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十五 三つ巴の政局

 阿国の三線が奏でる白鳥シラトゥヤーの旋律は、御前会議中の下庫理しちゃぐいにも届いた。


「どこかで宴会をしておるようだな」


 玉座に腰掛ける尚寧しょうねい王が微笑んだ。


 王の前に端座する高官たちもほっと息をつく。長時間の会議に疲弊していた彼らは、その美しくも切ない音色にしばし心を奪われた。


「一体誰の演奏だ? 地謡ジウテー衆の音取おとどりをも凌ぐ腕前だ」


 ある高官の呟きに、隣に座る者が小声で返す。


「この情感の強い音色は、最近入った阿国という者だろう」


「王妃様が召し抱えたという大和の女か」


「この時期に大和の人間を内部に入れるとは、王妃様の道楽には困ったものだ。それもこれも首里天加那志が甘やかすから……」


 ため息を吐く高官を背後から戒めたのは、謝名親方だ。


「いつから御前会議は陰口のつどいになったのだ」


 彼は六尺を越える背丈を縮こませ、鴨居かもいをくぐった。軸のぶれないすり足で歩き、尚寧王の前に膝をついた。


謝名じゃな利山(りざん)、ただ今戻って参りました」


 御拝しながら、謝名親方は自身に向けられている高官らの視線を探った。政界の重鎮が漏れなく一同に介し、その多くが謝名親方に敵意を向けている。


 この御前会議は大和の軍事侵攻における対策を立てるためのものだったが、急遽別件が舞い込んできたので、謝名親方はその対応にあたっていた。月嶺による那覇港の乱射事件である。


「内容は聞いている。ご苦労であった」


 謝名親方の下げた頭に、尚寧王の言葉が降りてくる。やや間があって一人の老人が立ち上がった。


「儂が責任を取ることになった」


 ――やはりそうなったか。


 謝名親方が顔を上げた。


 老人は三司官の一人、城間ぐすくま親方だ。書道の大家でもある城間は、琉球王府一の人格者で知られている。


 特権階級の聞得大君を裁くことができない以上、貿易関連を統括する彼が責任を取って身を引くのは妥当だ。これで損害を被った海商たちも納得せざるをえない。月嶺が言った通り、里主(さとぬし)の首どころでは済まず、政治の最高位である三司官の一人が失墜しっついする結果となった。


「三司官の後任を、謝名親方に命ずる」


 尚寧王の言葉に空気が引き締まる。これも謝名親方の想定通りだった。


「首里天加那志。恐れ入りますが、よろしければ後学のため、任命のご理由をお聞かせ願いますでしょうか」


 謝名親方は理由が知りたかったのではない。王の口から明言してもらうことで、周囲の反感を弱めたかった。尚寧王もそれを理解し、あえて丁寧に説明した。


「通常、三司官は王府役人二百名による投票で決定するが、此度こたびは緊急時ゆえこの場にいる上層部が代表し、多数決で採択した。そして大和による軍事侵攻の対処、余の冊封式を来年に控えた情勢等をかんがみて、みんに明るい人材を高い待遇にて登用すべきだと判断し、余が最終的な許可を下した次第である」


「……身に余る光栄でございます」


 謝名親方は深く頭を下げ、元三司官の城間親方がいた位置に端座した。


 ――これをもって、琉球初となる華人の流れを汲む久米村クニンダ出身の三司官が誕生した。


 三司官は投票で決まるが、強固な派閥政治によって大半は五大姓ごだいせいと呼ばれる五つの名門一族が占める。退官した城間親方も琉球五大姓の一つ、おう氏門中だ。


 血縁を何よりも重んじる琉球において、華人の末裔で無派閥の謝名親方が三司官に就いた歴史的事実は、現状が派閥の力学が及ばないほどの非常時であることを意味している。


 尚寧王のおかげで謝名親方に向けられる敵意の目は減ったものの、完全には消えていない。最も色濃いのが同じ三司官の一人、名護なご親方だ。彼は親大和派で、一貫して大和との和睦を主張している一人だ。


「首里天加那志、一刻も早く家康公に使者を送るべきでございます」


 名護親方が言った。口もとの髭が呼吸のたびに揺れている。尚寧王は固く口を結んだまま謝名親方に視線を送り、謝名親方は強い口調で却下した。


「それはいけませぬ。豊臣政権時の二の舞になり、また琉球は大和の属国として無理難題を押し付けられてしまいます」


 名護親方が舌打ちする。


「謝名よ、いつまでも悠長なことを言ってられんのだ。これを見よ。先程、薩摩さつまの島津氏から送られてきたものだ」


 名護親方は一枚の書状を広げた。


『今歳聘せず 明歳また懈れば 危うかざるを欲してこれを得るべけんや』


(今年来聘(らいへい)せず、来年もまた来聘しなければ、あなた方の安全は保証できない)


 謝名親方の眉頭まゆがしらがかすかに動いた。


 現在の琉球王府が決断すべき直近の議題は、「徳川家康に来聘らいへい――使節が礼物を持って会いに行くこと――の使者を派遣するか否か」である。


 経緯を端的にまとめると、以前琉球人が大和に漂着した際、家康の配慮で手厚く送還された。その礼を家康に言いに来い、というものだ。


 大和の琉球担当窓口である薩摩藩からしきりに書状が送られてきており、琉球は固く沈黙を貫いているものの、それは軍事的な恫喝どうかつといえるほど強い口調になっていた。


 この催促に対して、琉球が慎重にならざるをえない理由があった。


 以前、豊臣秀吉が朝鮮への侵攻を計画した段階で、琉球に出兵の協力を求めたことがあった。琉球と朝鮮は同じ明の冊封下にある、いわば同盟国関係だ。その朝鮮を攻めるために兵の支援をするなど琉球が応じるはずもなく、当然、断るための使者を送った。


 すると秀吉はこちらの意向を無視して、琉球を大和の従属国に認定してしまったのだ。


 勝手に因幡の亀井茲矩かめいこれもりを琉球の守護職に任命したり、薩摩藩の兵站へいたん義務を琉球と共に果たすよう命じたりと、対等な国同士の外交としてあるまじき態度であれこれ要求された。


 徳川政権に変わり秀吉ほどの強引さはないものの、いまだ琉球には大和に対するトラウマがある。民間人同士の貿易は構わないが、公的な関係を深めたくはない。琉球にとって大和はそんな相手だった。


 名護親方が畳を叩いた。


「さて、いかがなものか。つまりこれは脅しだ。来年までに来聘らいへいの使者が来なければ家康公は軍事侵攻に踏み切るということだ。一刻も早く和睦を結ぶしかあるまい」


 高官たちも頭を抱えた。御前会議は和睦もやむなしの雰囲気だ。しかし謝名親方は大きく深呼吸し、首を横に振った。


「なりませぬ。まだ待ちましょう」


「この後に及んで何を待つというのだ!」


「言われるがまま来聘に応じれば、琉球は武力に屈する国と軽んじられ、ことあるごとに大和に利用されるでしょう。明と国交断絶している大和に弱味を握られると、琉球の生命線である明との関係に支障が出ます」


 名護親方は反論しようとしたが咄嗟に言葉が出ず、腕を組んだ。口を開いたのは尚寧王だ。


「謝名親方よ。それではこのまま戦争するしかないというのか?」


「それも避けたいところです。間違いなく大敗し、大和に支配されてしまいます。すると琉球は明の冊封から外され、多くの外交ルートを失い、国力は現在の半分以下に落ちるでしょう」


「ならばどうすると言うのだ! 八方塞がりではないか!」


 名護親方が声を荒らげた。


 大和にとって、漂着民送還の礼など大した問題ではない。本質は明との貿易再開の糸口を掴むことにある。来聘の有無などは大義名分に過ぎず、琉球がどう出ようと最終的に軍事侵攻まで運ぶつもりだ。暴力を背景に交渉を進める――天下統一したとはいえ、大和はいまだ戦国の論理で動いている。


「最も現実的なのは、明から援軍をもらうことです」


 謝名親方の答えに、名護親方が嘲笑する。


「明の助けは望めないだろう。以前、冊封国のマラッカがポルトガルに侵略されたときも見捨てたではないか」


「確かにマラッカは見捨てられましたが、それは距離が遠く未知の西欧が相手だったからです。明からすれば、同じアジアに属する大和がこれ以上増長するのは避けたいはず。援軍を送る可能性も少なくありませぬ」


「そもそも琉球の地で明と大和という大国同士がぶつかり合うなど、果たしてどれほどの被害が出るのか。考えただけで恐ろしい」


「その通り。援軍を得たとて、開戦は敗北と同義。『琉球を攻めると明の援軍が来る』――それを交渉の切り札として、対等な関係で戦争を回避する。これが最も良い展開でございます。大和はまだ徳川支配が盤石ではありませぬ。大阪城にて豊臣秀頼と淀殿が反乱の準備を進めております。よって琉球に全軍を割くことはできませぬ。大和との戦といっても、攻めてくるのは薩摩藩のみとなるはずです」


 尚寧王が立ち上がった。


「おお、ということは万が一援軍がなくとも薩摩の侵攻にさえ耐えれば良いということか。大和そのものを相手取るのに比べれば遥かにましだ」


「首里天加那志、恐れ入りますが薩摩軍は大和有数の強者揃い。明の援軍がなければいくさ素人の我々など一日ともたず蹂躙じゅうりんされるでしょう」


 謝名親方の冷静な指摘に尚寧王は口をつぐみ、玉座に腰を下ろした。


 各自が弁を吐き出し、会議室に熱がこもる。そんな中、突如として冬のような寒気がなだれ込んだ。ジーファーの金の鈴が澄んだ音を鳴らせた。


「くだらぬ。戦は負けると思っておる方が負けるのじゃ。腰抜け共はせめて他人に弱気を伝播でんぱさせぬよう口を閉じておれ」


 そこに現れたのは月嶺だ。


「――聞得大君加那志!?」


 高官たちが畳に額をついた。謝名親方が手をつくだけに留まったのは、王の御前でもあるので別の人間に最上級の敬意を払うわけにはいかないという官吏としての判断だ。


 月嶺は名護親方を扇子で指し、高圧的に指示する。


「和睦などという軟弱な対応は断固として許さぬ。貴様らはせいぜい膝を抱えて縮こまっておけばよい。薩摩の軍船がどれほど迫ろうと、もれなく海の藻屑にしてくれる。仏郎機フランキ砲の威力は実証済みじゃ」


 あれほど和睦を強弁していた名護親方だが、月嶺には何も言えずただただ震えている。


「謝名、貴様もじゃ。援軍などに苦心する与力があるなら、とっとと軍備を整えて戦ってしまえばよかろう」


 扇子が謝名親方に向く。名護親方と違い、彼は黙っていない。


「聞得大君加那志。政治家として言うなら、戦争は外交失敗により生じる窮余きゅうよの策です。勝っても負けても取り返しのつかない遺恨と損害が残ります。まだ交渉の余地がある以上、進んで行うことではありませぬ」


「それは相手が自国と同じ価値観を持つ場合にのみ通用する論理じゃ。命の重さは国と文化によって違う。国際社会は舐められたら終わりよ。傲慢な猫にはねずみの牙も案外鋭いということを教えてやらねばならぬ」


「その代償に国が滅んでしまっては一巻の終わりでは? 平和に暮らす民に無為な血を流させるわけにはいきませぬ」


「今を生きる者が血を流してこそ未来の平和が手に入るのじゃ」


「民が無事でなければ未来すらありませぬ」


 月嶺が険しい目つきで見下ろす。謝名親方は彼女の琥珀色の瞳に気圧されそうになる。琉球国民の信仰を一挙に背負う月嶺の覚悟は本物だ。


 謝名親方は実利優先でスピリチュアルに比重を置いていない。それはこの琉球において彼が特殊なのであって、王府高官ですら一同にひざまずく月嶺が見る景色は、もはや王と遜色ないのだろう。


 尚寧王は、平時であれば部下の意見にしっかりと耳を傾け、共に最善を模索する賢王の部類だ。しかし緊急時では月嶺のような覚悟と実行力を持った長の方が頼もしく感じてしまうのも道理である。


 謝名親方が受けて立つと言わんばかりに月嶺を見上げた。二人の視線はまるで達人同士の鍔迫り合いだ。周囲の高官らは息を飲む。謝名親方の理性と月嶺の本能から導き出される舌戦は一進一退だった。


「聞得大君加那志、ところで何の御用でこちらに参ったのですか?」


 謝名親方の質問に、月嶺は思い出したように言った。


「謝名、どうせ次の三司官は貴様じゃろう」


「左様でございます」


「貴様は憎たらしいが、他の有象無象よりは大局が見えておる。那覇港でやるべきことは分かっておるな」


「今後の貿易は国家主導で行うつもりです」


「それでよい。個人貿易は儲かり過ぎた。海商ら平民が財力を持ちすぎると相対的に国家の権威が下がり、統制に綻びが出る。那覇の一件でよほどの信用がなければ外国船は琉球との貿易を嫌がるじゃろう。しかし琉球がアジア物流路の交差点にある以上、完全に排除されることはない。そこで、()()()()()という信用を与え、海商と他国との間に介入してやるのじゃ」


 謝名親方はこういうところに月嶺の恐ろしさを垣間見る。交易バブルによって海商らの財力が国庫に匹敵するほど膨れ上がっていることは王府の悩みの一つだったが、この問題を実力行使で解決してしまった。


 常軌を逸しているとしか思えなかった月嶺の凶行は、蓋を開けてみれば全て琉球の利益に繋がっている。月嶺は続けた。


「港に出入りする船の身元調査を徹底し、物資と情報は砂一粒の漏れもなく王府が管理せよ」


「すでにそのように手配しております」


 謝名親方の滞りない返事に、月嶺は満足したような、それでいて面白くなさそうな表情でふん、と鼻を鳴らした。


「そして次の質問がここに来た最大の目的じゃ。那覇の海で追い返したと思った異教の神が、ついさっき首里城の真上におった。貴様ら見ておらぬか。いくつかの火の玉と共に浮いておった」


 謝名親方の全身から力が抜けていく。舌を巻くほど理論的な話をした直後にこんな奇っ怪な話もする、これが月嶺だ。尚寧王に視線を送ったが「余にはわからぬ」と肩をすくめた。


「やれやれ、男は腰抜けなばかりか、霊力セヂも低くて役に立たん。"女は戦の先駆けイナグヤイクサヌサチバイ"とはよく言ったものじゃ。むむ、あちらから不穏な風が吹いておるな……」


 月嶺はそう呟きながら去って行った。


 鈴の音が聞こえなくなった頃、高官たちはため息と共に頭を上げた。まるでボロ小屋で台風に耐えながら一晩明かしたような疲労感が押し寄せた。


「謝名、貴様……あれほど聞得大君加那志に楯突くとは、よほど明の援軍を取り付ける自信があるようだな」


 名護親方が手巾で額の汗を拭う。


「どれも、まだ形にはなっておりませぬ」


 謝名親方はすでにいくつかの伝手つてを使って手を打っている。その中で最も読めないのが、阿応理屋恵の琉球式もてなしで冊封使を説得し、明に価値を認めさせる「冊封使歓待案」だ。


 期待していない――というより彼にはとうてい思い浮かばない案だったので、可能性の目算すら立たない。それが面白くもあった。


 謝名親方は込み上げる笑みを抑え、名護親方に尋ねた。


「そういえば、先ほど聞得大君加那志がおっしゃっていた女は戦の先駆けイナグヤイクサヌサチバイとはどういう意味でしょうか?」


「古くから琉球の戦は、一手目に神女集団が呪術で弱らせ、次に男の兵が攻め込むという手順が定石だった。それを例として『戦に先立つ女の方が勇敢だ』という意味で使われている」


「ふむ……、これだけ儒教が浸透しているにも関わらず女の方が勇ましいとは。つくづく奇妙な国だ」


 謝名親方は呆れながら凝った首を回した。




 御前会議は日暮れまで続いた。白熱した議論の末、尚寧王が決定を下した。


「徳川への使者は送らぬ。理由は交易事業の不振により費用や礼物の用意が出来ないため――とする。その旨を文書にしたため、島津氏への返事とせよ」


 当時の東アジア一帯は銀の交易ブームによるバブル状態で、琉球もその恩恵を大いに受けたはずである。しかし冊封式の直前、琉球は突然の資金不足に陥ったことが記録されている。

 原因は東インド会社の隆盛や王府の散財というのが通説だが、実際は月嶺と謝名親方の連携による鎖港さこうと情報統制が奏功した結果であった。


 君主制国家において王の決定は絶対だ。高官らは速やかに仕事に移った。


 しかし、この会議は後に大きな禍根を残すことになる。


 謝名親方を筆頭とする親明派、

 名護親方の派閥を中心とした親大和派、

 そして月嶺率いる神女組織による徹底抗戦派。


 ――亡国の危機の最中さなか、それぞれの信念と思惑が錯綜し始める。

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