第29話 学園祭前夜みたいな昼休み
学園の昼休みというものは、本来もっと雑なものだったはずだ。
パンをかじりながら次の授業の愚痴を言うとか、テスト範囲を確認するとか、購買へ走るとか、そういう“軽い時間”であるべきで、少なくとも温泉旅館の運用設計やら切り抜き問題の空気の流し方やらを、妙に自然な顔で共有する時間ではない。
なのに最近の俺の昼休みは、完全にそっち側へ寄っていた。
「……ほんと、どうしてこうなった」
四限終わりのチャイムが鳴った直後、俺が小さく呟くと、前の席の森野がくるりと振り返った。
「またその顔してる」
「どの顔だよ」
「“面倒だけど、もう逃げ切れないのはわかってる顔”」
「細かいな」
「最近けっこう見てるからね」
森野は肩をすくめる。
「だって、昼になるたびにイベント起きるし」
「イベントって何だよ」
「え、もうイベントじゃない?」
森野は本気で不思議そうに言う。
「最近の柊木くんの昼休み」
そこへ後ろから岸本が口を挟んできた。
「わかる」
「もはや学園祭前夜の実行委員会みたいな雰囲気あるし」
「昼休みの評価としては最悪なんだよな」
「でも前より全然いいだろ」
岸本は言う。
「最初のころみたいに、“何か隠してるっぽい柊木”で見られるより、“最近やたら忙しそうな柊木”のほうが」
それはそうだ。
認めたくはないが、かなりそうだ。
切り抜き問題そのものは、完全には消えていない。
けれど、学園内での空気はだいぶ変わった。
今の俺は“謎の実力者疑惑があるやつ”というより、“白雪さんと九条先輩とよく一緒にいる、最近少し騒がしいやつ”へ寄っている。
字面はひどい。
でも危険度は下がっている。
「で」
森野がわざとらしく周囲を見回す。
「今日はどこ集合なの?」
「集合って言うな」
「でも集まるんでしょ?」
そこで、教室後方の扉が控えめに開いた。
ああ、来たなと思う前に、もう声が届く。
「お昼、ご一緒しても?」
凛音だった。
最近はこの“遠慮のふりをした当然の合流”が上手くなってきている。
しかも今日は、その一拍後ろから朱麗まで現れた。
「皆さん、ごきげんよう」
朱麗が教室をひと目見回してから言う。
「今日は中庭にいたしますわよ」
「もう決まってるんだな」
「自然な流れですもの」
「その自然、だいぶ作為が強いんだよ」
凛音は首を傾げる。
「でも、もうだいぶ馴染みましたよね」
「そこを本人が言うのか……」
森野が、俺と凛音と朱麗を交互に見て、それからぽつりと言った。
「ほんとだよね」
「最初はすごい変だったのに、最近はなんかもう“そういう景色”って感じ」
その言葉に、少しだけ胸の奥がざわつく。
そういう景色。
言い方としては軽い。
でも、かなり本質だ。
俺と凛音と朱麗が一緒にいることが、もう“特別な異常事態”ではなく、“最近の学園の昼休みの一部”になり始めている。
それは助かる。
でも、逃げ道も減る。
「……何だよ」
岸本が俺の顔を見て言う。
「いや」
俺は鞄を持ち上げる。
「ほんとに景色になったら終わりだなって思っただけ」
「もう半分くらい終わってるだろ」
「お前のそういう率直さ、時々嫌いだよ」
「時々ならいいじゃん」
凛音が静かに言う。
「でも、景色になるのは悪くないと思います」
「何で」
「毎日見ても、不自然じゃないってことなので」
「それ、今さらっと言うことか?」
「はい」
凛音は平然としていた。
「かなり大事です」
「便利ワードまで乗せるなよ」
◇
中庭のベンチは、今日もそこそこ空いていた。
春の風は前より少しだけやわらかくなり、桜は散り始めている。満開を過ぎた花びらが、時々ふっとベンチの上へ落ちてくる。
その景色は、たしかにどこか“学園祭前夜”っぽかった。
なにかが始まりそうで、でもまだ決定打は来ていない、あの妙な浮つき方に似ている。
「で」
俺は座りながら言う。
「今日は何の話だ」
「白鳳館です」
凛音が即答する。
「だろうな」
「今度の通常日運用」
朱麗が資料を取り出しながら言った。
「勝負日と差をつけつつ、白鳳館の芯をどこまで残せるか」
「その最終確認ですわ」
「最終って言うと、毎回また次が出てくるけどな」
「そうですわね」
朱麗はあっさり頷く。
「でも、“今の正解”くらいは決めておきませんと」
そこへ、岸本と森野も少し離れた場所に腰を下ろした。
混ざるわけではない。
ただ、もはや完全に他人の顔では見ていない距離だ。
「お前ら、そこいるのか」
俺が聞くと、岸本が肩をすくめる。
「邪魔しないから」
「でも最近のこれ、ちょっと見守りたくなるんだよな」
「見守るって何だよ」
「いや、ほら」
森野が苦笑する。
「なんかさ、三人とも全然違うタイプなのに、集まるとちゃんと前に進むじゃん」
「ちょっと面白いんだよね」
その言い方が、妙にやさしかった。
面白がっているのに、雑じゃない。
たぶんもう、森野たちなりにこの空気を受け入れてくれているのだろう。
「……ありがたいような、恥ずかしいような評価だな」
「どっちもだろ」
岸本が言った。
たしかに、どっちもだった。
◇
資料を広げる。
白鳳館の通常日案。
迎えの一口の簡略版。
夜のお茶を特定日だけにする案。
朝の見送りで季節の一言を入れる位置。
客室ごとに変える濃淡。
話し始めると、やっぱり自然に流れる。
「通常日の迎えは、焼き菓子固定でよさそうです」
凛音が言う。
「でも、器の置き方だけは勝負日と同じにしたいです」
「始まり方の呼吸は、そこで残せるので」
「ありだな」
俺は頷く。
「味を軽くしても、始まり方の間だけは残す」
「それなら現場もそこまで重くない」
「ええ」
朱麗もすぐに続く。
「その代わり夜のお茶は完全固定ではなく、週末と特定日だけへ寄せる」
「毎日やるより、むしろ“その日だけの白鳳館”として価値が立ちますわ」
「その日だけ、か」
俺は紙へメモを足す。
「それ、再来客には効きそうだな」
「前回と少し違う、が自然に残る」
「はい」
凛音が言う。
「“また来ても同じじゃない”って、かなり強いです」
そこで森野が、少し離れたところからぽつりと言った。
「なんかほんと、学園祭前の会議みたい」
「だから何なんだよ、その例え」
「だって」
森野は笑う。
「ちゃんと作戦立ててるのに、空気だけちょっと楽しそうだから」
その一言に、三人ともほんの少しだけ止まる。
楽しそう。
そう見えるのか。
「……見えてるんですね」
凛音が小さく言う。
「見えるよ」
岸本が即答した。
「ていうか、前より全然」
「柊木なんて、最初のころは“いや別に”で全部逃がしてたのに」
「最近はちゃんと紙の真ん中にいるし」
「それは」
俺は少しだけ言葉に詰まる。
「必要だからだろ」
「うん」
森野が頷く。
「でも、その“必要だから”を引き受けてる感じが、前より楽しそうに見える」
そこまで言われると、もう軽口だけでは返しづらい。
必要だから。
たしかにそうだ。
白鳳館も、学園の切り抜き問題も、いまはただ逃げていれば済む段階じゃない。
でも、それだけじゃない気もしている。
面倒で、
かなり疲れて、
ろくなことにならない気しかしないのに、
それでもこの昼休みを少しだけ当たり前に感じ始めている自分がいる。
「……お前ら」
俺は小さく言う。
「何だよ」
岸本が答える。
「余計なことよく見るな」
「たぶん最近、白雪さんのせいで鍛えられた」
「人のせいにするな」
凛音が言う。
「でも、少しわかります」
「何が」
「前より」
凛音は資料から目を上げた。
「あなたが、“ここにいる”感じがするので」
その言葉は、森野の“景色”とも、岸本の“紙の真ん中”とも少し違っていた。
もっと近い。
もっと、逃げ道がない。
「……お前、そういうのを昼休みに普通に言うなよ」
「昼休みだからです」
「意味がわからん」
「重くなりすぎないので」
「いや十分重いだろ」
朱麗がそこで、ほんの少しだけ口元を上げた。
「白雪さん」
「その言い方は、かなり効いていますわよ」
「そうですか?」
「ええ」
朱麗は俺を見る。
「だって、今ものすごく困った顔をしていますもの」
「お前らな……」
困るに決まっている。
こういうふうに、白鳳館の話をしていて、
学園の問題を横目で見ていて、
その合間にさらっと“ここにいる感じがする”なんて言われたら、
たぶん誰だって少しは困る。
しかもそれを、嫌だと思い切れないところまで来ているのだから、なおさらだ。
◇
話はその後も続き、白鳳館の通常日運用の骨格はかなり固まった。
毎日残すもの。
勝負日に濃くするもの。
やらないこと。
やるけど見せすぎないこと。
三人で話していると、そこはやっぱり早い。
恐ろしいくらい早い。
「……やっぱり怖いな」
紙をまとめながら俺が言うと、凛音がすぐに反応した。
「何がですか」
「形になるのが」
俺は正直に言う。
「白鳳館の通常日も、勝負日も」
「こうやって話してると、“次の正解”が見えるの早すぎる」
「はい」
凛音は静かに頷く。
「わかります」
「かなり」
「便利だな」
「はい」
「認めるの早いな」
朱麗も小さく息を吐いた。
「でも、本当にそうですわね」
「少し前なら、ここまで自然に“次”へ行けなかったはずですもの」
「だろ」
俺は言う。
「だから少し怖い」
「白鳳館だけじゃない、ですか?」
凛音が聞いた。
そこを今聞くか。
でも、聞かれても仕方ない。
たぶんみんな、同じことを薄々思っている。
「……まあな」
それだけ答えるのが精一杯だった。
凛音も、朱麗も、それ以上は追わなかった。
ただ少しだけ、目線がやわらいだ。
そのやわらぎが、逆に危ない。
◇
昼休みの終わりが近づく。
森野が立ち上がりながら言う。
「なんか、ほんとに不思議だよね」
「何が」
俺が聞くと、森野は少し考えるように首を傾げた。
「最初は“すごい組み合わせだな”って思ってたけど」
「今は、三人でいるのが普通に見えるっていうか」
「景色なんだよね、もう」
またその言葉だ。
でも、最初に聞いた時より拒否感が薄い自分がいる。
たぶんそれは、もう“景色”が悪いことばかりではないと分かってきたからだろう。
誰かと並ぶこと。
一緒に問題を抱えること。
昼休みに、次の一手を考えること。
それらが全部、前の俺にはなかった景色だ。
そして今は、その景色の中に自分の足場が少しずつでき始めている。
「……何だよ」
岸本が言う。
「いや」
俺は小さく息を吐く。
「ほんと、学園祭前夜みたいだなと思って」
「ほら、やっぱり」
森野が笑う。
「でも」
凛音が静かに言った。
「学園祭前夜より、たぶん少しだけ大事です」
「それはそうだな」
朱麗も頷く。
「白鳳館も、学園も、いまの私たちも」
「全部、少しずつ次へ進み始めていますもの」
その言葉は、昼休みの終わりにしては少しだけ重かった。
でも、嫌ではなかった。
チャイムが鳴る。
「じゃあ、またあとで」
森野が手を振る。
岸本も軽く顎をしゃくって教室へ戻っていった。
俺たちも立ち上がる。
紙を持つ朱麗。
メモを整える凛音。
そして、その間に立つ俺。
もはやこれは、完全に“ただの偶然の組み合わせ”ではないのだろう。
そこまで来ている。
「……戻るか」
俺が言うと、二人が頷いた。
「はい」
「ええ」
その返事の揃い方が、やっぱり少しだけ自然すぎた。




