切なる願いはひとつ
「あ、しーまーきー!!」
空を舞う人影を見つけ、手を全力でぶんぶんと振る。それが見えたのか、彼は緩やかに降りてきて柔らかく着地する。
「相変わらず元気だなー」
そう言って笑いながら。
あれから七日。文で宣言していた通り、風巻が来てくれたのである。
「元気! 風巻も元気そうだね!」
「おー、元気元気」
会話を交わしながらも、後ろにいる寒露から怪訝そうな空気が流れてくる。風巻の方も気づいたようで、誰? と言いたげな視線が寄越された。
「紹介するね! 寒露っていって、団の創設に協力してくれるってことになったんだ! あ、蛟ね」
手で示して、寒露からも自己紹介があるのを期待したのだが――中々何も言おうとしない。
今度はこちらが怪訝に思って振り返ると、何と彼は露骨に嫌な顔をしていた。
「……あの、久遠サマ。念のため確認しますけどこいつ、」
「天狗だよ? 烏天狗」
首を傾げると、更に嫌な顔をして歯噛みする。
「……鳥かよ……よりによって!! ……寒露」
すわ風巻と過去に何か因縁でも、とも一瞬考えたが、それで総てが腑に落ちた。
鳥と蛇といえば、天敵も天敵。水と油とも言っていい関係なのだ。
「蛟かー……まあ、種族云々は関係なしってのが、未来の団長の理想だし? 天敵がどーこーとかこの際ナシってことで。風巻。よろしく」
予想通り、風巻の方はあっけらかんとしている。「もう団長だっけ?」と確認できる余裕もあるぐらいで。
「団長だよ! まだ規模ちっさいけど!」
風巻から文をもらった翌日、正式に――といってもおれの中で、だけど――おれは団を設立した。猫の使いに導かれて集合場所に現れた数種族に渡る妖怪と共に。
蛟、妖狐、土蜘蛛、雨女、土蜘蛛、河童。てんでばらばらで、でも共通するのは、総ての者が周囲の妖怪ないし人間に虐げられた記憶があること。
蛟が多く集まったのは、やはり妖怪からも爪弾きにされやすいからかもしれない。一言もしゃべらない子供もいて、酷く胸が痛んだ。
――他の蛟に目の前で母を殺されて、他の妖怪たちにも嫌な顔をされてばかりで……此処十年ほど、一言も口を利かないんです。
姉だという少女はそう呟いた。
同じなのに。ただ生きているだけなのに。そして、種族の中の多くが周りにとっては理解できないことをしているというだけで、個人までも嫌われてしまう。
おれたちが声をかけた妖怪たちで集合場所に集まってくれたのは、おおよそ半分といったところだった。彼らが連れてきてくれた新たな仲間で差し引き変わりなし、という感じだった。
誘ったその時には同意してくれても、冷静になって考えてみてやはり不信感を覚える、ということがないわけはないと知っていた。
でも、それでいい。彼らからふとしたときに口に出て、同じように考えている者がいれば、団はまた少しずつ大きくなっていくだろう。
「風巻は第一幹部ね!」
こんなにも頼りになる義兄と、部下がいるのだから。
「久遠サマの義兄久遠サマの義兄久遠サマの義兄……」
が、一方でその『頼りになる部下』は、何やらぶつぶつと自分に言い聞かせている。どうやら相手が天敵でも「おれの義兄だから」ということで納得させようとしているらしい。
「こんなふらふらしてんのでいいわけ? ……で、じゃああのぶつぶつ言ってんのは第二幹部ってとこか?」
笑いながら肩を竦める風巻。自覚はあったのか、と少し可笑しくなる。
「そうなるねー。そして、風巻がいいの!」
寒露にも言ったが、たとえ風巻がふらふらしていたとしても寒露がいる。寒露だけで抱えきれなければ、皆で支える。大丈夫だ、絶対に。
「そりゃ、嬉しいことだけどなぁ……で、オレらの記念すべき最初の仕事は何ですか団長」
からかうように呼ばれた『団長』に、少しくすぐったくなる。自分で創ると言い出したのだけど、まだ全然慣れていないのだ。しかも風巻がおれに敬語を使うなんて、くすぐったいのを通り越して違和感がありまくりである。
「敬語やめようよ、違和感凄いよ……えっとね、今本拠地建ててる!」
「これから団員増えたらそうも言ってられねぇんじゃねぇの? でも、しかし、本拠地のない団か……そりゃ早急に進めなきゃめなきゃだよなぁ……」
遠い目をし出す風巻。
「何その遠い目?」
「まあ、そーいうことならやることは決まってるか」
目を瞬かせるおれは黙殺か、という感じで大きく伸びをしている。何かおかしかったのだろうか。でもこの分だと言うつもりはないだろうし、とりあえずは忘れることにする。
「今、他の団員たちが頑張ってるよ、こっちこっち!」
まだ場所を知らない風巻を案内した。寒露はその後ろをきっちりとした歩みでついてくる。
おれが団の本拠地に選んだのは、近場に川があり、背後を森へと預ける辺り。周囲が平らな土地で見通しもよく、さほど近くはないが人間の街もそう離れていない辺りにある。
西に三、四里ほど行くと、この辺り一帯の巫女の本拠地にしている社のある山が聳えるのだが、敢えて選んだ。まず説得を始めるのなら巫女だと思っていたから。
「あれあれ!」
指し示した先には、悪戦苦闘している皆がいた。何せ慣れないことをしているもので、手元が全く覚束ないのである。
「……頑張りはこれでもかって感じる、感じるけど、あれ傾いてるぞどう見ても」
風巻が呟くのも無理はない。つまり、基礎は既に済んでいるが、まだまだ進んでいないのだ。
「あ、団長と寒露さま! と……?」
皆の顔が一斉に明るくなったと思ったら、見慣れない顔を見つけて首を傾げている。
「おれの義兄で第一幹部の、風巻ー! 皆よろしくなー!」
全員に聞こえるように叫んだ途端に、団員たちの顔は和らぐ。常々義兄の存在は伝えていたから、すぐに納得してくれたようだ。
「よろしくお願いしまーす!!」
「おー、よろしくー」
綺麗に揃った声に風巻は明るく返しつつ、辺りを見渡している。何処から手伝うべきかを考えているらしい。すると柱をまっすぐ立てようとするができないでいる二人組に目を留めた。
「押さえる力が釣り合ってねぇんじゃねぇのー?」
そう言いつつ、いつもは結うことのない長い髪をまとめ、すぐさま手伝いに向かっていく。寒露も、風巻を迎えに行く前にそうしていたように、全体を統括し指示する役目へと戻っていく。
おれは不器用なせいで寒露から「細かい作業の方は手伝わなくていいです」と言われてしまっているから、木材運びと間取りを確認しながら支持する役目に回ることにした。
それにしても、今まであまり効率が上がらずだらだらしていたのが嘘みたいに、作業が上手く進んでいくようになっている。ものづくりに従事する刀鍛冶である風巻がいるだけでだいぶ違うようだ。
しばらく作業したところで、風巻が「ちょっと抜ける」と言って輪から離れていく。目線だけで姿を追えば、川の方に向かっていった。何をするのかと思えば、刃物を研いでくれようとしているらしい。
そしてそのままの流れで空を見ると、夢中になっているうちにだいぶ日が傾いていたようだ。女手が作ってくれている夕餉の匂いもしてきている。
「皆もう終わっていいよ! 先食べてて!」
言い残して風巻の方に駆けていく。背後で寒露が「久遠サマが挨拶するんでしょうに!」と言っているのが聞こえたが、申し訳なくも黙殺した。
「なーに抜け出してきてんだよ」
気配を察したのか、風巻が少し呆れ顔をして言った。
「研ぐとこ見たかったんだもん!」
風巻が刀鍛冶らしい作業をしているところをおれはあまり見たことがないのだ。こういう機会を逃したくない。
「そんなに珍しいか?」
「珍しい! すごいなあ」
「研ぐくらいでおーげさな……」
苦笑して、研ぎ終わったひとつを渡してくれる。
「おーすっごい綺麗になってるー」
日を反射してきらきらと輝く刃。毀れがなくなり鋭利になっている。こうして綺麗になって、きっと皆も更にやる気が増すだろう。
「あ、これからご飯だよ。うちの綺麗どころがご飯作ってくれてる!!」
風巻に知り合って以来、おれはだいぶ女の人と上手く接することができるようになったと思う。何せ、遊女から遊女の間をかなり連れまわされたのだから。
「お、そりゃ楽しみ。これから目が利かなくなんのが残念だなー」
けらけらと笑う風巻は相変わらずである。実際に男の俺から見ても色男だから、文句のつけようもないのだが。
食事が全員に行き渡り、おれの号令で皆が一斉に食べ始める。風巻は子供たちに囲われているようだ。
「てんぐさんってそらとべるの?」
「んー? 飛べる飛べる。あとで抱えて飛んでやろっか」
「ほんと!?」
「ほんと。ただしいい子で座って食べた子だけー」
自分の里で従妹の面倒を見ていたというだけあって、流石に子供の扱いには慣れている。
子供たちは一斉に静かになり綺麗に食べ始めている。効果は覿面だったようだ。
子供たちは可愛く、素直だ。この子たちを歪ませるのも真っ直ぐにさせるのも、おれの行動次第。そう考えると改めて責任の大きさを思い知り、背筋が伸びる。
自然、食事後の見回りにも力が入った。
子供の寝かしつけを頼んだ風巻は、「しまきさま、なんかおはなししてー!!」と女の子たちに囲われている。もう早速人気者らしい。
「んー、そうだなー……どんなのがいい?」
「えっとねえ、おとなっぽいレンアイものがいいの!!」
ねだっている子たちは、妖狐だからか少しませたことを言っている。おれは可笑しさにこっそりと笑いつつ、法師や巫女、子供たちを食おうとする妖怪などが近づいては来ないかをじっと見張る。
「恋愛かー。じゃあ、人間と妖怪の話でもするか」
――昔々あるところに、妖怪と巫女がいました。二人は最初、敵同士で。巫女は妖怪を殺そうと思っていました。だけど妖怪には巫女を殺す気などありません。
本当にあったのか嘘なのかもよく分からない、だけどよく話される昔話だ。おれが生まれた頃にはあったかどうかよく覚えていないが。
真剣に聴いているのか、子供たちが静まり返っている。
――ある日、巫女は怪我をして動けなくなりました。困り果てていると、そこに妖怪が現れます。巫女は慌てて退治しようとしますが、痛くて動けません。すると妖怪は驚くことに、巫女に薬草を差し出したのです。
その辺りまで話したところで、子供たちは皆寝てしまったらしい。風巻の声が途切れた。
鳥目の風巻は夜の見張りには向かない。そういうわけで明け方まで休んでもらうことにし、おれはじっと見張りを続けた。
あの話の続きは、巫女と妖怪がお互い恋に落ち、それを周囲には許されず、二人が引き裂かれて終わる。悲しい悲しい最後だ。
ふと思うのは、この『巫女と妖怪』は、もしかすると父上と月読のことかもしれない、なんてこと。
違うと判断できるだけの情報はないし、かといって断定できるだけの証拠もないのだが。
おれたち『団』が世の中を変えていくことができれば、こういう悲恋だって減るかもしれない。妖怪と人間が恋に落ちることが普通になる日も来るかもしれない。いや、むしろそうなるといい。
それこそ共生の大きな一例だと思うから。
明け方になって風巻と見張りを交代して眠りについたら、あんなことを考えていたからか、月読が夢に出てきた気がした。
――幸せになりなさい、春永。
最期の優しい笑顔が。
● ● ●
「最後ぐらい、団長が完成させる感じで」
風巻が言いながらおれに槌を持たせる。寒露は何となくハラハラしているし、おれ自身緊張している。
今まで苦労していたのが何だったのか。風巻という新しい風が入ったことで、作業はあっという間に進み。夕暮れ間近、もう完成の運びとなった。
しっかりとした造りは、寒露が熱心に指示をしていた賜物か。図面を作った時に想像していた以上に大きな建物になったと思う。本拠地、つまり城のようなものだから、当然と言えば当然か。
「指打つなよ」
粋な計らいで、最後の釘はおれに打たせてくれる、らしい。それは嬉しい、嬉しいのだが。何度でも言う。おれは不器用なのである。
「う、打ったらごめんね?」
槌を構えつつも先に謝っておくことにする。
「久遠サマ……」
「……ま、そしたらご愛嬌ってことで」
「ぜんっぜんご愛嬌じゃねーよ……」
もはや諦めているらしい風巻と、片手で頭を抱える寒露。団員は笑い転げている。中々にこの件に関しては馬鹿にされているようで、事実だから言い返すこともできないのがまた辛い。
注意深く振り上げ、振り下ろす。大方の予想は裏切り、何とか綺麗に打つことができた。もちろん、指を打たずに。
風巻はけらけら笑って拍手をしているし、寒露はほっとしているし、やっぱり少し釈然としない。
「さー打ち上げだあああああああ宴会だああああああ!!」
その他は宴会の方に気を取られ、こちらへの興味も薄れているから、中々に薄情なような気がする。
「賑やかだなー」
そんな騒ぎを屋根から見下ろす風巻は楽しそうだ。
「酒は美味しいからいっぱい飲むといいよ、風巻。あと女の子が御馳走用意してくれてるよ」
「そうだなー。めちゃくちゃ働いたもんな」
「ごめんて……」
確かに風巻と寒露にはだいぶ働かせた気がする。何せ創ってから間もない団だ、まだまだお互いに関係を構築できていない相手も多いから、円滑に意思の伝達が図れていない部分も大きかったのだ。
「別に怒ってねーよ」
だが、風巻は何処までも風巻で。笑いながら、垂れたおれの耳をひょいっと立てる。
「それはよかったけど耳は駄目!!」
笑い転げる風巻の背中をバシリと叩く。でもおれの顔にも自然と笑みが浮かんでいた。
こういう時間が、ずっと続けばいい。そして皆にも楽しさが――幸せが、伝わっていけばいい。はしゃぐ子供たちを見ながら、おれは心の中で願っていた。




