第五章 異形漂流(四)
その晩は葦の陰にひそみ、朝になるのを待って市場に出かける。
食べ物の屋台は、華都に引けを取らないくらいだった。
肉包はなく、蒸し米が中心だ。
肉ちまきを包んだ竹の皮の香りが、やけに甘く感じる。
しかし、買う金がなかった。何かもらおうと店に近づいても、一瞥されたあと追い払われるだけだ。
まずは身なりをどうにかしようと、布を扱っている老人を見つけ、古着を譲ってくれないか尋ねてみた。
あるにはあったが、ここでは古着も売り物らしい。
私は市場を離れて、岸に戻る。
目の前には、乗ってきた船があった。
ここから玄安、更に玄都へ行き、まだ河をさかのぼらなければならない。
仕方なく、河の水を両手にすくい、飲んでみる。
胃の中に重たいものが入るような感覚があった。
けれど、ちりちり痛むだけで、目眩がするような空腹はとまらない。
食べ物が、必要だ。
船に乗って街まで行くと、私は船を売りに出した。
若者を連れた老婆が一人、これでよければ、と言って、小銭をばらばらと船底に投げ入れた。それをかき集め、礼を言うと船を下りる。
銭を懐に入れ、こぼれないように手で押さえながら先程の布屋を訪れる。
いちばん安い麻の古着を買って、木陰で着替えると、こざっぱりした感じになった。
それから屋台に行き、残っていた金で肉ちまきを二つ食べる。
久々の肉だった。
肉ちまきは、米全体に肉と油の香りがついている。
肉も米もふんわりとして、口に入れるそばから、ほろほろと崩れていく。
砂糖もふんだんに使われているのだろう。
甘辛い中に、ふうと脳に抜けていくような快感がある。
味は濃いが、くどい、と感じる直前に、竹の香りがさわやかに鼻腔に流れ込む。
ああ、一生ここで食事をしていてもいい。
食べ終えて、ほうっと息をつく。
机を見ると、ちまきを包んであった竹の葉が荒っぽく引きちぎらていた。
まるで、獣が食いちぎったようだ。
信じられないが、私がやったものらしい。
行儀の悪さに我に返り、私は肩をすくめた。
「うまかったか」
隣にいた男が茶をよこした。「飲めよ、おごりだ」
お礼を言い、すすってみる。
華都とは違い、茶葉がやけに甘い。
だが、河の水ばかり飲んでいた喉には都会の味に感じる。
「ずいぶん痩せているな」
男が新たに頼んだ茶を飲みながら、私を覗き込んだ。
「賊に襲われたんです」
「へえ。よく助かったな。旅の途中か?」
「……はい。とりあえず、玄安に行きたいんです」
「玄安? ここには貿易の船は来ないぞ。第一、運河からずいぶん離れているからな」
「運河から離れている?」
「そうだ」
「本当ですか?」
「そうだよ」
私は呆然とした。
このまま西へ漕いで行っても、玄都はおろか、玄安にさえ辿り着けなかった、ということだ。
「そう落ち込むな。こちらから船を出す奴はいる。材木屋がよく木を売りに行くから、訪ねてみな。船着き場のいちばん奥にいるから。さ、もう一杯、飲めよ」
茶碗に手を伸ばしかけ、不意に警戒心がわいた。
初対面の男に、茶をおごる。それも二杯も。
華都でも、茶は父が飲みたいときとか、客人があるときとか、特別なときにしか飲まない。普段は、水か白湯だ。
やけに親切な男だ。いや、親切すぎる。
私は、曖昧な笑みを浮かべながら、男の様子を探る。
役人のような堅苦しさはどこにもない。
かといって、周家のような商家の者のような、ちょっと物のいい着物を着ているわけでもない。
なぜだろうと疑っていると、男の手が私の腰に伸びた。
「玄安なんかより、こちらはどうだ」
慌てて椅子をずらす。
男はにやついていた。
この目つきをどこかで見たことがある。
華都の繁華街だ。
妓女に囲まれた大人と同じような目つき。
まさか、この男。
手は着物の帯をほどこうとしていた。
私は確信する。
龍陽――男好きだ。
「お茶をどうもありがとうございました」
言いながら男の手を押し戻し、席を立つ。
私は足早に市場を抜けた。
船着き場まで来たところで振り返り、男がついてきていないのを確かめると、ため息をついた。
どうも、私はぼんやりしている。もっと相手を見なければ。
太陽に向かって伸びをし、深呼吸をすると船着き場を奥へと進む。
小屋の前に一際大きな桟橋があり、男たちが丸太を船に運んでいた。
船は帆船だった。
上で指示をだしている若い男がいた。三十歳くらいだろうか。商人風の絹の着物を着ている。
その男のそばにいた麻の服を着た老人に、手伝うから玄安まで連れていってくれ、と頼んでみた。すると、老人は絹を着た男に伝えた。
彼は私を振り返り、迷惑そうに睨んだ。
「働くだと」
頭の先から汚れた靴まで眺めると、顎で丸太を示す。運んでみろ、ということらしい。
丸太は一抱えもあった。腹に力を入れ、肩に乗せる。
一応は持ち上がったが、丸太が長すぎて安定しない。しかも、腰にずっしり重みがのしかかる。
「腰があかん」
若い男は老人に視線を遣り、教えてやれ、と言った。老人が私の前で、こう屈んで、持ち上げる、と屈伸してみせる。その通りにすると、腰の違和感がとれた。
「見込みはあるから、玄安までに練習しておけ。名は」
思わず本名を告げようとしてやめ、以前、「山麓」にいた学生の名を名乗った。
「桓淳です」
名を借りた相手は、あまりそりの合わない学生だった。彼も「山麓」に合わなかったらしく、じきに家庭教師をつけたと言って、来なくなった。
「桓淳だな。取り敢えず、みんなに茶を配れ」
「はい」
男について船に乗る。
甲板へと上っていきながら、私は呆れていた。
何をしているのだろう。
華都にいた頃は、たとえ気に入らない学生であっても、その名を騙るなどということは思いつきもしなかった。
ふと、桓淳のことを思う。それなりに金のある、ちゃらちゃらした男だったが、今はどうしているだろう。役人はあきらめて、商人にでもなることにしただろうか。
実際、初めて会った日の夕方に肩をぽんぽんと叩いて、「僕らもう、親友だね」などと言っていたから、あの人なつっこさなら、商人のほうが向いている気がする。
船の上ではすでに湯が沸いていた。
「さっさと注げ」
言われるままに、茶をつぎつぎ湯呑みにそそぎ、男たちに配る。
船の端で丸太に腰掛けているものもいれば、丸太の上に乗って積み直している者もいた。桟橋から丸太を運ぶ途中の少年もいた。
全員に茶を配り終えると、今度は丸太同士を縄でしばるように言われた。
力任せに丸太を押さえ、ぐるぐると縄を巻く。
「だめだ」
さっきの老人がやってきて、丸太を蹴った。
結んだ縄は、あっけなく緩んでしまう。
「縄の結び方、知らないのかよ」
一緒に丸太を押さえていた少年が呆れた顔で言った。そして、さっきの茶は少し薄かった、と文句を言った。




