表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/96

野望を夢から現へと

 寒露の右腕を掴み、強制的に立たせる。

「何を……」

 虚ろだった目が、驚きで僅かに見開かれた。

「……殺さない。おれは、お前を、死なせたくない」

 絞り出した言葉は、掠れている。口の中もからからだった。

 彼の叫びは、少し前までのおれの思いと同じで。大切な人を失くし続けて悲しくて、温かみを知ってしまった後の一人は酷くこたえて。

 でもおれにはその都度、手を差し伸べてくれた人がいた。月読が、与吉が、風巻が。失っては苦しんだけど、失う恐怖に怯えるけれど、こんなにも苦しく、失い難いと思うのは――それだけ彼らに救われ、大切に思っているということで。

「どうせ捨てる命なら、おれに寄越せ」

 腕を掴んだまま、ぐいっとこちらに引き寄せた。

「は……?」

「おれも、法師に殺されて妹を亡くした」

 深く息を吸い込み、努めて冷静に告げる。

 寒露は先ほどよりも更に大きく目を見開き、その表情のまま固まった。

「お前に会った少し前。おれは住んでいた里ごと、全部失くした。父も母も妹も仲間も、皆が死んだ。一夜にして」

 多くが朧ろになってしまったのに、法力が放たれた時の眩い閃光だけはいつまで経っても鮮明なまま、眼裏から剥がれない。

 今度は彼の方が何も言えないでいる。

 おれはそっと笑んで見せた。

「――でも。復讐したところで、どうなる? 確かに憎いよ。憎くてたまらないよ……どうして、ヒトと共生を目指していたおれたちが滅ぼされなきゃならなかった? おれは未だにその答えを見つけられてない」

 自分たちは決して殺されはしない、ということを分かった上での、法師たちの見せしめだ――月読は言った。それはきっと正しいのだろう。

 しかし、納得できるかどうかは別だ。

「でも。共生を目指すことで踏みにじられるなんて、そんなの納得できない。したくない。……そして人間全体を恨むことも、したくない。だっておれが、おれたちが恨むべきは、おれたちの大切な人を手にかけた相手だろ? 手をかけてもない相手まで憎んで傷つけるのは間違ってる。そうだろ?」

 思うままを吐露すると、寒露の口の端は引きれたように歪んだ。

「あんたも、あいつとおんなじことを言うんだな……」

 あいつ、というのが白露ちゃんのことなのか、それとも他の誰かなのかは分からない。それでも、彼の目に宿ったままの絶望が、ほんの少しだけ和らいだ気がした。

「でもそんなの、理想でしかない」

「理想を目指して何が悪い? 誰かの中の理想が死んだら、それはその人自身が死ぬ時だ」

 断じる彼に、おれもきっぱりと告げる。

 自分自身、「共生を目指す」という理想だけで生かされてきたようなものだ。それがなかったらきっと、あの時の寒露と白露ちゃんにすら会えずに死んでいた。

「じゃあ、俺はもう死んでる。理想なんて、とっくに死んだ」

 絶望の色は払い切れないほどに濃く、彼を覆う。

 どうしたら彼をもう一度引き戻せるのだろう? 生きてもらえるのだろう?

 どうやったら、風巻のように上手く心の重石を取り払ってあげられるのだろう。

「だったらおれがもう一度理想を与えてやる」

 掴んでほしくて。差し伸べたおれの手を、幼い頃におれの傷を癒してくれたのと同じ優しい手で。

「おれには、夢がある。人間と妖怪が共存できる世界を創ること。人間とか妖怪とか関係なしに、皆が同じ種族みたいにして笑い合えるようになりたい」

 寒露の瞳が、揺れていた。

「そのためにまず、志を同じくする妖怪を集めて、虐げられる奴らを守る団を創ろうと思ってる」

 確かに夢物語なのだ、今は。でも一人じゃなくて二人なら、二人じゃなくて三人なら――そうしてどんどんと数が増えていけば、絶対に世界は変わると信じている。たとえ最初がどんなに小さな声だったとしても、次第に大きくなって渦に呑み込むのだから。

「寒露。大丈夫。お前が虐げられたなら、おれが護る。その代わりに、おれの隣を預ける。おれと一緒に、同じ目線で、夢物語にしか過ぎなかった世界、本物にしようぜ。創ろうよ、そんな世界」

 おれ一人の願いじゃ変えられないことも、彼がいるだけで変わるかもしれない。人と人の交わりというのはそれだけ不思議なもので、大きな力を持つ。

「でも、俺、は」

 美しい群青色は、動揺に揺れる。ゆらり、ゆらり、夜空に星が瞬いているような。

 彼の目に、光が戻り始めている。

「俺は……貴方についていく資格はない。ヒトを二人、手にかけてる。共生を目指すなんてこと、」

「おれが聞きたいのは、できない理由じゃねーよ? やるか、やらないか、それだけ」

 些末事、だとは言わない。大きなことだ。彼の心に影を落とした原因のひとつがそれであるのなら。

 だとしても。

 放心したようにおれを見つめる寒露に、何度目かの微笑みを見せた。

「ヒトを殺したことがある上で、此処まで苦しむほどその事実を背負って生きてるのなら――そういう痛みを知ってる奴こそ、おれは仲間にしたい」

 そっと手を離して自力で立たせ、もう一度右手を差し出す。

「おれについてきてくれ」

 寒露の目からぼろりと雫が溢れ、頬を流れ落ちていく。たった一筋の、しかしきっと、長い間流せずにいた涙。

「ついて、いかせてください……」

 おれは、彼を生かさなければならない。彼のように増えていく仲間を護っていかなければならない。

 決意しながら、すがるように掴まれた手をしっかりと握り返した。



   ● ● ●



「久遠サマ」

「……うん、聞こえた。多分人間が進軍してるんだろ……あっちから行こうか」

 はい、と応じながら、寒露は頷く。そんな姿まで陽炎で霞んで見えるようだ。夏の強い日差しがおれたちを焦がす。

 おれも暑いのはそんなに得意なわけでもないが、蛇は確か暑いのも寒いのも苦手ではなかっただろうか。

「しかしあっついな……大丈夫か、お前暑いの苦手だろ」

「大丈夫です、これくらい」

 問うと、即座に返答が返ってくる。彼の顔は大真面目。何せ、敬称も敬語も要らないと言ったのに「部下に当たる相手に対してそれでは駄目です」と言って頑として聞かなかったぐらいの堅物である。おれは少し苦笑いした。

「痩せ我慢すんなって……今日はこのぐらいにして水辺で休もう」

「けど、」

「命令。な? おれも休みたいよ」

 おれがそう言った途端、「それなら早急に休みましょう!」と突然に勢いづき、休むことを了承する寒露。自分はどうでもいいのか、とまた少し苦笑いしつつ、せせらぎを耳にした方へと向かって歩き始める。

 おれたちは、『団』の仲間探しの旅に出ていた。弱い立場にいるような妖怪を見つけては声をかけ、警戒を解いてもらえるように根気強く説得し――というような日々。

 すでに何人かは約束を取り付け、彼らもまた同じような立場にいるような仲間を説得しに行ってくれている。

 多分、一人じゃ此処までできなかった。そもそも、仲間集めの旅に出ようと言い出したのも彼の方だったし。

 ――お義兄さんと俺だけじゃ、流石に心許なさすぎるでしょう。

 義兄も協力してくれていることを言ったら、真顔で言われた。まあ当然でもある。


 手を取ってくれた後、寒露は少しずつ自分の過去を話してくれた。

 妹を亡くして以来、自暴自棄になりながらそれでも生きていたこと。時折、妖怪に襲われて負傷した人間の幼子を見つけては妹と重なって薬を与えたが、だいたいは石を以て追い払われたこと。そういう人間たちの密告で法師に追われている最中に、死んだはずの妹にそっくりな人間の少女に出会ったこと――。

「あいつの親兄弟は、蛟に殺されてた。それなのに、言ったんです。殺した張本人は恨むけど、別に俺のことは恨んでない、って。俺と同じような立場なのに、まるで反対だった。そういう部分に、救われてもいた」

 それなのに、その少女は法師に「妖怪と馴れ合う者など殺して構わない」という理屈で、殺されかけた。逆上して寒露はその法師を手にかけたが、幸いにも少女は何とか一命は取り留めていた。

 しかし、喜べることばかりでもなく。彼女はもう二度と元いた村には戻れなくなってしまった。「妖怪に手を貸した」という偏見の中で生きるのはあまりに辛すぎると、おれにも想像がつく。

 少女と別れてからの彼はますます自暴自棄になり、いつ死ぬか分からないような生活をしていた中で、おれと遭遇したのだという。

「久遠サマ。何が正しかったのか、何が間違ってたのか――俺は、未だに分からない。白露は、周りにいる奴らを全部まとめて大切にしようとするような、そういう奴だった。何であいつが殺されなきゃならなかったんですか……?」

 何が正しかったのか。何が間違っていたのか。何が正しいままで、何を間違いから正せばいいのか。

 おれも、彼も、きっとずっと問い続けている。


 水辺は間もなく姿を現し、寒露はその四方三間ほどの地面に瘴気を含ませる処理をしている。いわば結界だ。

 そうしておけば、近づけるのは浄化ができる法師か巫女だけ。浄化されれば、寒露には分かる。そうすれば逃げる間もできる。二、三刻の間は効果が保たれるらしい。

 処理を終えて戻ってきた寒露は水に潜っていく。どうも生来水が苦手なおれはそれを物珍しく眺めた。

「なあ、寒露」

 水の中にいても声は聞こえると言うので、話しかけてみる。宣言通り、水から上半身だけを出す寒露。

「そろそろ本拠地用意しようと思うんだけど。程よく人数も集まってきたし」

 これから仲間を増やしていくなら、そして『団』を名乗るなら、本拠地は早急に用意しなければならない。

「……そうですね。でも俺、未だにお義兄さんに会えてないんですが。相談もなしにいいんですか? 俺や他の皆を仲間に加えて」

 第一幹部なんでしょう? という問いには勢いよく頷くものの、何と説明したらよいのやら。頬を掻き、曖昧に笑む。

「風みたいな人で、さ? とところには留まっていられないんだよ」

「え」

 寒露の顔にはありありと、「そんな人を幹部の中の幹部みたいな位置に据えるんですか」と書いてある。何というか正直な奴だ。そういうところが好ましいともおれは思うが。

「それに。おれが仲間にしたい、って思った相手なら、そしておれを信じてついてきてくれるような人たちなら、『いいんじゃね?』って言って認めてくれるような人だよ。心配要らない」

 嘘でも何でもなく、風巻はそういう人だ。じゃなきゃおれと義兄弟の契りを交わすということ自体が有り得ない。

「声をかけた皆も明日には集合するように、って猫を使いに出しておく。義兄の方も、大事なときには戻ってくる人だから。大丈夫だよ」

 微笑むと、寒露は未だに釈然としないような顔だったが、渋々という感じで頷く。

 別に自分を第一という位置に据えてほしいというわけではなく、純粋におれについて心配しているようなので、憎めないのだ。

「大丈夫。たとえ第一幹部が頼りなかったとしても、お前がいるだろ? 寒露」

 心から頼りにしている。「此処で会ったのも何かの縁」と寒露は言ったけれど、もう一度会えたことに、きっと意味はあるのだから。

「……はい」

 応じた顔は引き締められていたけれど、嬉しそうだった。本当に正直な奴である。

 再び水に潜っていったのを見送り、おれは木漏れ日を見上げた。

 葉と葉の隙間から覗く青い空を、きっと何処かで彼は飛んでいる。きっと楽しいのだろうな、とぼんやり考えていたところで――黒い影がそこに現れる。

 驚いて目を瞬かせると、烏だ。

 呆気にとられるのを置き去りにするがごとく、俺から少し距離を置いて着地する。その脚には何かが結ばれている。まじまじと見てみれば、紙だ。

 それが分かったらすぐにピンときた。風巻の使いだろう。

 幸い上空にまで瘴気は及んでいないから、そちらからやってきてくれてよかった。

 烏の脚からそっと結び文を解く。こちらが猫だからとても警戒されているようだけど、風巻に言い聞かせられているのか逃げはしない。

 文面は、もうすぐ戻ってくる、という内容。何度も何度も目を通し、矢立やたてを出して急いで返事を書きつける。

 寒露という仲間ができて、協力して他にも仲間を集めていることや、もうすぐ『団』創設の狼煙を上げようと思っていることなどを、短く分かりやすいように。

 警戒されたままでかなりの距離が空いている烏にゆっくりと近づく。

「お願いできる?」

 折った文を差し出すと、彼はくちばしに挟んで一気に飛び立った。羽ばたきに思わず仰け反ったおれは、見えなくなるまでその姿を見送る。分かってくれたようだ。

 やはり烏は賢い。

 抜け落ちていったらしい羽根を拾い上げ、くるくると回す。

「さてと、か」

 近くにいた猫たちを呼び寄せると、かなりの数が集まってくれた。それはもう、何処にいたのだろうというほどに。

「散らばっている仲間たち、集めてくれるか? お礼は弾むよ。川魚でどうだ」

 妖気を探ってみた感じでも、皆そう遠くには行っていない。捜すのにそう苦労はしないはずだ。

 妖気の感覚を伝えると、猫たちはあっという間にいなくなる。捜しに行ってくれたようだ。

 しばらく休んで体力を回復したら、おれと寒露も本拠地の予定になっている場所に向かおう。

 きらきらと輝く水面を見ながら、少しずつ興奮してくる。

 長い間抱き続けた夢、野望。それがもう、叶うところまで来ているのだ。いや、これから叶え始めるのだ。


 妖怪が人間と共生できる世界を。


 ぞくりぞくりと背中を興奮が這い上がるままに、天へと手を伸ばす。

「父上、月影、月読……」

 見ていて。約束は、きっと果たしてみせるから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ