表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/120

第七章 大芙蓉棚(二)

遺体を改める場面です。

グロっぽいものが苦手なものを避けていただけると嬉しいです。

次回、今回のさらっとしたあらすじを、前書きにつけます。

よろしくお願いします。

 やぐらに着くと、少年の声がした。

「いちばん上から落ちたんだ」

 声の感じからして、私たちより少し幼い。十四、五歳だろうか。

 首を伸ばすと、前方に人だかりが出来ているのが見えた。

 落ちたのか、とつぶやいて、楊淵季は顔をしかめる。

 私の袖を引いて、楊淵季は目配せする。

 私は一瞬立ち止まった。

 ふと、安朱あんしゅ(そん)(はく)(ぶん)と目配せした時のことを思い出す。

 だが、楊淵季の姿は、気忙しげな孫伯文よりも、ずっと大人びていて落ち着いていた。

「屈め」

 楊淵季が小さな声で言った。

 私は土に手を突く。

 かがんだまま人だかりに近づくと、楊淵季が振り返り、ある一団を指さした。

 顔を見ると、皆、目の色が茶色い。

 玄都人だ。

 周りに監視らしき迂峨過都人がいたが、騒ぎに気を取られているようだった。

 私はうなずき返し、静かに立ち上がると彼らの一団に混じる。


 人だかりの真ん中は大きく空いていた。

 一人の男が血だらけの着物のそばにしゃがんでいる。

 医者らしく、薬箱のようなものと、白い布が入った箱をかたわらに置いていた。

 しかし、何をするでもなく呆然と着物を見下ろしている。

 着物は何か包んであるかのようにふくらんでいた。

 血はあちこちに飛び散っている。

 中央に赤黒いかたまりが見えた。長い金色の髪がついている。

 ようやく、潰れた頭らしいと気づいて視線を逸らした。

 楊淵季が身を乗り出した。

「こうなると骨も砕けているからな。しかし、二重に服を着ていたのがよかったな。体はばらばらでも、一応、胴体の肉は着物の中に収まっているらしい。しかし、手足は飛んだようだ。あそこに見えているのは太股の骨だろう。服や、骨の大きさ、それに髪の色からして、武偉長であることは確かのようだ。それから、着物の背中が激しく破れている。刺された痕だろう。あっちは腕だ。ずいぶん飛んだものだ。ひどいな」

 私は聞いているだけで気分が悪くなってきた。視界も暗くなる。

 目を閉じてまぶたをもんでから顔を上げると、周りの商人が変な顔で楊淵季を眺めていた。

 意味もなく商人たちに向かって愛想笑いを振りまいていると、楊淵季が袖を引いた。

「あれは何だ」

 今度変なことを言ったら、人気のないところに引きずり出さなければならない。

 そう思いながら、ちらっと彼の指さす先を見る。

 土に青白い小さなものが転がっていた。どこかで見たことのある形だった。

 爪と、指だ。


 手の甲に圧迫感が蘇る。

 武偉長が握って振り回した時の、彼の指の感触だ。


 千切れた指先には、深紅の細い紐が小さなみみずのように巻きついている。

 不意に目の前が暗くなり、後ろに倒れかかった。

「おい、大丈夫か」背中を支えたのは楊淵季だった。「教えろ。指についているのは何だ。きっと、最初は手に握っていたのだろうが」

「紐だ。宝刀の飾り紐」

 私は冷たくなる目の奥を振り払うように深呼吸をする。

「どうしてそんなものが」

「だって刺されたあとで、宙に浮いていた宝刀を」

「宝刀は、どこにある」

 楊淵季が私の肩をつかむ。

「天君が持っているはずだ。飾り紐が引きちぎられたんだ」

 気持ち悪さは収まらなかった。

 鼻先で、武偉長の肉の匂いがするような気がした。

「紐の切り口がやけに綺麗だな。刃物で切ったみたいだ」

 楊淵季の声が聞こえたが、返事をしようにも、声が出ない。

 突然、脇に手を入れられた。そのまま勢いよく引きずられる。足を踏ん張って抵抗したが、かなわなかった。

 草が頬に当たり、青い匂いがする。

「しっかりしろ」

 襟をつかまれて、頬をはたかれた。

 数度叩かれて、ようやく目の奥が暖かくなってくる。

 視界がはっきりした。

「世話が焼ける」

 楊淵季が呆れた顔で覗き込んでいた。

「ごめん」

 小さな声で謝ると、彼は薄く笑い、少し休んでいろと言った。

 私はうなだれるようにうなずき、木にもたれる。

「おれが見た時には、老師(ろうし)がいたんだ。でも、なす術がなくて」

 先程の少年の声がした。

「違うだろ。李三(りさん)、おまえはあとから来たじゃないか。やぐらから武偉長殿が落ちるのが見えて、すぐに駆けつけたんだからこっちが先だ」

 別の男の声だ。

「待て、あんただって私より後じゃないか。私は通りを歩いていたんだ。そうしたら、武偉長殿が手すりを越えて落ちたんだよ。背中からは血が噴き出していた」

 また別の男が割り込んだ。

「刺されたのか」

「わかるかよ。下から見ていたんだぜ。でも、武偉長殿は誰かに詰め寄っている風だった。何だろうと思って見ていたらよ、急に姿が見えなくなった」

「何でだよ」

「知らねえよ。それで、ずっと見上げていたら、やっと見えた。その時は、もう手すりによりかかって落ちるところだ。助けるどころじゃねえよ」

 脳裏に鏡で見た様子を思い浮かべ、頭を振る。

 消えたのは刺された瞬間だろうか。宙に浮いた宝刀が、武偉長の背中を刺した時。

 私は、はっきり見ていた。

 あの女が宝刀を振り下ろす瞬間。

 そして、前のめりになった武偉長と、背中から吹き出す血。

 彼はその後、宝刀の飾り紐を奪い、落下した。

 男たちの話では、下からは見えなかったようだ。

 死角になっていたのだろうか。

 しかし、どうして龍鳳洞の部屋の中で、あの様子が見えたのだろう。

「おい、おまえら、散れ」

 太い声がした。

 龍鳳洞の門番だった。

 私は木陰に隠れ、息を殺す。

「武偉長は天君が仙鏡で倒された。よって、死体をここに置いて去れ」

 門番は槍を地面に立て、人々を見回す。

 威風堂々とした髭面が、賊の男のような圧迫感を与える。

「いつ、そんな触書が出た」

 遺体のそばにしゃがんでいた医者が、門番を見上げ、鋭い視線を投げる。

「半刻ほど前だ」

「出されたばかりじゃないか。公開処刑は一刻前には迂峨過都うおこと中に通知されるはずだ」

 医者は門番の前に回り込んだ。

 肘が軽く曲げられている。拳も握られていた。

 門番が槍の柄を斜めに持ち、医者の胸に当てた。

「出されたものは出されたのだ、何虎敬(かこけい)。見物人ならおるよ。欧陸洋という少年だ」

 草陰にいた楊淵季が私の袖を引いた。そっとうなずき返すと、彼は顔をしかめる。

「処刑者の葬式は(おこな)ってはならぬ。そういう決まりだ。死体を崖から下に捨てよ」

 門番が医者に槍を向けた。

「なぜ、武偉長は殺されたんだ。異形だからか。天君は、異形に来られては困るようなことをなさっているのか」

 途端、医者の体が飛んだ。見ると、槍が前に突き出されている。

 刺されたのかと思ったが、医者が先に飛び退いたらしい。段差を飛び降りた直後のように膝が軽くまがっていた。

「武偉長は異形ではない。……異形は、船で来る者だ」

「こんな山中に、船が到るとでも?」

「伝説ではな。ともかく、帰れ」

「せめて、遺体をつなぎ合わせたい」

「無駄だ。崖から捨てればまた、同じようになる」

 玄都で見た頭蓋骨を思い出す。

 あれは、迂峨過都の罪人のものだったのかも知れない。

 仙人の国で何らかの罪を得て処刑され、遺体を捨てられた者。

 視界がまた悪くなった。

 木にすがりつき体を支えると、見えない闇がまとわりついてきた。

「それでもだ」

 医者の低い声が辺りの空気を震わせた。

 私は、深呼吸をして目を開ける。

 明瞭とは言えない視界に、医者が腰に手を当て立っていた。

「すべてが無駄になろうとも、人の形にしたいのだ。武偉長は、人なのだから」

「今はもう人ではない」

「生きているから人なのではない。生きていようと死んでいようと、私が彼を思う限り、彼は人なのだ」

 門番はしばらく医者を眺めていたが、小さな虫でも吹き飛ばすように鼻を鳴らした。

「天君に呼び出されることになるかも知れないぞ」

「よかろう」

 二人は睨み合った。

「では、死体をつなぐことは許そう。葬儀は許さん。早く運べ」

「わかった」

 医者は深く頭を垂れた。

 門番がその脇をすりぬける。最後に槍をしならせ、人だかりを追い払うと、振り向きもせず龍鳳洞へと去って行った。その背中には、仕事に疲れた役人が酒場に向かうようなけだるさが漂っている。

 視線を戻すと、医者と少年が遺体のかけらを拾い集め、布に巻いていた。

 医者は落ち着いていたが、少年の指先は戸惑いがちだ。

「こんなふうになるなんて」

 少年がつぶやくと、医者がちらりと彼を見遣った。そしてまた、遺体を拾う。

「李三。もう、武偉長はどこにもいなくなったんだ。それを知るために、拾うんだ」

 私は耳を疑った。

 医者の言うことが、さっきの言葉と矛盾している。

 隣で人の気配がした。

 楊淵季だった。彼も眉を寄せ、耳を澄ましている。

「彼はもうどこにもいない。私たちはそれを知らなければならない。そして、脳のどこかに武偉長を作るのだ。綿密に確実に。彼がどう行動し、どう考えるか、まるで生きた彼が脳の中にいるように存在させるのだ。人は死んだだけでは済まないのだよ。失った者は、死者の人生を引き受けなければならない。武偉長の存在というものは、武偉長が死んだだけではなくならないのだ。おまえは良くわかっているだろうけれど」

 医者は諭すように話し続けた。

 少年は黙っていたが、不意に顔を上げて尋ねた。

「遠くにいる誰かを思うようなことですか」

「おまえ、ご両親のことをそんな風に思っているのか」

 医者は驚いたように顔を上げた。

 少年が、はっとしたように顔色をなくす。

 頬が赤くなってきたのか、顔全体が黒ずんで見えた。

 医者は、やれやれ、と老人めいた声でつぶやき、手をとめた。

「誰か好きな人でもできたか」

「違います、おれ」

 否定したものの、言葉が続かなかった。

 少年は立ち上がった。短い袴子の膝をはたくと、腰に手を当て、伸びをする。

「ちょっと、恨む人がいるだけ」

 そしてまたしゃがみ込むと、深刻な顔で遺体を拾い始めた。

「ああ」

 不意に医者が嘆くように天を仰いだ。

 医者は、手元に何かをつかんでいる。

 光を浴びて、少し光っているようだ。

「何ですか」

 少年が怪訝そうにのぞき込む。

「時計だよ。仙人石で時間を計る最新式のやつだ。正確なんだぞ」

「動いてるの?」

「いや。シンの刻を示してとまっている」

 それきり、二人は話をしなかった。

前書きの部分が入っておりませんでしたので、2月27日11時に改めて入れさせていただきました。申し訳ありませんでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ