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「女の子」

(それだけは……! 私の財布のためにも、絶対に阻止せなあかん!)

智は膝の上で、誰にも見えないようにそっと拳を固く握り締めた。


満面の笑みのなかに、狂犬のような凄惨さを隠しきれていない工藤の顔をじっと見据え、智は努めて冷静なト調で尋ねた。

「で……具体的に、そのお相手はどうなりました?」

「姉ちゃんら、今からちょっと時間あるか? ……ええドライブ行くで!」


工藤はニヤリと口角を上げると、応接室のソファから勢いよく立ち上がった。

なるほど、と智は内心で首を縦に振った。

「押さえた」のが証言レベルではなく、完全に「実行犯の身柄」であることを、その誘い文句が証明していた。

もしこれがただの「証言」や「白状した音声」だけであれば、スマートフォンに録音したボイスメモのデータをここで再生すれば事足りる。

わざわざ車を出すということは、その移動した先にある秘密のロケーションに、今まさに「生きた実行犯」が五体満足、あるいは不満足な状態で拘束されているという意味に他ならない。


余談ではあるが、裏社会の人間が敵の実行犯を確保した際、わざわざ自分たちの本拠地である組事務所へと連れ込み、その建物の中で尋問や拷問を行うことは、現代においては百パーセントあり得ない。

今の時代、警察はどんな微罪――それこそ、別件の無銭飲食や小さな脅迫一件でも家宅捜索令状(ガサ入れの切符)を引っ提げて、いつでも組事務所の鉄扉を破ってなだれ込んでくる。

そんな緊迫したリスクの塊のような場所に、全身アザだらけで血まみれになった拉致監禁の被害者を転がしておいてみろ。ガサ入れの瞬間に現行犯で鉢合わせすれば、その場に居合わせた組員全員が監禁罪、あるいは組織的監禁致死傷の共同正犯として、一網打尽に逮捕される致命的なリスクがあるからだ。

よって、彼らが行う尋問や拷問、あるいはその後の最終的な処刑といった「汚い作業」は、必ず組事務所の所有名義からは完全に切り離された、人里離れた廃工場や、山奥の資材置き場、あるいは人目のつかない海上コンテナの中などで行われるのが常識だった。


座っていた応接室の椅子を温める暇すらなく、智と鈴木は無言で腰を浮かせた。

工藤の背中に従うまま、事務所の奥にある関係者専用の屋内駐車場へと足を踏み入れる。

そこに鎮座していたのは、ピカピカに磨き上げられた黒塗りの高級ミニバンだった。

かつて「ヤクザの乗り物と言えばベンツ」という、分かりやすいステレオタイプの時代もあったにはあった。

しかし、時代の変化とともに輸入車の正規ディーラーにおけるコンプライアンスや身元確認の網は極限まで厳しくなり、暴力団関係者が正規ルートでドイツ製の高級車を購入することは、もう何年も前から不可能になって久しい。

実のところ、現代においてトップクラスの広域組織の最高幹部を除けば、街中で型落ちのベンツを乗り回しているのは、見栄とハッタリ、そして虚勢にその全人格を賭けている地方のチンピラか、あるいは法律の縛りが緩い半グレの若造くらいなものだ。

今の時代の本物の極道は、移動中の居住性と、周囲の目を引かない実用性を重視した、国産の高級ミニバンを好んで移動手段に選んでいる。


浅間組事務所の脇にある電動シャッターが、重々しい金属音を立ててゆっくりと上昇していく。

すると、事務所の正面で二十四時間体制の張り込みを行っていた制服警察官たちが、異変を察知して一斉に集まってきた。パトカーの赤色灯が反射するなか、彼らはミニバンのフロントガラスの前に立ち塞がり、車を止めようと手を挙げた。

ミニバンの後部座席のウインドウには、これでもかと濃い遮光スモークフィルムが隙間なく貼られており、外の警察官の視線から車内の様子を完全に遮断している。


鈴木が素早く車内をギョロリと見渡し、シートの隙間や足元に、銃器や刃物、あるいは薬物といった「妙なブツ」が残されていないことを瞬時に確認した。クリーンであることを確信すると、彼は躊躇なくスライドドアをガラリと大きく開け放った。


「すんません、前空けてもらえます? ウチの姉ちゃん、急に激しい腹痛を起こしてしもて。

救急車呼ぶんもちょっと大げさやし、今から近くの夜間病院に連れて行こう思て……なぁ?」


鈴木がフロントガラス越しに、いかにも困り果てたサラリーマンといった風情で、外の警察官たちに声をかけた。

その合図に合わせて、後部座席の奥に座っていた智が、自分の下腹部に両手を強く当て、体を小さく丸めてみせた。

そして、いかにも脂汗を流しているかのような、あからさまに引き攣った作り笑顔を警察官たちに向ける。


「あはは……。私、いちおう『女の子』の身ぃやし……。

こんなヤクザの事務所の前で救急車とか呼ばれて、近所で大げさに騒がれるんは本当に勘弁して欲しいんですけど……。痛たた……」


智のその必死の演技と、車内の様子をひと目見て、警察官たちは互いに顔を見合わせた。

少なくともこの狭い車内には、現在進行形で拉致されているような「事件性のある人間」は同乗していないと判断したのだろう。

あるいは、ヤクザの事務所から女が腹痛で出てきたという、最悪の男女間の醜聞やプライベートなトラブルにこれ以上首を突っ込みたくないという、現場特有の忌避感もあったのかもしれない。

彼らは静かに道を空け、パトカーの脇を通るスペースを作った。

ここで下手に「人権侵害だ」「緊急の病人を拉致している」などと騒がれ、後から組織的な問題に発展しては目も当てられないからだ。

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