似た者同士との再会
危惧していた状況がやってきたのを知るのに、さほど時間はかからなかった。
「また戦か……」
山の麓を歩いていく、鎧姿のたくさんの人影。武器の立てる重たそうな音や馬の嘶く声が何重にも重なり合い、おれにとってはかなりの轟音となって響く。
目を凝らせば、列はまだまだ続いていた。戦地へと移動しているのだろう。
これは、此処のところ――と言っても人間からすれば既に長い時間が経っているだろうが――よく目にする景色だった。とうとう、東国であるこの辺りでも戦が激しさを増してきたらしい。血の臭いが風に乗って流れてくることも増えた。
「これは、長くなるかもな……って、既に長いか? 雲行き怪しくなり始めてから、もう30年以上は経つもんな」
ひとりごちる。人間の強い者同士の勢力が今どうなっているのかは分からないが、きっとまだまだこの状態は続くのだろう。
根拠はないけれど、勘がおれにそう伝えてくる。そしてこういう悪い勘というのは、だいたい外れたことがない。
人が死ぬ。それに乗じて妖怪は増える。妖怪が増えれば、また人が死ぬ。そしてそれを抑え込むために法師や巫女の動きが活発化する。そして妖怪も死ぬ。悪循環だ。
「……早く、どうにかしないと」
まるで河のようにも見えるヒトの群れを一瞥し、おれは木の上から跳び下りた。音もなく着地すると同時、走り始める。
妖怪を守り、人間と共生する道を模索する方法。風巻に出会い、義兄弟の契りを交わしてから50年近く経ち、おれはひとつの結論を自分の中で導き出していた。
「『団』を創ろうと思うんだ」
初めてそう告げたのは、彼との出会いからしばらく経った頃。
共生に賛同してくれる妖怪や、人間か妖怪かに関わらず、他者に虐げられている妖怪。そして人間にも妖怪にも疎まれやすい半妖やその子孫たち。そういう者たちを集めて保護しながら、人間との共生の道を探っていきたい―-と。
すでに『目標』に変わっていたとはいえ、やはり途方もない願い。
人間で言えば、現在味方が一人しかいない状況で天下統一を図ろうとしている、とでも言えばいいだろうか。兎に角、無謀であることには違いない。
「いいんじゃね?」
すると間も置かず、とてもあっさりと言われてしまった。
「あっさりだね……?」
むしろこちらが呆気に取られて呟くと、風巻はいつも通り楽しげに笑う。
「お前はやるって言ったらやるからな。それに、オレも興味あるし? お前がどんな未来を掴み取ってくるのか」
おれは目を瞬かせ、吹き出してしまった。どうやらおれは、信頼というのとはまた違うのかもしれないけれど、それに近いものを彼に抱いてもらっているらしい、と。
「じゃあ、そのときは風巻を第一幹部にするよ」
彼は、「本気か?」とでも言いたげな顔で見ていたが、譲るつもりはなかった。
風巻以外におれの相棒に成り得る人は、いないのだから。
「あの調子じゃ、今でもあんまり本気だと思ってないかもしれないけど……」
彼の表情を思い出し、くすりと笑う。
口だけで終わらせたくないから、今すべきなのはその本拠地たり得る場所と、その人材探し。
本拠地の方はだいたいの目星をつけているのだが、如何せん人の方が見つからない。
風巻はいつでもこの辺りにいるわけではないし、一緒にいて仲間集めをしてくれる人、その集めた者たちをまとめてくれるような人が必要だ。右腕、とでも言えばいいか。
だが都合よく見つかるはずもない。そういうわけで、早速大きな壁にぶち当たっているのだった。
とりあえずは食料を探すか、と肩を竦めたところで、何処からか流れてきたらしい臭いに顔をしかめた。
「……饐えた、血の臭い」
これは、ヒトの血だ。それもかなりの量。だが、妖怪の残り香のようなものはない。つまり戦で死んだ者たちの発するものだろう。
そちらの方向に耳を澄ませたが、特に戦闘音は聞こえてこない。饐えていることからしても、もう戦いが終わってからかなり経った場所から風が運んできたに違いない。
妖怪が関わったことではないとはいえ、気が重たくなる。いい加減慣れなければ、とも思うのに、何度経験しても駄目だ。
万が一にもその現場を見てしまわないよう、方向を変えようと思った時だった。
「…………蛟の血と、毒の匂い?」
戦場の方からだ。しかもこれはまだ新しい。どういうことだろうか。
探ってみると、それなりに大きな妖気の持ち主である。ますます以て意味が分からない。
眉を顰め、その場にしばらく立ち尽くした。
「行ってみなきゃどうしようもないか」
呟き、駆け出した。
問題の場所に近づくに従って、毒の匂いが濃くなっていく。
何故だろう。この匂いは、初めて嗅ぐような気がしなかった。知っている気がした。
がさりと音を立て、繁みを抜ける。すると一気に視界は開け、野原に出た。
風にそよぐ植物たち。とても穏やかな風景だ。しかし全く似つかわしくないものがごろごろと転がっている。
それは、夥しい数の死体。流れ出た血のせいだろう、地面が変色している部分や、青々としているはずの植物に赤い斑模様があるのが分かる。
あまりに強い血の臭気に一瞬吐き気が起こった。込み上げたものをどうにか呑み下し、一度しゃがんで手を合わせる。
こういうところにこそ法師が来ればいいのに、と思う。
きっと言われるまでもなくやっているのだろうけれど、あまりに多すぎて手が回らないのかもしれない。
だが、できるだけ総ての戦場で供養してあげてほしいのだ。彼らがよいところに行けるように。法師たちはそういう思想の下に動いているのだから。
「……さて」
しばらくそのままじっとしてから立ち上がり、蛟の姿を探す。おれが此処までやってきた目的であることだし。
近くにいるはずなのだが、と目を凝らした。死体が放つ臭いの強さのせいで、鼻が役に立たない。目と耳を頼りにするしかなさそうだ。
ぐるりと見渡して――あ、という声が漏れ出た。
おれが今いる場所の、ちょうど反対側。そこに、途方に暮れたような目で合戦の跡地を見つめる人影があったのである。
『彼』を驚かせることがないよう、おれは正面からゆっくりと近づいていくことにした。
そう、人影は男性だった。おれや風巻とさほど年齢は変わらなそうである。
彼は、逃げない。それどころかぴくりとも動こうとしない。近くにある木に凭れながら、何処を見ているのかも分からない目で、ただ座っている。
距離がどんどんと縮まっていくにつれ、おれはやっぱり彼に見覚えがある気がしてくる。この場所に来る前に感じていた匂いも、とても懐かしい気がして。
おれは、この人に会ったことがある?
「……何だ、あんた」
踏みしめた草が小さく音を立てた。それに反応し、彼はゆっくりと顔を上げる。
むしろそれまで気づいていなかった、というのが、おれには少し驚きだった。特に妖気を抑えてもいなかったというのに。
おれにはそんな気がないからよかったものの、近づく妖気を察することはできないなんて、下手をしたら殺されるかもしれないのだ。
群青色の目。肩に着くぐらいの黒髪。表情の抜け落ちた顔。
記憶がますます刺激される。
おれは、彼と会ったことがある。
「――俺を殺しに来たのか? 好きにしろよ、蛟の体なんか食えねえだろうけどな」
今まで全くと言ってもいいほど表情の浮かばなかったその顔が、初めて緩んだ。
いや、緩んだのではない。目は笑っていない。諦め故に思わず込み上げた笑い、とでも言うべきか。
会ったことがある。絶対にその人物で間違いない。記憶は訴えてくるのに、あまりに目の前の人と符合しなくて頭が混乱する。
「……どうして、そんな目をしてる……?」
思わず零れたのは、そんな台詞。
彼は怪訝そうにおれを見た。どうやら、相手の方は気づいていないようだ。
「あの時、お前はそんな目、してなかった……どうしてだ、寒露……」
蛟は目を剥く。
おれの記憶は間違っていなかった。彼は――寒露だ。
「どうして俺の名、を……」
言いかけて、言葉は不自然に途切れた。彼の方も気づいたらしい。
出会った頃よりもずっと大人びた顔、ずっと光を失った瞳。昔はあんなにも優しい目をしていたのに、どうして?
「あの時の、猫又か……?」
随分前。月読と出会う直前、おれは蛟の兄妹と交流を持ったことがあった。寒露と白露ちゃん。短い交わりだったけれど、久々に触れたあたたかい態度であったから、よく覚えている。
それが今、彼は一人でいて。こんなにも絶望に支配された目をしている。
「…………妹なら、とっくに死んだ」
おれの中に浮かんでいた疑問が読み取れたのか、寒露は投げやりに言った。
「死、んだ……?」
驚き、なんて言葉じゃ足りない。まるで頭を殴られたかのような衝撃。
――助けてくれてありがとう、久遠さん!
はぐれたところを寒露の元まで送り届けた時、彼女は弾けるような笑みを浮かべていたのに。
「あんたと会った後、すぐに……人間に殺されたんだよ!!」
突然に立ち上がった寒露。その全身から、憎悪の気が立ち込める。肩が強く掴まれ、おれの体は揺れた。
「あんたのせいか!? あんたがあの法師たちを呼び寄せたのか!? だから白露は死んだのか!!」
絶望と憎悪の塊。彼はもはや、昔会った時の彼じゃない。
短い言葉でも、察する。この兄妹は法師に襲われ、妹だけが死んだのだと。彼は一人残され、絶望しながらそれでもここまで生き残ったのだと。
――兄さま。
月影、と声にならない声で呼ぶ。
もう、朧ろ気になってしまった。たくさんの記憶があったはずなのに、繰り返して思い出すのがそこであるせいで、最期の笑顔しかはっきりと思い出せない。
彼とおれは――図らずも、同じ境遇になってしまったのだ。
何も言えず立ち竦む。
おれが呼び寄せたわけでは、決してない。
だけどもし、彼らの目の前に現れたのが、おれの妖気に引きつけられた法師だったとしたら?
時期からして恐らく、彼が妹を喪ったのは、未開の地へと蛟を連れて行くために起こされた大規模掃討の折だと思う。
だがそうでなかったとしたら、おれの妖気に目をつけていた法師たちが偶然に彼らを発見し、殺した可能性もある。
だから、「おれのせいじゃない」とは簡単に言えなくて。
「分かっ、てる……あんたは、何も悪くない……」
おれが黙り込む間に、寒露の手は力を失い、ずるずるとその場に崩れ落ちた。
「たとえあんたの妖気に釣られたんだとしても、白露を護れなかったのは、俺だ」
震えた声。だらりと垂れた腕。
絶望の色は深く、彼を蝕んでいる。おれと別れた直後だというのなら、白露ちゃんが亡くなってもう百年近く経つ。それでも癒えていないのだ。彼の中の傷は、未だに。
「よく似た人間一人すら、上手く護ってやれなかった」
小さく零す寒露の心は、此処にあるのかどうか。目の焦点は合っておらず、おれを見ているようで見ていない。
「人、間?」
驚いて目を瞬かせる。
寒露は黙り込んでしまう。おれは聞き出すべきか否か迷い、結局沈黙を選んだ。
「白露によく似た人間に、会った。怪我をしてたところを、助けてもらった。もう一度、今度こそ、護ろうと思った。思ったのに……っ」
よく見れば、彼の体は傷ついていた。火傷や裂傷。癒えていないところからすると、これは霊力か法力でつけられたものだ。しかも、ごく最近。
「死なせかけて。その上、居場所を奪った。自分に課した掟さえ守れなかった。守れなかったんだよ……!!」
慟哭、だった。状況は、あまりよく分からない。でも妹を喪い、彼女とよく似た人間に会って癒されかけて――結局、護れなかった、ということだけは分かる。
「罪滅ぼしがしたくて助けようとしても、結局俺は妖怪でしかない! 人間は妖怪を憎むことしかできない!! 妖怪も人間を殺すことしかできない!!」
顔は強張ったが、何も言えなかった。彼の叫びに、苦しさに、軽々しくおれが口出しなんてできない。おれはおれでしかなく、彼は彼でしかない。似た境遇であっても、彼のことを完全に理解するなんて無理だ。
言葉を紡ごうとすれば、自分の考えを押し付けるかもしれないことが怖かった。
「あいつが例外で、他の人間は皆おんなじだ! 人間なんて、皆滅びればいい……!」
胸が、痛くて。痛くてたまらなくて。
月影。月読。与吉。もう二度と会えない人たちの顔ばかりがぐるぐると頭の中を回る。
おれも彼と同じなのだ。同じだったのだ。
だけど、知っている。
――総てが敵であるわけがない。大丈夫ですよ。
――お前、もっかいオレと会うまで生きてろよ。
どんなに大多数が裏切っても傷つけてきても、優しさに優しさで報いてくれる人だって、ちゃんといるんだってことを。
「なあ、此処で会ったのも何かの縁だろ? そうなんだろ? だったらもう、俺を殺してくれよ……人間と妖怪が共に在ることのできる世界なんて、夢物語だ。そんなもの夢見て生き喘いだって、どうにもならない。もう俺を殺してくれよ! また人間を殺す前に!!」
『夢物語』。「殺してくれ」。そのふたつを聞いた瞬間、おれの体は勝手に動いていた。




