第七章 大芙蓉棚(二十三)
翌朝、梅乗が怒鳴る声で目がさめた。
新入りを叱りとばしているのとは違う、焦った声。
廊下では人が走る足音がきこえる。
どこもかしこも浮き足立っているような雰囲気だ。
「天君に見つかったのかな」
私は帯が緩まないように締め直す。
「いや、いくら天君でもここには来ないだろう。危険だ」
楊淵季は襟を整えながら顔をしかめた。
「危険?」
「ああ。ここは天君に恨みのある者が集まっている。しかも、技術に長けた飛華洞の道士が多いんだ。だいたい、飛華洞というのは今の天君に対して反感を抱いているからな」
困ったように鼻の頭を掻き、うつむく。
「鏡の犠牲になった道士が多いんだ。仲間が殺されては、忠誠心など持てないだろう。一人が殺され、それで天君を恨むようになる。そうすると、次の標的にされる。連鎖だ」
「でも、飛華洞といえば技術者集団だろ。そんな人たちを敵に回して大丈夫なのか」
「飛華洞で使われる費用は、銀斧洞という役所が管理している。あのやぐらの近くにあるのだがな。銀斧洞は龍鳳洞に属し、龍鳳洞を通さないことには金が出ない。金がなければいくら技術者でも研究は続けられない」
確かに役所と金は切り離せない。そう思った時、梅乗が朝食を運んできた。
違和感があった。
いつもより皿数が少ない。
それに、料理も野菜が焦げていたり、質が下がっている。
「今日は、私が作りまして」
梅乗が言い訳をした。
「なぜです」
淵季が抑えた声で問う。
「おかみが出かけております」
「でも料理人は」
「彼らも出かけています」
明らかに、おかしかった。
宿屋で料理がいつもどおり出せない状態に、おかみがするわけはなかった。
なりふり構わない状態になるのは、逃げるときだ。
やはり、龍鳳洞から役人が来たのではないのか。
楊淵季が私の帯をつかんだ。
ちらっと見遣ると、彼も視線でうなずく。
「何があったんですか」
淵季の声がほんの少し威圧感を帯びた。
「お二人はここでお休みください」
私の経験上、その手の言葉に甘えて良いことがあったことは一度もなかった。
内心舌打ちしながら、楊淵季の着物を引く。
楊淵季が応じるように、背中を軽く叩く。
「おまえは、残れ」
楊淵季が耳元でささやいた。
「おまえが、私と一緒に華都に帰ると約束できるならな」
私もささやき返す。我ながら嫌な手を使ったものだ、と思いながら。
楊淵季が舌打ちした。
「命の保証はできないぞ」
「おまえだって危ないんじゃなかったのか」
再び、楊淵季が舌打ちをする。
それから、一歩前に出た。
「何虎敬殿はどこです」
「いや、それは……」
梅乗がひるんだ。
その隙に梅乗に体当たりし、突き飛ばす。
私たちは部屋を飛び出した。
「逃げたぞ!」
怒鳴り声を背に浴びながら、階段を駆け下りる。
階段の脇を先に鸚鵡が下りていった。
途中で使用人が三人待ちかまえていた。
楊淵季がそのうち一人の胸倉をつかむ。
「何虎敬はどうした」
彼らは答えようとはしなかった。
それどころか逆につかみかかろうとする。
私は彼らを振り払い、楊淵季の腕を引いた。
が、何を考えたのか、突然、楊淵季は手の平を使用人たちに向かって突き出した。
「答えろ。俺が誰だか知っているのか! 道術を使うぞ」
途端、男の一人が顔を強張らせ、引きつった声を上げる。
「龍鳳洞だ。天君に呼ばれて出て行ったきり帰ってこない」
楊淵季が素早く身を翻し、階段を駆け下り始める。
私もあとをついて走った。
数段飛ばして降りているのに、なかなか追いつかない。
「まったく、何で出ていったんだ」
「何でって、何だよ、楊淵季」
舌打ちが聞こえた。
「彼が天君に捕まったら、殺されるに決まっている」
「どうして」
楊淵季が立ち止まり、こちらを見上げた。
「何虎敬は、前の天君の曾孫だ」
私も足をとめる。
何虎敬の面長な顔が浮かんだ。
上品な造りで、知性を感じる顔。
由緒の正しい顔だ。
「でも、殺さなくたって」
「ばかいえ。彼は人望がある。そして、確実に今の天君を恨んでいる」
「恨んでいる?」
ゆっくりと階段を降りて彼に追いつき、覗き込む。
彼は視線を逸らし、死者に線香をあげるように指を組んだ。
「前の天君は今の天君に殺された。鏡による遠隔殺人だ」
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これで第七章は終わり、次回から第八章です。
明日は、午前0時に第七章までのあらすじを、朝6時に第八章(一)、昼11時に第八章(二)を更新します。
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