もういいのよ。行き遅れの二十九歳で、飛び抜けた美人でもない。私なんて、地位と財力くらいしか取り柄がないもの」
「またそんなことを」
「無難な人を見繕うしかないわね」
私が肩をすくめると、護衛騎士は呆れたように小さくため息をついた。
式はつつがなく進み、新郎新婦は神前で永遠の愛を誓った。
病めるときも、健やかなるときも。
支え合うと、確かにそう言ったのだ。
――なのに。
しばらくして。
公爵家にて、護衛騎士が少し気まずそうに切り出した。
「お嬢様。実は、先日結婚したばかりの夫婦のことで、少し妙な話を聞きました」
「妙な話?」
「ええ。どうやら白い結婚というか・・・・夫婦仲が冷え込んでいるようで」
私は眉をひそめた。
「結婚したばかりでしょう?」
「夫側が妻を冷遇しているとか」
「まあ」
「しかも、どうやら幼なじみを大事にして、妻を蔑ろにしているそうです」
その言葉に、私は足を止めた。
「・・・・あの子?」
「はい。お嬢様もご存じの者です」
思わず顔をしかめる。
だって、夫であるその男は、幼なじみに散々ひどい目に遭わされていたはずだ。
魔法学園時代から顎で使われ、幼なじみの取り巻きたちに馬鹿にされ、それでも「私のことが好きなのよね?」と見下され続けた。
幼なじみが他の男と遊びに出かける時には荷物持ちとして連れ回され、それでも離れなかったと聞く。
そこを今の妻が目を覚まさせた。
彼の歪んだ執着を叩き直し、ようやく現実を見せて、結婚までこぎつけた――はずだった。
それなのに。
「そんなの忘れて、また幼なじみに引かれているの?呪いなの?バカなの?」
「さあ・・・・」
護衛騎士も言葉を濁した。
神に誓ったばかりの夫婦。
それなのに、夫はまた過去の執着に引きずられているという。
私はどうにも腑に落ちなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数日後。
私は魔法省にいた。
今日は、保管庫に眠る重要魔道具の整理と点検の日だ。
とはいえ、実際にやるのは点検がほとんどだが、危険な品も多い。慎重に扱わなければいけない。
そしてついでに――
先日の、あのどうしようもない男のことを思い出していた。
あんなふうに幼なじみに引っかかるような執着を、なんとか解ける道具でもないかしら。
そんなことをぼんやり考えていた、その時。
「ぶっ、くしゅん!」
盛大なくしゃみが出た。
拍子に、棚の端に置かれていた小瓶がひっくり返る。
「あっ」
ぱしゃり、と液体が飛び散った。
「やっちゃった・・・・」
慌ててラベルを見る。
『追想液』
過去の記憶や残滓に触れる際に使う補助液体――らしい。
「まあ、危険物じゃないならいいわよね」
私はそう呟きながら、飛び散った液体を軽く払った。
その時は、本当にそれだけのつもりだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ラベンダー、そっちへ行ったぞ!」
「任せて!みんな、お待たせ!防御結界!」
澄んだ声が、夜気を切った。
次の瞬間、薄青い結界が一気に広がり、襲いかかってきた魔物の爪を弾く。
「助かった!」
「お疲れ様。ベルフラワー、相変わらず結界魔法の腕が冴えてるわね」
「お世辞を言っちゃやーよ。まだまだだもん。ねぇ、キース」
「え、うぁ・・・・いや、そんなこと、俺に聞かれても」
「先は長い。おしゃべりはそこまでにして急ぐぞ」
「ちぇ。相変わらずミモザは冷静だなあ」
―夢だ。
そう気づいたのは、もう少し後だった。
私はベルフラワー・プラチアーナとして、勇者パーティーの一員になっていた。
勇者ラベンダー。
キース。
ミモザ。
そして私。
見慣れないはずの景色なのに、なぜか全部が懐かしい。
その夜は野宿だった。
私は手慣れた様子で水の確保をし、焚き火の準備を整え、食事の支度に取りかかっていた。
肉は途中の街で買ってある。
あとは火を起こせばいい。
でも、手は動いていても、心は落ち着かなかった。
今日の道中を思い出していたのだ。
強力な魔物が私に襲いかかってきた時――キースは、とっさにラベンダーを庇った。
わかる。
勇者はパーティーの要だし、いちばん守るべき存在だ。
わかっている。
・・・・でも。
「少しくらい、私を守ってくれてもいいじゃない」
胸の中でそう呟いてしまう。
こう見えても、傷ついているんだから。
結局、私を守ってくれたのはラベンダーだった。
しかも、あの子は憎らしいくらい性格がいい。
もし意地悪な性格だったら、私だってもっと素直に拗ねられるのに。
「どうしたの?寝られないの?」
柔らかな声が降ってきた。
見上げると、ラベンダーが隣にしゃがみ込んでいた。
相変わらず可愛い顔をしている。
そして、腹が立つほど優しい。
「ちょっとね」
「考えごと?」
「・・・・うん」
しばらく、焚き火の音だけが揺れていた。
私は、ぽつりとこぼす。
「ねぇ、ラベンダー。恋って何なのかね?」
「恋?」
「かっこいい人とか、すごく強い人とか、美人とか・・・・そういう人に、みんな恋するのかなって」
自分で言っておいて、情けなくなる。
比べているのだ。
ラベンダーみたいに綺麗で、愛される存在と。
けれど、ラベンダーは少し考えてから、ふわりと笑った。
「えっと、私は違うよ」
「え?」
「私の好きな人は、かっこいいって周りから言われないし、強いとも言えないけど」
「・・・・でも、好きなの」
顔を赤らめ、幸せそうに微笑む。
私は目を見開いた。
ラベンダーに、本当に好きな人がいたなんて。
しかも、そんな表情で言われたら、こっちまで恥ずかしくなるじゃない。
「だからね」
焚き火の火が、ラベンダーの横顔を照らした。
「私、思うの。恋って計算できないのよ」
その言葉が、まっすぐ胸に落ちた。
恋って、計算できない。
綺麗だからとか、強いからとか、そういうものじゃない。
私はその言葉を、なぜかとても大切なもののように思った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
目が覚めた。
「・・・・また、変な夢」
ベッドの上で身を起こし、ぼんやりと天井を見上げる。
夢の細部はもう曖昧だった。
誰と旅をしていたのか。
どんな顔をしていたのか。
そんなことは、霧がかかったみたいに遠い。
でも、一つだけ。
たった一つだけ、妙にはっきり残っていた言葉がある。
「恋って計算できないのよ、か」
私は小さく呟いた。
恋。
愛。
病めるときも健やかなるときも支えると、神に誓うこと。
あの結婚式。
あの夫婦。
そして、幼なじみに執着する男。
私はベッドから降りると、軽く身支度を整えた。
「・・・・少し試してみるか」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その男に会った時、私はすぐに分かった。
やっぱり、まだ妻のことをちゃんと見ていない。
目は幼なじみの方へ向いているくせに、心の底ではもう苦しんでいる。
執着なのだ。
恋というより、長年染みついた妄執。
「マリーゴールド公爵様・・・・」
男は青い顔で私を見る。
私は淡々と言った。
「安心しなさい。少し頭を冷やしてあげるわ」
「今から魔法をかけてあげる。といっても、恋心そのものを消す魔法じゃないわ」
「え?」
「ただ、相手を都合よく美化してしまう妄執を、少しだけ剥がすの」
「そんなことが」
「できるかどうかは、やってみれば分かるわ」
私は、開発していた幻惑系の魔法を使った。
幼なじみを見る時だけ、彼の脳内でかかっていた“都合のいいフィルター”を外す。
相手を現実のまま見るようにする、ただそれだけの魔法だ。
恋そのものを消すわけじゃない。
それでなお相手を愛するなら、本物だったということ。
でも――
結果は、てきめんだった。
男は、あれほど追いかけ回していた幼なじみに、急速に興味を失った。
そして、すぐさま妻に和解を求めたのだ。
もちろん、すぐに許されたわけではない。
妻は冷たかった。
当然だ。
さんざん傷つけられたのだから。
男は何度も頭を下げ、以前とは別人のように妻を大切にし始めた。
そうしてようやく、少しずつ、夫婦関係は修復されていったらしい。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「そんなことあるわけないでしょ!!」
私は護衛騎士に言った。
「はい?」
「すぐに夫婦円満です、なんて。そんな綺麗に済むはずないじゃない!」
私は護衛騎士から、「あの夫婦うまく言ってるみたいです」と報告をうけたが信じられなかった。
なので、私は直接話を聞きに行くことにした。
すると。
妻は、思っていたよりずっと満ち足りた顔をしていた。
「本当にうまくいってるのね」
思わず漏らすと、妻は穏やかに笑った。
「確かに、許すまでには時間がかかりました。でも、あの人、今は本当に私を大事にしてくれるんです」
「恨んでいないの?」
「恨んでますよ」
きっぱり言い切る。
「今でも、たまに思い出して腹が立ちます」
「でしょうね」
「でも、それ以上に・・・・今のあの人を見ていると、もう一度やり直してもいいかなって思えたんです」
私は少し黙った。
これが恋か。
いや、もっと静かな何か――愛、なのかもしれない。
なるほど。
計算ではないんだな。
私は妙に納得した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それからしばらくして。
その夫婦に子どもができたという話を聞いた。
私は庭を眺めながら、ぽつりとこぼす。
「あんなに冷遇されたのに、許すなんて・・・・それが本当の愛なのかしら」
「お嬢様」
護衛騎士が苦笑混じりにこちらを見る。
「ところで、どうやって改善させたんですか?」
「簡単よ」
私は肩をすくめた。
「ちょっとした幻惑魔法をかけただけ。幼なじみを見る時だけ、都合よく美化された認識が剥がれるようにしたの」
「なるほど」
「それでなお愛するなら本物。でも、そうじゃなかった。つまり、あれは恋じゃなくて妄執だったのよ」
「幼なじみへの執着は、本物の恋ではなかった、と」
「そういうこと」
その幼なじみの女は、その後きれいに社交界で居場所を失った。
今まで散々他人を振り回してきたツケが、一斉に回ってきたらしい。
まあ、当然だろう。
護衛騎士はさらに、私に報告しなかったことを一つ思い出したようだった。
「もっとも・・・・妻側にも、少し癖があるようですが」
「癖?」
「ええ。あれから夫はそれはそれは妻を大切にしているそうです。ただ、妻の方も完全に水に流したわけではないらしくて」
「当然ね」
「ことあるごとに、過去のことを少し持ち出しては夫を困らせるそうです」
「ふふっ」
「そのたびに夫は、捨てられそうな子犬のような顔で機嫌を取るとか」
「まあ」
「妻は、その顔を見るのがわりと嫌いではないそうですよ」
私は吹き出した。
「何それ。可愛いじゃない」
「ほんとに、恋も愛も、計算じゃどうにもなりませんね」
護衛騎士はしみじみと言った。
私も、そう思う。
夢の中で聞いた言葉が、また胸の奥で揺れた。
恋って計算できないのよ。
しばらく黙っていた私は、ふと口をついて出た。
「・・・・私、子ども欲しいな」
静寂。
次の瞬間、部屋にいた護衛騎士と侍女が同時にぶっと吹き出した。
「お嬢様!」
「そのようなことを大っぴらに言わないでくださいませ!」
護衛騎士は、可哀想なものを見るような目で私を見ている。
「なによ。思っただけじゃない」
「思っても、口に出すのはもう少し慎んでいただけると・・・・」
「別にいいでしょ」
私がむっとして言い返すと、護衛騎士がごく小さな声で呟いた。
「なんなら、私が」
「ん? 何か言った?」
「いえ、何も」
涼しい顔で誤魔化される。
私は首を傾げたが、深く考えるのはやめた。
窓の外では、夕暮れの光がやわらかく庭を染めている。
恋は計算できない。
愛もきっと、損得では測れない。
傷つけられても、それでも一緒に生きたいと願うのなら――それはたぶん、本物なのだろう。
なら。
いつか私にも、そんなふうに守りたい相手や、家族ができるのかしら。
私は小さく笑った。
「・・・・面白いものって、案外、そういうところにあるのかもね」
今日もマリーゴールド公爵邸は、平和に一日を終えていく。
けれど私の胸の奥には、まだ少しだけ、あの夢のぬくもりが残っていた。
いつか、あの懐かしい名を、もう一度ちゃんと思い出す日が来るのかもしれない。
本作の最後でパンジー・マリーゴールドが「追憶の水」をきっかけに見た夢は、彼女の前世にまつわる記憶です。そのあたりのお話は、短編「虐げられた伯爵令嬢が、魔神具《全智の目》で運命を読み、婚約破棄も陰謀も全部ひっくり返します」でも触れています。また、夢の中に登場した人物たちについては、シリーズ本編第二作「僕に仕えるメイドは世界最強の英雄です2」でも描かれています。
気になった方は、そちらも読んでいただけると嬉しいです。
なお、シリーズ本編第4作目は第2作目から続く物語となっており、明日から連載開始予定です。
あわせて楽しんでいただけましたら幸いです。




