第十八章「“患者M”の帰還――異形の恋と復讐の匣(はこ)」
大阪市・此花区、港湾近くの倉庫街。
夜霧が立ち込めるなか、凛子と惇は一つの廃棄工場跡に足を踏み入れていた。
数日前、Z-9に関する匿名のリーク情報が、裏医療サイト「LEMMA」に投稿されていた。
そこには、Z-9の神経スキャンデータ断片、義足の設計図、そして「Z-9は神である」と記された異常な文言が添えられていた。
「……これは明らかに、個人による信仰の域を超えてる」
惇はモニターに目を走らせながら呟いた。
「誰かが“Z-9”の存在を、偶像に祭り上げている」
情報の発信元は、この港区の廃倉庫だった。
***
倉庫の内部に灯りはない。
だが、奥の部屋にかすかに響く機械の稼働音と、何かを擦るような金属音があった。
その部屋に、彼はいた。
全身を包帯と義肢で覆った男。
右脚は漆黒の炭素繊維製の義足、左腕は精密な関節付きの機械義肢。
だが最も異様だったのは、その顔だった。
――顔面の下半分が“人工皮膚”で再構成されていた。
目の奥に、微かに“哀願”と“執着”の入り混じる色が見えた。
「君が……Z-9の“継承者”か」
彼は、凛子を見て静かに言った。
惇が前に出る。「お前が“患者M”か」
M――
大堀整形研究所の元患者。灰原エリ=Z-9と同時期に実験的義肢手術を受けた少年。
事故で右脚を失い、同時に“自我と身体の境界”を喪失した。
術後、彼はエリに異様な執着を見せ、彼女の失踪後に姿を消したとされていた。
Mは、崩れかけたソファに座ったまま、自らの義足を撫でるように触れた。
「彼女は、私を拒まなかった。
“異形”を見て、泣かなかった。
むしろ、私の義足を“美しい”と笑った……あの瞬間から、彼女は神になったんだ」
凛子は、まっすぐにMを見返した。
「灰原エリは、ただ生きようとした少女だった。
自分の身体を、自分で取り戻そうとした。
あなたの中で“神”にされたくなんて、なかったと思う」
Mの目が揺れる。しばし沈黙が流れた。
やがて彼は、部屋の奥から一つの箱を取り出した。
「……これは、“彼女”が私に遺したもの。
彼女の“義足の部品”。
退院直前、こっそり私に渡してくれた。『これはあなたの分身になる』って……。
でも、私はそれを“神の遺物”にしてしまった。崇めて、閉じ込めて、使わなかった」
箱の中には、金属の薄片が入っていた。
黒く、薄いプレート。義足の内壁部に使用されていた素材だ。
惇が一歩踏み出す。
「お前がそれを持っている限り、Z-9は“偶像”にされ続ける。
お前自身も、“彼女の隣”には戻れない」
Mは、それを聞いてゆっくり立ち上がった。
「……じゃあ、私は“遺す”よ。
自分の形を、彼女と同じ“記憶”として……」
そのまま、Mは箱を凛子に差し出し、静かに部屋を後にした。
彼の義足が、鉄の床を音もなく叩く。
「……彼は、彼なりの方法で、彼女に追いつこうとしたのね」
凛子はつぶやいた。
惇は頷く。
「だが、その“信仰”が、次の事件を呼ぶ気がする」
凛子が受け取った箱の底には、さらに一枚のメモが貼られていた。
> 「Z-9の“中核部品”は、まだ“聖域”に封印されている」
> 「“灰原エリ”の最終記録は、“月読機構”が所有している」
“月読機構”――
医療、宗教、工学が入り混じった匿名組織。
そこには、Z-9の本当の“死の意味”が残されているという。




