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第五章 異形漂流(三)

 日がやけに痛い。

 その感覚で意識がはっきりした。

 目を大きく開けると汗が染みた。

 私は辺りを見回した。

 水の色がいつもと違っている。

 土気の多い河の色ではない。ひどく深い青色だ。

 陸は両岸にはなかった。

 右手にだけ陸が広がっている。

 船にあがり、ひりひり痛む腕を触る。

 腕には白い粉がついていた。なめると塩辛い。塩の粒らしい。

 はっとして、顔を上げる。

「海だ」

 陸のない方を見ると、何もなかった。

 ただ先の先まで水銀を思わせるようなうねりが続いている。

 波、だ。

 しばらく呆然と海を眺めていた。

 陸の東方に海があると聞いたことはあったが、見たのは初めてだった。

 広いのだろうとは思っていたが、このようなものとは知らなかった。

 波間に魚が飛び跳ねている。

 

 私は途方に暮れた。

 食料も水もなく海にいて、生き延びられるとは思えなかった。

 振り返ると、まだ、岸が見えた。

 私はうねる波を越えながら、陸に向かって船を漕いだ。

 

 岸では、若い男と子どもが、砂地に生えた植物の葉を摘んでいた。

 男は漁師なのか、よく日に焼け、肌が黒い。

 子どもは、三歳くらいの子だ。

 私は船を下り、近づいていく。

 こちらに気づくと、男は目を見張った。

 子どもが指をさして笑っている。

 私は、自分の体を見た。

 靴以外、何も身につけていなかった。

 裸だ。

 赤面してうつむくと、男の声がした。

「奴隷船から逃げてきたのか」

 それだけとは言い難かったが、うなずくしかなかった。

 すると、男は草を包んであったぼろを投げて寄越した。

 麻布らしい。

 礼をいい、体に巻き付ける。

 布の一部を切り裂いて帯代わりにし、布を腰でとめた。

 すぐに若い男は立ち上がり、場所を変えた。

 子供は怪訝そうに私を見ていたが、男に手を引かれて去っていく。

 あとは摘み損ねた植物が残っていた。

 それを拾うと腰ひもの間に押し込む。

 男はもう、こちらを見なかった。

 じっとうつむいて、葉をつんでいる。

 時折、子どもがこちらを見ようとすると、頭をおさえて止めていた。

 私を避けているのか、疑っているのか、わからなかった。

「ありがとう」

 自分にだけ聞えるような小さな声で言うと、私は船に乗り込んだ。

 腹は、ぐうぐう鳴っていた。

 さっきの葉を食べればいいのだが、気持ちが焦っていた。

 賊もいる、食事もままならない。

 こんな世界で長く生きられるはずもない。

 出来るだけ早く、少なくとも死なないうちに、仙人の国に辿り着かなければならない。


 賊の船に会わないように岸に近いところを進んでいく。

 早くどこかの街に着いて、玄安に行く船を探さなければならない。

 そこから玄都、そして、龍鳳洞だ。

 龍鳳洞に、天君と呼ばれたあの老人はいるだろうか。

 楊淵季も、だ。

 ふと、ひどく綺麗だった楊淵季ようえんきの顔を思い出す。

〝楊の家は関係ない。俺は養子だ。〟

 確か、そんなことを言っていた。気の強そうな男だから淋しさも不安も抑え込んで、老人を睨みつけて生きているかも知れない。……生きていれば。

 ――生きていて欲しい。

 溜息をつくと、腹が控えめに痛んだ。

 腰ひもの間にはさんだ草を口に含む。

 青臭くはなく、噛むと、塩の味がした。

 ほんのり甘みもあった。

 もう少し、この海藻を拾っておくのだった、と思った。

 

 その晩はずっと船をこぎ続けたが、街らしきものは見当たらなかった。

 毎晩のように月はのぼり、日に日に細くなって行く。

 来る晩も来る晩も漕ぎ続け、西へと河をさかのぼる。

 時に浅い睡眠をとり、目が覚めれば漕ぎ続ける。

 食事といえば、野いちごが、野草だけだった。

 ぼろをくくっている紐も、最初は一重だったのが二回巻いてようやく落ち着くようになった。

 すでに月は半月になっていた。

 月の中、河面で水を叩くような音がした。

 慌てて見遣ると、魚が数匹跳ねているのが見えた。

 だが、さばく刃物も焼く火もない。

「おまえ、命拾いしたな」

 魚は飛ぶのをやめ、水の中に消えた。

 魚の立てる波が、細く前方に伸びている。波の行く手を追うように顔を上げた。

 前方に、小さな明かりの集まりが見えた。

 街だった。

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