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パトローネはタイムカプセル 家族の肖像  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


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第一章 漢方医・柊 仁左衛門


私の家は、五代続く医者の家系である。


こう書くと、いかにも由緒正しい医者の家柄のように聞こえる。


実際、曾祖父の仁左衛門は、加賀前田藩の支藩の越中の国前田家臣の末裔だったらしい。


現在でも富山といえば売薬というほど有名だが、2代藩主正甫は製薬に興味を持ち、薬の製法を領内に広め、越中売薬の基礎を築いたという。


売薬業は、先立つものとして立山その他の山岳修験者による修験売薬があった。


だからというわけではないのだろうが、仁左衛門は立山山麓の釜ヶ淵村で庄屋をしながら漢方医をしていたという。


もっとも、武士の家柄だったからといって、明治以降は農民であったわけで、代々裕福だったわけではないらしい。


何しろ、私の知る限り、先祖から受け継いだ財産らしい財産は、ほとんど残っていない。


代わりに残っているのは、古い写真と、いささか変わった先祖たちの逸話である。


その筆頭が、曾祖父の仁左衛門だった。


仁左衛門は漢方医、今でいう村民を診るためのかかりつけ医であった。


まだ西洋医学が日本の隅々まで普及していなかった時代のことである。


聴診器もレントゲンも使わず、患者の脈を取り、舌を見て、顔色をうかがい、薬草を煎じて病を治しいた。


もちろん、当時すでに西洋医学は日本に入っていた。しかし、地方には昔ながらの漢方医も数多く残っていたのである。


私は呼吸器内科医だ。


胸部CTを見て、気管支鏡を使い、血液ガスを調べ、時には人工呼吸器を扱う。


仁左衛門が私の診療を見たら、きっと腰を抜かすだろう。


逆に、私が仁左衛門の診療所に連れていかれたら、何をどう診断していたのか、首をかしげることにると思う。


ただし、患者の話を聞き、病気を治そうとすることだけは、今も昔も変わらない。


少なくとも、そう信じたい。



仁左衛門の診療所は、越中の国、釜ヶ淵村の田園風景の中にあった。


広い屋敷森を抜けていくと玄関にはからは薬草の独特な匂いが漂い、棚には薬種を入れた引き出しがずらりと並んでいた。


壁には古い掛け軸。


診察机の上には硯と筆。


そして、奥の座敷には、いつも煎じ薬の湯気が立ち上っていた。


これは、私が実際に見た光景ではない。


何しろ、仁左衛門が生きていたのは、私が生まれるずっと前のことである。


祖母から聞いた話と、古い家の写真から想像したものだ。


しかし、仁左衛門という人物については、妙に具体的な話がいくつか残っている。


その一つが、患者を診るときの態度だった。


仁左衛門は、たいそう生真面目な人だったらしい。


診察中は余計なことを言わず、患者の話をじっと聞く。


脈を取るときには目を閉じ、何やら考え込む。


患者は、その沈黙に耐えきれなくなって尋ねる。


「先生、わしの病気は重いんでしょうか」


仁左衛門は、ようやく目を開ける。


「まあ、しばらく養生することじゃ」


それだけだったという。


現代なら、説明不足だと苦情が来るかもしれない。


もっとも、当時は医者の言葉に、それだけの重みがあったのだろう。


あるいは、単に口数が少なかっただけかもしれない。


このあたりは、父にも通じるものがある。



仁左衛門には、もう一つ変わったところがあった。


お国のためとなると、どうにも気前がよくなってしまうのである。


日露戦争の頃だったという。


国を挙げて戦争を支えようという時代である。


仁左衛門は、家にあった金目の物を次々と差し出した。


それだけではない。


屋敷を囲んでいた立派な木々自ら伐採し、供出してしまったという。


屋敷森をである。


北陸の家にとって、屋敷森は単なる飾りではない。


冬の冷たい風や雪から家を守る、大切な存在だった。


それを切ってしまったのだから、家族はさぞ困ったに違いない。


「お父様、そんなに何もかも差し出してしまって、冬はどうするのですか」


娘の彩音が尋ねた。


もっとも、当時の彩音はまだ幼かったはずだから、実際にこんな会話があったかどうかはわからない。


しかし、仁左衛門なら、きっとこう答えただろう。


「国の一大事じゃ。家の寒さくらい我慢せねばならん」


実に立派な心がけである。


ただし、家族にしてみれば、たまったものではない。


おかげで、その後の冬は、家の中をいつも以上に冷たい風が吹き抜けたかもしれない。


仁左衛門は、そんなことは気にしなかったのだろう。


医者としても、一人の国民としても、自分が正しいと思ったことを貫く。


そういう人だったらしい。


私にも、少しくらいはその血が流れているはずである。


しかし、幸いなことに、今のところ自宅の庭木を切ってまで何かに尽くそうと思ったことはない。


遺伝というものは、実に都合よく働くものだ。



仁左衛門には、彩音という娘がいた。


明治三十三年、1900年生まれである。


私の祖母にあたる。


古い写真を見ると、きりっとした目元の、なかなか美しい女性だった。


ただし、笑っている写真は少ない。


当時の写真は、そもそも笑顔で撮る習慣があまりなかったらしい。


それでも、写真の中の彩音は、何となく気が強そうに見える。


実際、相当に芯の強い女性だった。


仁左衛門は、娘にも学問を身につけさせたいと考えていた。


当時としては、かなり進歩的な考え方である。


もっとも、父親が進歩的だったからといって、娘が素直に育つとは限らない。


彩音は、父親の期待を上回るほど、自分の意志を持った女性に成長した。


高等女学校を卒業した春のある日、彩音は父に告げた。


「私、お医者さんになります」


仁左衛門は、しばらく娘の顔を見つめた。


「医者か」


「はい」


「女が医者になるのは、なかなか大変じゃぞ」


「お父様も、お医者様でしょう」


「わしは男じゃ」


「病気になるのは、男も女も同じでしょう」


なるほど。


これは、なかなか反論しにくい。


仁左衛門は、しばらく黙っていた。


やがて、ひと言だけ答えた。


「好きにするがよい」


もちろん、この会話も私の想像である。


当時もきっと、医学部で高等教育を受けるともなると先立つものもかなり必要であったろう。


それも東京である。親類縁者のない土地での田舎から上京した女性の一人暮らしである。



かわいい、末娘の望みをかなえる程度の蓄えはあったのであろう


しかし経済的に可能かどうかとはかなり別問題なのだが.......


たいした親であるともいえる。


しかし、彩音が後に東京女子医学専門学校へ進んだことは確かだった。


父の診療を見て育った少女が、今度は西洋医学を学ぶために東京へ向かったのである。


漢方医の父から、西洋医学を学ぶ娘へ。


これが、わが家の医者の歴史の、最初の大きな転換点だった。



私は時々、仁左衛門が今の時代に生きていたら、どんな医者になっていただろうと考える。


おそらく、電子カルテには苦労しただろう。


何しろ、筆と硯の時代の人である。


キーボードを前にして、しばらく考え込んだ末に、


「紙に書いた方が早い」


と言い出すかもしれない。


患者への説明も、相変わらず短いだろう。


それでも、患者の顔をじっと見つめ、話を聞く姿勢だけは変わらないような気がする。


医学の進歩は目覚ましい。


仁左衛門の時代には、肺炎も結核も、多くの人の命を奪っていた。


今では抗菌薬があり、CTがあり、人工呼吸器もある。


それでも、医者が患者の前に座り、病気と向き合うという光景は、百年以上たっても変わっていない。


私は、そのことを少し不思議に思う。


仁左衛門から彩音へ。


彩音から俊一郎へ。


俊一郎から私へ。


そして今、私の息子も白衣を着ている。


五代にわたって医者が続いた。


ただし、これは決して血筋だけの話ではない。


祖母の彩音は生涯独身だった。


父の俊一郎は、岡山の農村から里子として迎えられた少年だったのである。


つまり、わが家の医者の歴史は、血縁だけでつながっているわけではない。


むしろ、少し変わった人たちが、偶然と縁によってつながってきた結果なのだ。


そう考えると、何となく愉快になる。


さて、その彩音である。


東京で医学を学び、小児科医となった彼女は、当時としては珍しい選択をした。


結婚しなかったのである。


生涯独身。


しかも、ただ独身を貫いただけではない。


ある日、岡山の田舎から、一人の少年を迎え入れることになった。


五人兄弟の末っ子。


後に私の父となる、俊一郎である。


彩音は、その少年を自分の息子として育てることになる。


もっとも、少年の方は、そんなことになるとは夢にも思っていなかっただろう。


自分がやがて循環器内科医となり、息子も医者になり、さらに孫まで医者になるなど、想像したこともなかったはずだ。


何しろ、そのときの彼にとっては、医者になることよりも、もっと切実な問題があった。


知らない土地で、知らない女性と、これから一緒に暮らさなければならない。


それだけで、十分に大事件だったのである。






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