鏡
壁にもたれて窓の外を覗いていると、突然お呼びがかかった。
「不知火……さん?」
「お嬢様、動かないで下さい!」
紐を引っ張る侍女の一人が、千波に抗議する。薄暗い部屋の中、甘い灯りを無数に抱えた、寝台程もある三面鏡の前で、二人の侍女がせわしなく働いていた。あちらのひもを引き、こちらのリボンを結び、神輿を飾り付けるなじみ深い光景に、風音は静かな溜息をつく。風音のいる北側からは、南側の居間が眩しく見えた。巨大な化粧台に、睡蓮が彫り込まれた小さなテーブルの上では、陶製の香炉から立ち昇った薄い煙の影が、白いレースのテーブルブルクロスに横たわっている。
「ごめんなさい。続けて」
鏡と向き合ったまま、ためらいがちに横目で風音を窺う千波に、レースのカーテンを弄びながら、差し込む光の向こう側をにらみ返す。
「何がおかしい」
予想以上に冷たい声が、風音自信を驚かせる。どこか見慣れた忌々しい部屋の中、無骨な青い隊服だけが風音を遠くに隔てていた。
「なぜって――」
「まあ、こんな格好をしていれば、お嬢様には珍奇に見えるだろうがな」
一瞬振り向きかけた千波と、鏡の中の侍女の目が合った隙に、震える声で遮った。早口を張り上げたばかりに、語尾がもつれそうになる。自分の言葉が胸中に沈みこむ、ごろごろとした感触。さっきまで部屋を吹き抜けていた蒸し暑い風が凍りつき、侍女たちの間に戸惑いが伝染する中、たった一人、千波だけが身じろぎもせず鏡と向き合っていた。
「でも、あなたはお嬢様でしょう?」
「見えるか?そう思ってもらえるとは、光栄の至りで――」
「昔、叔母様にお会いしたことがあります」
今度は逆に、千波が風音を言い伏せる番だった。屈辱を噛み潰し、腕を組んで背中を壁にぶつける。母の妹が一人、婆羅門の家に嫁いだのだと、祖母が以前自慢していた。何も言い返せないまま、暗がりに視線を漂わせる風音を、千波は問い詰める。
「それだけの家格を持ちながら、どうして隊に身を寄せていらっしゃるのですか?」
握った拳を壁に叩きつけると、鬱血した指先に残響が襲いかかった。
「あなたには……関係ないことだ」
「ごめんなさい……」おかしなことを聞いてしまって」
彼方から聞こえるかすかなざわめきの中で、香炉から立ち昇る煙だけがその身をくゆらせ、眩しい白のテーブルクロスに、うっすらと墨を流していった。




