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十九 踊りを愛している

 首里城の西に、アカギが群生する森がある。そこは楽童子たちの稽古場だった。


 川のせせらぎが心地よく、巨人の手のひらのような広葉樹は琉球の強い日差しを遮ってくれる。神木しんぼくであるアカギの霊気を一身受け、琉球文化の最先端を担う踊り子たちは今日も鍛錬に励んでいる。


「上出来だ、真南風まはえ。そこで糸を巻くしぐさをすることで歌詞を体現するのだ。目線による表現も忘れるな」


「はい、真山戸まやまとさま」


 十数人の楽童子たちからやや外れた場所で、真南風は真山戸から個別指導を受けていた。そして、その光景を寝そべって眺めているのが百千代ももちよだ。


「兄上の神経が分からねえ。真南風に踊りを教えるなんて、自分の首を絞めるようなもんだ」


「私は与那原よなばる親雲上ペーチンの指示に従っているまでだ。それに真南風は吸収が早い。才能ある踊り手が成長する様を間近で見られるのは幸せなことだ」


 嬉しそうに語る真山戸に、百千代は呆れながらため息をつく。


「呑気なことを言って……、もし()()()()()()花形を取られたらどうすんだ」


「それが踊奉行おどりぶぎょうの意向ならば仕方あるまい。そのときは、真南風が私より上だと……」


「――馬鹿を言うな! 与那原親雲上は間違ってる! 楽童子の花形は兄上しかいねえ!」


 百千代が声を荒らげる。真山戸は眉をひそめ、子どもに言い聞かせるような口調でさとした。


「我々でろんじても意味がない。それを確かめるために、楽童子全員参加の『花形選考試験』を設けることになったのだから」


 琉球一と言って差し支えない美形兄弟の口論を、真南風は背中を丸めて気まずそうに聞いていた。



 ――昨日、真南風と楽童子との初顔合わせにて、与那原親雲上が衝撃の発表をした。不動の花形である真山戸を差し置いて、新参者の真南風を花形に据えるというのだ。


 いくら踊奉行とはいえ、この決定はあまりに横暴だ。当然、反発の声が多く上がった。


 現花形の真山戸は楽童子の最年長で、最も優れた実力と家柄を持ち、そのうえ怠け者な二番手である百千代を唯一制御することができる。

 冊封式さっぽうしきという大舞台を一年後に控えた今、人望と実力のある彼の代わりが素人の新参者だなんて、理解を得られるはずがない。


 その中でも特に反発したのが百千代だ。淡々と受け入れた真山戸本人とは違い、彼は一向に認めなかった。日が暮れても納得しない百千代に、与那原親雲上が言った。



「では五日後に、他の楽童子も含めた『花形選考試験』を行う。その結果で花形を決定し、冊封式の構成を決めるものとする」



 そうして一夜が明け、今に至る。


 百千代は真南風と真山戸を眺めながら、いまだに与那原親雲上への怒りを抑えられない。忙しいからと真南風の指導を真山戸に任せたのも理解できない。何より、そのときの「彼の言葉」は断固として認められない。


『貴様は花形のうつわじゃない――』


 ――これまで楽童子を支えてきた兄上に何て言い草だ。融通の効かない困った愚兄ぐけいだが、琉球舞踊への想いが誰よりも強いのは与那原親雲上も承知のはずだ。


「こうですか?」


 真南風が手首を返す。膝をつき、目の前にある糸をつむぐように腕を回転させた。それを見て真山戸が頷く。


「悪くはない。直すべき細かい部分はいくつかあるが、大事なのはなぜ、誰のために糸を紡ぐのか……」


「全然ダメだ! 軸がブレている、頭の位置が上下している、指の関節に意思がない、全体的にぎこちない」


 真山戸の指導を百千代が遮った。小姑のような陰湿な指摘に呆れる真山戸だが、真南風は真剣な表情で頭を下げる。


「ありがとうございます、百千代さま。意識してみます。ええと、軸と、頭の位置と……」


「ちっ」


 言い返してくれれば口論もできるのに、真南風は助言として素直に受け取ってしまった。百千代はまるで無垢な少女を虐めているような気がしていまいち面白くない。


 百千代はおもむろに立ち上がり、二人に背を向けた。


「百千代、どこに行くのだ」


「試験の演目は何度も公演している『綛掛かせかけ』だ。その素人と違って、俺なら目を瞑っていても完璧に踊れる」


 そう言ってアカギの森を後にした。


「申し訳ありません。私のせいで……」


 気まずそうな真南風に、真山戸は首を振る。


「気にする必要はない。百千代が怠け者なのは昔からだ。それに悪いのは与那原親雲上だろう。踊奉行としての決定とはいえ、あまりに急だったからな」


「なぜ私が花形なのでしょうか? どう見ても真山戸さまの方が優れてるのに」


 真南風は稽古に励む楽童子たちを見渡した。琉球中から集められただけあって、全員が一流の舞踊家だ。

 その上で、真山戸はことさら群を抜いているように思う。昨日の茶屋で観た『天川節』は一晩たった今でも真南風の目に焼きついて離れない。


「与那原親雲上なりの意図があるのだろう。とはいえ試験をすることになった以上、手を抜くつもりはない。私はそういうことができない性分だ」


「でも……」


 真南風は俯いたままだ。同世代の子たちと共に大好きな踊りができると期待していただけに、花形に指名されたときの突き刺さるような視線は辛かった。


 正面から悪態をつく百千代はまだ良い方だ。他の楽童子たちの言葉なき妬みや敵対心は、八重山の最下層にいた真南風にとって体験したことがない種類の感情だった。


「ふむ……真南風、向こうの方に行かないか?」


 集中できない真南風を見かねたのか、真山戸が指を差す。そこには穏やかな川があった。安里川あさとがわの支流で、大人がまたげる程の幅だ。


 二人は川のほとりに腰掛けた。


 木の葉がゆるやかに回転しながら流れてゆく。絶え間ない水音は、真南風のもやもやした心のにごりも一緒に流してくれるような気がした。


「……ありがとうございます。だいぶ落ち着きました」


 きっと真山戸は気持ちを切り替えさせるために小休憩をとってくれたのだろう。そう思った真南風だが、彼は目を細めて川上をじっと見つめている。


「そろそろ頃合いのはずだが……来たぞ!」


 そう言うと、上流から何かが流れてきた。少しして真南風も気付く。


「あれは……おしどりの群れ?」


 先頭の大きい母鳥が、後ろに子共たちを引き連れて泳いできた。きょろきょろと首を振り四方八方に進む好奇心旺盛な子供たちとはぐれないように、母鳥はペースを調節しているようだ。


「かわいい……!」


 群れが真南風の目の前を通り過ぎていく。すると、母鳥の羽の先端が不自然に赤く染まっていることに気づいた。


「あの羽は、私が一年前の冬に鳳仙花ほうせんかをすり潰して塗り込んだのだ」


 真山戸が言った。


「え……なぜそんなことを?」


「『天川節』の研究のためだ。あの歌はおしどりのように連れ添う一途な恋人同士の歌。そうだろう?」


「はい。おしどり夫婦とも言いますし、おしどりは『変わらぬ愛』の象徴ですから」


「うむ、それが常識だ。だから本当にそうなのか、一番ひとつがいのおしどりを捕まえて、それぞれの羽に印をつけ、追跡してみたのだ」


「つ、追跡?」


「そのつがいは春の終わりに卵を産んだ。するとオスは去り、メスが一羽で子を育て始めた。いなくなったオスはどうしたか分かるか? 次の冬には別のメスと子を作っていた」


「え……それって、全然おしどり夫婦じゃないんじゃ」


「その通り。おしどりは一途には程遠い、一冬ごとにつがいを変える移り気な鳥だったのだ。それで『変わらぬ愛』など片腹痛い」


「へえ……初めて知りました」


 真南風は素直に感心したが、間を置いて、真山戸の探究心に震えた。淡々と話しているが、ただ一演目の理解を深めるためだけに一年以上もおしどりのつがいを追跡したなんて変態的な執念だ。


 真山戸が立ち上がる。


「私は踊りを愛している。その価値を信じている。琉球舞踊を高めるためなら何でもする覚悟がある」


 真南風は与那原親雲上の言葉を思い出した。八重山から那覇へ向かう船上で、彼も同じことを言っていた。――世界に誇る琉球舞踊を高めるためなら、女でも楽童子に入れる――と。真山戸も与那原親雲上と同類のようだ。


「そのために、花形は真南風が最適だと言うのなら、私は喜んで譲り渡そう。だから真南風、私や百千代たちに遠慮するな。どれだけ素晴らしい舞台を観客に披露することができるか、楽童子にとってそれ以上に優先すべきことは一つもない。試験まで四日しかないのだから、余計なことを気にしてる暇はないぞ」


「……はい!」


 真南風は罪悪感を抱いたことを恥じた。彼女は楽童子の子たちと馴れ合いに来たのではない。琉球の代表として、最高峰の踊りを見せるために楽童子に加入したのだ。琉球は亡国の危機にひんしている。些細な人間関係に気を揉んでいる場合ではない。真南風がすべきことは、冊封式までに明の使者を虜にするほど踊りの腕を上げることだ。


 真南風と真山戸は稽古を再開した。気高い理想を胸に秘め、泥臭く、美しく舞う楽童子たち。彼らの姿を、そびえ立つアカギの大木が優しく見守っていた。





 ◇





 月が首里城を照らす夜、北殿にて王妃である阿応理屋恵が泡盛をあおっている。


「王妃さま、今夜は一合だけの約束ですよ」


「そんなこと言わないで、もう一口だけよお。ね、おねがい。我慢できないの」


 険しい顔つきの女官に、王妃である阿応理屋恵は甘えた顔でおねだりする。阿応理屋恵付きの女官は、いくら見慣れたとはいえ天性の造形美と愛嬌、そして泡盛の芳醇な香りに脳が麻痺し、仕方なく五度目の「最後の一杯」を注いだ。


 冊封式の開催が決まってから、酒を管理する銭蔵ぜにくら奉行に口酸っぱく節酒せっしゅを頼まれている。冊封使節団を歓待するために酒はいくらあっても足りない。宴を生き甲斐にしている王妃も、日々の晩酌を限りなく減らしていた。


「――失礼します」


 そんな王妃の前に、一人の男が膝をついた。


「待っていたわ。さて、お話を聞かせてもらおうかしら。なぜあなたは()()()()()()()()真南風や与那原親雲上と一緒にいたの?」


 男が頭を上げる。蝋燭ろうそくの灯りが照らしたのは、かつて那覇港で海底に沈みかけた真南風を救出した男――六郎だ。


「私は謝名親方より特命を授かり、調査のために楽童子に接近致しました」


「確かに、()()()()()()()()()()()()()()()あなたなら調べられないことはないわね。それにしても、特命だなんて。私にも秘密だったってことは、よほどのことなのね」


「……黙っていたのには理由がありました。王妃様を()()()()()からです」


 それを聞いた女官は、泡盛が入った陶器を畳に強く叩きつけた。


「無礼者! 王妃さまに不敬な!」


 六郎は表情を変えない。王妃が女官を宥めた。


「構わないわ。それより特命の調査とは……つまり」


「はい。琉球の中に、薩摩さつまと通じる『裏切り者』がいます」


「裏切り者……!?」


 真っ赤だった女官の顔がみるみる青ざめていく。


「謝名親方は阿国を疑っていたのね。そして、彼女を引き入れたこの私も」


 阿応理屋恵は苦笑しながらも、指先がわずかに震えているのを自覚した。


「阿国さまは大和の巫女ですから、真っ先に警戒してしまうのは仕方ありません。どうかお許しください」


「それで、裏切り者は誰だったの?」


「まだ限りなく黒に近い――としか。おそらく答えが出るのは四日後です」


「四日後?」


「はい。その日、楽童子の花形選考試験が行われます。そこにて、裏切り者が尻尾を出すでしょう」


 蝋燭ろうそくおぼろげな灯りがゆらりと揺れた。

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