第14話 師匠が剣を出した
真剣を見た。それより先に、音を聞いた。
◇
夜明け前だった。
目が覚めた。寒かった。庭の方から、かすかな音がした。
何の音か、最初わからなかった。
起き上がった。縁側に出た。
道場の戸が、わずかに開いていた。
中に光があった。蝋燭ではなかった。空が白み始めていて、その薄い光が戸の隙間から差していた。
見てはいけない気がした。見ずにはいられなかった。
戸の隙間から、中を見た。
トネリアが、真剣を持っていた。
干し束草が、道場の端に縦に立ててあった。束ねた草を縄で縛ったもので、人の胴ほどの太さがあった。
トネリアが構えた。
刀を抜いた。鞘走りの音がした。刃が薄い光を一瞬だけ受けた。
踏み込んだ。
音がしなかった。
いや、した。一瞬だけ、澄んだ音がした。鍔の鈴だった。踏み込みの瞬間に、一度だけ。
干し束草が、落ちた。
上から三分の一ほどのところで、きれいに落ちた。
切り口は見えなかった。しかし落ちた。
静かだった。
トネリアが刃を返した。血糊を払うように、ゆっくりと。それから鞘に収めた。また澄んだ音が一度した。
振り返った。
アルトと目が合った。
◇
しばらく、二人とも何も言わなかった。
トネリアが道場から出た。
「見ていたか」
「……はい」
「そうか」
「声をかけようとして、かけられませんでした」
「そうだろう」
縁側に並んで座った。空がだんだん明るくなっていった。
「師匠、今の」
「なんだ」
「音がしませんでした。踏み込みのとき以外」
「そうだな」
「刀が当たる音がしませんでした。切った音も」
「そうだな」
「なぜですか」
トネリアは少しの間、庭を見た。
「刃を薄く入れるからだ。ぶつけるのではなく、滑り込ませる」
「どういうことですか」
「草の繊維の隙間に入る。引くのではなく、添わせる。だから音がしない。薄刃という」
アルトは干し束草の切り口を見た。まだ薄暗くて、よくは見えなかった。
「師匠、斬り入れ方が薄いということですか」
「そうかもしれない」
そうかもしれない、だった。
「鈴が鳴りましたよ。一度だけ」
「踏み込みのときだな」
「そうです。踏み込みのとき一度鳴って、あとは鳴りませんでした」
「そうだな」
「踏み込みで鳴るのは、なぜですか」
「踏み込みは、鳴っていい」
「なぜですか」
「動き始めだからだ。そこからは鳴らない」
アルトは自分の木剣のことを考えた。自分が打ち込むとき、鈴がついていたら何回鳴るだろう、と。
◇
朝の稽古が始まる前に、トネリアが道場から真剣を持ってきた。
「これを見て稽古をする」
「触るな、ですか」
「そうだ」
「剣の造りを教えてください」
「見ればわかる」
アルトは真剣を受け取って——いや、受け取ろうとして、目が合ったので受け取らずに近くで見た。
鍔の縁に、小さな穴があった。穴に、細い鉄芯が渡してあった。芯に、鈴が一つ通してあった。神楽で使うような、小さな金の鈴だった。
「鍔の鈴が鳴るんですか」
「そうだ」
「振るとき、鍔が揺れると音が鳴る」
「そうだ」
「どういうときに揺れるんですか」
「無駄がある、ということだ」
「どんな無駄ですか」
「見ていればわかる」
◇
夕飯のとき。
「師匠、なぜ今日出てきたんですか、真剣が」
トネリアは一拍置いた。
「お前が七合続いたからだ」
「七合は先週でしたよ」
「そうだな」
「なんで今日なんですか」
「こなたが決めた」
「それは理由ですか」
「理由だ」
また同じ答えだった。
「師匠の剣、古いですね」
「そうだな」
「師匠の師匠からもらったんですか」
「もらったのではない。こなたの剣だ」
「自分で選んだんですか」
「そうだ」
「どうやって選ぶんですか」
トネリアは茶を持った。一度冷ました。飲んだ。人差し指が口元にいった。
「持ってみて、わかる」
「わかるものですか」
「わかる」
「俺にもいつかわかりますか」
「わかるようになる」
断言だった。アルトは芋を食べた。
◇
その夜、トネリアは道場を片付けた。
干し束草の上半分を外に出した。切り口に触れた。面が出ていた。押した跡がなかった。
アルトに見られていた。
見せるつもりはなかった。しかし見られた。
あの子は切り口に何かを感じたかもしれない。言葉にはならなくていい。体が覚えていればいい。師がこなたに見せたのも、そういうものだった。
何も言わなかった。翌日から内容が変わった。それだけだった。




