第四章 郷愁別離(二)
水の音が、岩にこだましていた。
上から水が滴ってくる。
天井はいよいよ低くなっているようだ。
私はなす術もなく膝を抱え、顔を伏せた。
どうしてこのようなところに来てしまったのだろう。
乗り慣れていない船を、自分の手で奪って暗黒の河に漕ぎ出すなど。
確かに私は老人を探す道を選んだ。
しかし、闇の中で河に流されるなどということは望んでいない。
そもそも、私はどうしてこのようになってしまったのだろう。
本来なら、「山麓」で学び続けて、官吏登用試験を受けるはずだった。
それが、「山麓」の学長殺人の犯人として追われる身になった。
考えてみれば、急に世界が失われたのだ。
でも、本当にそうだろうか。
顔を上げると岩の匂いがした。苦く、固く、水っぽい匂いだ。
最初から、私は闇の中にいたのではないだろうか。
試験を受けて、官僚になる。その先、どのような部署で何をさせられるのかもわからないのに、ただ、落ちても落ちても受け続ける。
官僚になれば良いことがある。
それだけ心に念じて。
一体、良いことが何なのか、どんな種類の幸福なのか、まったくわからないままに受験勉強ばかり進めている。
地方には、官吏登用試験に挑み続けて、ついに老いぼれ亡くなった者もいるという。
華都では、一度受けて合格しなかったために、運河に身を投げた者もいる。
大人の男たちがそこまでして求めたものは何だったのだろう。
安心だろうか。
いや、そうではない。
問題を抱えない役人など、我が国にはいないだろう。
上司や部下とのつきあい、避けがたい失敗、左遷。
役人の悩みは、役人になった瞬間から始まると思った方がいい。
私は目を開けていなかっただけなのだ。
父や兄の悩みを間近で見聞しながら、それが自分の身に降りかかることなど考えずにいた。
ただ、彼らを尊敬という衣で覆って、憧れるべき別世界の住人だと思っていた。
そして、まだ受験もしていない自分だけが次元が低く、劣っているのだと思いこんだ。
自分に対してだけ、いつも目を閉じていたのだ。
結局、そのまま「山麓」にいたところで私の道は知れている。
合格するか、落第するか、出世するか、下級役人に甘んじるか。
ならば、今がどれだけの苦しみだろう。
老人を探すしか道はない。その道は暗黒だ。しかし、元から私の生きてきた道は、先の先まで暗黒だったのだ。今と、そう変わりはない。
私は闇に目を凝らした。
行く手はまったく見えなかった。
河の流れはいよいよ激しくなり、船は時折岩にあたる。
あたらないように櫂を入れようにも、闇ではどこが岩だかわからない。
照らす炎もない。
この河は、地中のより深いところに潜っているのだろうか。
それとも「山麓」の地下で湧いた水が逃げ場を求めて流れているのか。
船がまた岩にあたった。
木がきしみ、割れるような音がした。
誰も何も言わなかった。不意に膝に足があたった。
仲興らしい。船に横たわったようだ。こうなったら寝てしまえ、ということだろう。
やがて、伯文や程適も横たわった。私もそうしようかと思ったが、やはり、闇に目を凝らす。
何か見えると思ったわけではない。
ただ、もう闇の中で目を閉じるようなことはしたくなかった。




