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最弱スライム、洞窟の底から這い上がる  作者: 古屋桜


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第十一章:変転の兆し

どれほどの時間が流れたのだろうか。

時間感覚の存在しない地下世界の暗闇のなかで、蓮の意識は、ぬるま湯に溶け込むようにゆっくりと浮上してきた。

(……すっきりしている。体の芯が、驚くほど軽い)

目覚めと共に自覚したのは、かつてないほどの肉体の充実感だった。

前世の知識では、スライムに睡眠が必要だとは考えていなかった。事実、この世界に生まれてから一度も眠気など感じたことはなく、魔力の補給だけで動き続けられていた。だが、あの火口での無茶な同化と、結晶樹の過酷なエネルギーが、俺の肉体に初めて「すべての生命活動を一時的に休止し、内側を造り替える時間」――すなわち眠りを要求したのだろう。

あれはただの休息ではない。取り込んだ炎の結晶の属性因子と、岩鎌蟷螂の筋肉因子という、桁違いに異質な存在を、自身の粘性細胞の奥底へ完全に「調律」するための、必然の変質期間だったのだ。

これまでは常にどこか張り詰めていた粘性組織の緊張が完全に解け、琥珀色の肉体は結晶樹の根の隙間に過不足なく収まっていながら、同時に池の魔力水とも境界線を失うほど滑らかに同調している。

(さて……自分の身体の状態を再確認しておくか)

蓮は意識を内側へと向け、現在の自身の機能を深く把握しようと試みた。

まず劇的に変化していたのは、魔力の保有量とその密度だ。結晶樹の排他的な魔力圧と同調し続けた結果、蓮自身の魔力許容量の底が大きく押し広げられていた。

スライムの肉体とは、純粋な物質液体ではなく、魔力というエネルギーの結合によって形を維持している流動体だ。その魔力の総量と、内に込める圧力を自在にコントロールできるようになったことで、肉体の「体積」と「密度」の相関関係を完全に掌握した。

(なるほどな。魔力の出力を変えれば、見た目のサイズも硬さも自由自在ってわけか)

魔力を拡張させて周囲の物質や水分を巻き込めば、中型犬ほどだった質量をさらに一回り大きな体積へと膨張させられる。

逆に、物質としての総量はそのままに、内に含む魔力の結合力を極限まで高めて細胞同士を凝縮すれば、体積を拳大にまで圧縮することもできた。その場合、サイズは小さくなっても重さは中型犬のままなので、突進すれば鉄球並みの質量兵器になる。

そして、その応用が「肉体の局所的な変形精度」だった。

試しに琥珀色の表皮の一部に意識を集中させ、部分的に魔力密度を跳ね上げると、瞬時にあの岩鎌蟷螂の、金属的な光沢を帯びた「刃」が形成された。

(変身というよりは、文字通りの「局所的な細胞の超高密度化」だ)

かつての蟷螂のような固定された硬い殻ではない。スライムとしての流動性を保ったまま、必要に応じてその部分の細胞配列を瞬時に組み替え、硬質な構造へと変質させているのだ。これなら、この結晶の聖域に滞在したままでも、変質させた部位以外は魔力圧を受け流すことができる。形を持たない流動体だからこそ行き着いた、独自の戦闘形態だった。

(さらに、これか……)

蓮は形成した刃の表面に、かすかな魔力を通わせる。

じわり、と刃の輪郭が陽炎のように歪み、超高温の熱気が立ち上った。火口で取り込んだ炎の結晶の残滓――いや、いまや完全に蓮の血肉となった「熱属性」の因子。それが、蟷螂の鋭利な刃と組み合わさり、触れるものを焼き切る熱変性の刃へと進化を遂げていた。

(自力での再生能力、蟷螂の硬質化と鋭利な刃、指示してそれをさらに強化する熱属性。……地獄のような下層から這い上がってきた甲斐はあったな)

生存のための手札は、確実に増えている。

蓮は結晶樹の根の窪みから、なめらかにその琥珀色の肉体を滑り出させた。ひんやりとした結晶樹の池から陸地へと上がると、表皮の水分を弾くようにして球体のフォルムを整える。

緊張の解けた安全な拠点とはいえ、ここに永遠に引きこもっているわけにはいかない。

前世の知識に照らし合わせても、一箇所にとどまり続ける生物はやがて環境の変化や、想定外の天敵の出現によって淘汰される。この「結晶 of 聖域」を絶対的な安息地、そしていつでも戻ってこられる拠点として確保した上で、蓮はこの新しい階層の全容を調査するべきだと判断した。

(まずは、この聖域の外がどうなっているかだ。ここに入れない魔獣どもが、周囲でどういう生態系を作っているのかを把握する)

知覚を鋭く研ぎ澄ます。

相変わらず、この池の半径数百メートルには、小動物の這い回る微かな「振動」すら存在しない。圧倒的な静寂。だが、その結界のような魔力圧の障壁が途切れる境界線の向こうからは、かすかに、地下世界特有の生々しい生命の波動が伝わってくる。

蓮は隠密の表皮を周囲の岩の光波に同調させ、完全にその姿を闇へと溶け込ませた。

体積を限界まで絞り込み、気配を限りなくゼロにした琥珀色の流動体が、音もなく聖域の境界線へと向かって滑り出す。

新たな力を手に入れたスライムの、第二の生存戦略がここから始まる。

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