和美さんピンチ! 文化祭、祭りの後
1、閉じ込められた和美さん
「頼む! 僕を女子寮に入れてくれ!」
寮の入り口で、虚しくわめくオダセンの声が廊下に響く。
「先輩、我慢してください。和美さんはきっと無事ですから……」静香が丁寧に対応していた。
貞子先輩が和美さんと共に更衣室に引きこもってから、少なくとも二時間が経過していた。外は既に闇に包まれている。
更衣室の扉に鍵がかかった後、すぐにリカ達は職員室に飛び込み、事情を説明して寮監督の先生を連れてきた。しかし、更衣室の扉を開く事はできなかったのだ。
古くて汚い更衣室は、要らないものを置き貯めるだけの倉庫と化していた。貴重なものが何も無い倉庫に、外側から開閉できる鍵はなかった。内側から閉められたこの扉は、内側からしか開けることができなくなっていた。
静香になだめられながらも、オダセンはあきらめきれない様子だ。
「もし、貞子が和美に……和美が嫌がるようなことをしたら……、僕は貞子に何をするかわからない……」
私は密かにオダセンの言葉にしびれていた。
静香は私が近くにいるのを見ると、すぐに「様子を見に行って」と、目だけで合図した。私は更衣室の前までまた戻った。
状況は全く変わっていない。寮監督の土屋先生と、朝子先輩だけが扉の近くに立っているだけで、他に誰もいない。貞子先輩を刺激しないように、他の生徒達を遠ざけたのだ。時折、好奇心旺盛な女子たちが近付いてくるが、朝子先輩が睨んで追い返す。
近付くと、朝子先輩はうんざりしたように睨み顔をつくろうとしたが、すぐに私と気が付いて、手招きをした。
「どう? 小田の奴、まだ寮の前にいる?」と先輩は聞く。
「はい。ものすごく心配しています。寮に入れてあげたらどうでしょう?」と私は土屋先生の方を見た。土屋先生は私のお母さんよりも歳は上だろうと思われる、少し小太りな、優しい先生だ。
しかし、先生は首を横に振った。
「小田君はまだ相当に興奮しているのでしょう? そんな状態でここに連れてくるのは逆効果ですよ」
先生の言葉に、私も朝子先輩も頷いた。扉の向こうからは、時折、すすり泣きが聞こえるだけで、何が起こっているのか全くわからなかった。私は、オダセンの元へ戻った。
まだ扉が開きそうにないと告げると、オダセンは力なく寮の入り口に座り込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
静香が助け起こそうとして、ハッと身を引いた。
オダセンは泣いていた。
寮の扉を拳で何度も殴りつける。
廊下に響く堅い音から、オダセンの不安と苛立ちを感じた。
私と静香はお互いに「どうしよう」という顔で見詰め合った。男子が人前で泣くのを見たのは久しぶりだったので困惑したのだ。
彼の涙が悲しみによるものなら、慰めることができたかもしれない。でも、これはきっと違う。オダセンは悔しいのだ。何もできず、ただ寮の前で立っているしかない自分とこの状況に怒りを感じているのかもしれない。
オダセンも涙を見られたことが恥ずかしいのか、私達には背を向けて膝を抱えてしまった。
気を使って、オダセンを一人にしてあげようよと、静香は目と手振りだけで私に伝えた。私もどうすればいいのかわからないので、彼女と一緒にオダセンのそばを離れることにした。
2、リカの長い髪
寝室に戻ると、さやかがベッドに腰掛けて、ぼんやりとしていた。
私に気が付くと、
「どう? 和美さん、出てこられた?」と聞いてきた。私は首を振る。
さやかはまた顔を覆って泣き始める。
「私が、悪いんだ。……私がリカを恨んだせいで、こんなことに……」
リカの髪を切ろうという陰謀は貞子先輩がたてたものだ。さやかはそれの加担者ではあったが、さやか一人のせいで、今の状況があるわけではない。
「ねぇ、さやか。……どうしてリカは髪が長いんだろう?」
「は?」
さやかは泣くのを止めて私の顔を覗き込んだ。私はさやかの顔をのぞき返して聞いた。
「どうして貞子先輩はリカの髪に目をつけたんだと思う?」
「それは、リカの髪があまりにも目立ちすぎるからでしょ」
さやかは、当然のことを言うように答えた。私はうなずいた。
「確かに。リカを陥れようとする人なら、別に貞子先輩でなくても、リカの髪を切ろうとしただろうね」
だから私にはわからない。どうして、他人に目をつけられる前に自分で髪を切ってしまわないんだろう? なぜ、リカは自分の髪に執着するのだろう? リカの身にテロが起きるなら、真っ先に髪が狙われる。リカは自分のもっとも弱い部分をさらけ出して歩いているようなものなのだ。
リカの髪は素敵だ。私もあんな髪を持ちたいと思う。でも、私には無理だ。私はきっとリカのように堂々と長い髪をさらけ出して歩くことはできないだろう。私は、自分のために、自分に不利に働くような要素は全て除外したいのだ。
寝室の扉がノックされたので、私はさやかから離れて、ドアを細く開けた。静香が立っていた。
「和美さんと貞子先輩が出てきたよ」
私は部屋を飛び出した。泣いていたさやかも出てきた。
すすり泣く声と共に、和美さんたちは廊下に出てきた。ほとんど全ての部屋から生徒達が様子を見ようと出てきている為、よく見ることができない。
土屋先生と朝子先輩が廊下をふさぐ様に群がる女子達をかき分けている。その後ろを、和美さんと貞子先輩が並んで歩んでくるのが見えた。
泣いているのは……貞子先輩だ! 数時間前まで独裁者の様に振舞っていた貞子先輩は今、和美さんの腕にすがりつきながら、弱々しく歩いている。反対に、和美さんは堂々としていた。大仕事を終えて帰ってきたような、スッキリとした表情だ。強く波打つ黒髪も、和美さんの内面から溢れる自信を表しているようだった。
寮の出口に近付くと、和美さんは情けない泣き顔をで突っ立っているオダセンに気が付いた。朝子先輩が和美さんの腕から貞子先輩を離すと、土屋先生に預ける。そして、一心不乱に事の成り行きをすべて見てやろうとしている、寮の住民全員に向かって、
「部屋に戻って!」と一喝した。
3、翌日
文化祭二日目の朝は、昨晩には何事もなかったかのように穏やかに始まった。
展示室でオダセンに会うと、オダセンは気まずそうに私から目を逸らせた。
朝子先輩も展示室に入ってきた。そして、
「貞子は今日の朝、学校を出て行ったよ」と静かに言った。
私はきっとそうなるだろうと思っていたので、かすかに頷いただけだった。でも、一応聞いておきたかった。
「自分から辞めたんですか? それとも、退学処分?」
朝子先輩はパネルに貼られた写真の一枚一枚を確認しながら「自分から」と言った。
自分から学校を辞めるのと、退学処分を受けるのとでは雲泥の差がある。次の学校入学にも大きく響くのだ。私は、貞子先輩が自らの意思で、この学校生活に幕を引いたことに少し安堵した。
朝子先輩はオダセンの方を振り向いて穏やかに言った。
「本当は、貞子は退学処分になるはずだったんだよ。でも、和美さんがそれを止めたんだ」
オダセンは理解できないという顔をした。
「あんな奴を庇うことない! 何故、和美が貞子を庇うんだ? あの二人は昨日出会ったばかりじゃないか?」
口元だけで朝子先輩はにんまりと笑った。
「小田に聞きたいことがあるんだけど……。和美さんっていくつなの?」
オダセンは少し身構えた。
「何でそんなこと聞くんだよ? 何歳だっていいじゃないか! 僕は和美が好きなんだ!」
オダセンの顔が赤い。叫んでしまったことに、自分でも驚いている様子だ。
「わかってるよ。ムキにならないで落ち着いてよ。……で、いくつなの?」
「に……二十二歳」
私は思わず「え?」と言ってしまった。朝子先輩は「なるほど」と頷いている。和美さんが二十二歳……。見えない……二十歳過ぎには見えなかった。
「貞子はね、和美さんの高校時代の同級生なんだってさ」と朝子先輩は言った。という事は……当然、
「貞子先輩も二十二歳?」
「そうなるね」
私はいつか弥生達が自習室で話していることを思い出していた。「貞子先輩が校門の前で堂々とタバコを吸っていたところに林が通りかかったんだけど、林は何も言わなかった。林は先輩を恐れているんだよ」
この学校の唯一の校則は「法律を犯すな!」だ。二十二歳の成人した女性が、学校の敷地外でタバコを吸っているところを教員に見つかっても咎められはしない。林は貞子先輩を恐れていたのではなく、注意する理由がないので見て見ぬ振りをしただけだ。
廊下が段々とにぎやかになり、文化祭らしさを取り戻していった。
4、武
「Go! Fight! Win! Go! Fight! Win!」
弾けるようなリズムとパワーで、チアリーディング部の女の子達がクレープを買ってくれたお客に「応援」をサービスしている。水色のユニフォームを着た、元気と若さ溢れる女の子達に取り囲まれた中年男性は少し恥ずかしそうに……いや、かなり嬉しそうに鼻の下を伸ばしながらクレープを頬張っている。
男って、幾つになっても可愛い女の子が好きなんだよね、全くもう!
「あゆみ!」と、その中年男が私の方へ駆け寄ってくる。ん? あれは……
「お父さん!?」
口の周りにクリームをくっ付けたまま父は、「あゆみ、しばらく見ない間に大きくなったな……」と私の肩に手を置こうとする。
「ちょっと! クリームがついた手で触んないでよ! 服が汚れる!」
「ん? あ、本当だ」と、父は指をなめようとするので、
「ちょっと! なめないでよ、汚いな~。トイレ行って洗ってきて!」と、私は父を手洗いまで連れて行った。
まあ、数ヶ月ぶりの親子の再会なんて、こんなものだ。
男性トイレの前で、父を待っていると、ラグビー部のユニフォームを着てジャガバターを売り歩いている武に遭遇した。
「お前、女のトイレはあっちだぞ。それとも……」
「お父さんを待っているだけだよ!」と私はムッとして言った。
武は「そうか」と言うとだまり込んだ。そして、急に真面目な顔になると、
「さやかが、昨日の騒動に加担していたというのは本当なのか?」と聞いてきた。どうやら男子寮にもパパラッチたちは潜伏するらしい。
隠し事は無意味に思えたので、私は頷いた。
「そうか……」とつぶやいて、また黙り込む。私は少し苛立って言ってやった。
「さやかを責めないでよ。さやかが馬鹿なことをしたのは、武のせいなんだからね」
「そうか……」ため息をつくように言うと、武は
「さやかのことは、あゆみに頼む」と言って去ってしまった。
5、最後の
文化祭最終日は慌しく過ぎていった。三時ごろに校庭へ出てみると、ユタが後夜祭の為の準備をしていた。ステージを何人もの男子を使って組み立てている。ドラムやアンプなどの軽音楽機材が運ばれる。ユタの左手には重そうなトランシーバーが握られている。その機械からは、時折島先輩の声が聞こえてきた。おそらく、島先輩は他の仕事で校庭に出てこられないのだろう。
ユタは何度も腕時計を見ていた。後夜祭まであと二時間だ。
私は過ぎていく時間をうらめしく思った。……高校一年の文化祭が終わろうとしている。あと、この学校では二回、文化祭を楽しむことができるだろう。でも、それは今日の文化祭とは別物なのだ。来年には、島先輩も、オダセンも、朝子先輩も、勉強で忙しくなり、私達とはあまり深く関わらなくなってしまう……。
「先輩!」ユタは時々トランシーバーに向かって島先輩を呼んでいる。中学のころから島先輩の下で委員会に貢献してきたユタにとって、先輩と創り上げる文化祭は、今年で最後になるのだ。来年の文化祭にはユタが責任者となり、彼に指示を出してくれる人はいなくなる。
来年には……私達が寮の支配者になれるのだ。不思議だった。もう、時間を気にして風呂に入ることもないし、視聴覚室のテレビだって好きなときに見られる。先輩から呼び出しされて怯えることも無い。
私は急に使命感のようなものを感じた。私達が支配者になった時には、何かを変えたいと思った。くだらない「伝統」は一つ一つ破っていこう。「呼び出し」をして下級生を脅すことも決してあってはならない。改革をするためには、同学年女子、いや、男子達も含めた全員の協力と団結が必要なのだ。
私はルームメイトのさやかを思った。そして、スタディメイト達を思った。それから、武、ユタ、健太郎を思った。弥生や真美のような、普段はあまり関わりあうことの無い同学年女子達を思った。ついにはクラスメイト、つまりは同学年全員を思った。そして、きっと私たちなら上手くやっていけると確信した。
6、後夜祭、そして後片付け
島先輩がステージに上がる。すでに日が落ちて、校庭の空気は清涼感のある冷たさを含んでいた。島先輩がマイクを持つ。白い息が見える。
「お疲れ様です」低いけれど、はっきりと響く声で先輩は言う。
校庭にいた人達は、一斉に島先輩に注目した。拍手をする音、島先輩への掛け声。
「今年の文化祭も、最後まで、皆一緒に楽しみましょう!」そして、大きく息を吸う。
「後夜祭、スタート!!」
光と、音の洪水にステージが包まれる。校庭に集まった生徒達がいっせいに盛り上がりだした。ギター部や軽音楽部の演奏、チアリーディング部の演技、ダンス部のパフォーマンス、……後夜祭のプログラムは盛りだくさんだった。
○×ゲームの商品はアイポット。乗り気でなかった学生も、これには全員が参加した。校庭の真ん中をロープで仕切り、質問の答えが○だと思う人は右側へ、×だと思う人は左側へ移動させ、正解者を絞ってゆく。生徒も、先生も、父母達も一緒になってクイズに夢中になった。商品を手に入れたのは、中学生女子のお母さんだった。
後夜祭が派手な打ち上げ花火と共に幕を閉じた時、私の腕時計は7時を過ぎていた。
展示場になっていた教室には、いつものように机と椅子が並べられ、文化祭の跡は何一つ残らなかった。一つだけ、B5サイズに引き伸ばされたマラソン大会の写真が私の手元に残った。後夜祭が終わった後、慌しく片づけが始まった。教室にも、廊下にも、校庭にも、すでに文化祭らしきものは残されていない。明後日からは通常の授業が始まる。
この学校では、文化祭の次の日は休日だ。保護者の希望があれば、学生は保護者と今夜一緒のホテルに泊まれる。寮に帰らなくてもよいことになっている。
私の父は、明日から仕事があるので、早々と帰っていった。私は寮に残る。千絵と早苗は両親と共に近くのビジネスホテルに泊まるようだ。リカも母親と一緒に町のホテルへ泊りに行った。私は写真を手に持って、自習室へと帰った。