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第三章 華都脱出(七)

「大きな鏡があるとすれば、隣の部屋の出来事を鏡で見ることは可能で、私たちが座っていた位置は、隣の部屋が見える席だったと」

 私は頭の中を整理しながら、ゆっくり話す。

「そういうことだ。そして、あの時、学生たちは俺たちの周りに集まっていた」

 伯文が静かに目を閉じる。

 昨日の様子が、脳裏によみがえった。

 あの時、私は「学長だ」と言った。そう言われたら、本当に見えるのか確かめてみたくなるのは、学生たちの心理だろう。

「じゃあ、一人でも窓際や廊下側の席に残っていたら、何かがわかったと?」

「それはどうだろう。そもそも、露店が吹き飛ばされた事件で、学生の数も少なかったからな。それも、あの老人の計算の内だったかもしれん。鏡のことだって、あらゆる角度を考えてみただろうからな。決して映らない位置に仕掛けをしていただろう」

「でも、わざわざ鏡を使わなくたって」

「理由があったのだろう。それから、学長の首が絞められた件だが」

「それも、仕掛けだと?」

「そうだな。学長は私たちが見た時は、何らかの方法で演技をしていた」

「学長はそんなことしていなかった。演技であんな顔色にならないよ」

「ああ、そうだ。でも、学長は、なぜ、あなたがここにいらっしゃるのです、と言った」

 伯文が学長の声色を真似て言った。私も、明確に学長の言葉を思い出す。

「それは、確認したんだ。学長以外誰もいなかった」

「じゃあ、なぜあんなことを言ったのだろう」

「わからない。でも、誰もいなかったし、仕掛けらしいものもなかった」

「それが問題なのだ」

 伯文が顔をしかめた。

「私が嘘をついていると思っているんだね」

「いや。だが、役人や詩の先生は、私たちではない。仙人が犯人だなんて考えるよりも、おまえを疑った方が楽なのだ」

 確かに、その通りだった。

 遠方に旅をした人の中には、実際、不思議な術を使う仙人に会った者もいるという。

 だから、仙人はいると信じられている。

 以前にあった大帝国ほどではないにしろ、今の王朝も仙人たちには寛容だ。たぶん、道端で仙人が羊に変化しても、庶民も官僚も、おお凄い、程度で済んでしまうだろう。

 しかし、殺人事件となると違う。少なくとも役人たちは、仙人が犯人だという確たる証拠がなければ、道術であると結論づけることはしない。

「廊下に鏡が置いてあったあとは?」

「見たがわからなかった」

「鏡があったら光ってわかるんじゃないか」

「仙人の鏡は私たちの頭上に掲げられていた。あの位置で自習室が映るとなると、廊下に鏡があったとして、我々の目線では立っても座っても、廊下の壁が映るだけだ。気づかん」

「だから、煙か」

「ああ」

 伯文がうなずく。

 事件後、もしかすると、私たちは全員、廊下に飛び出していたかも知れない。だが、煙が廊下から入ってきたために、皆、窓から外に出た。私と楊淵季は廊下に出たが、煙の中では人の気配を探るのがやっとだ。

「爆発も、鏡を壊すためか」

「そうだ、陸洋」

 頭が混乱していた。

 仙人の術でなければ、すべての出来事を貫き通す一つの理論があるはずだ。

 考えろ、と自分を励ましてみるが、思考はすぐ行き詰まった。

「でも、学長がどうやって首を絞められたのか、説明はできない」

 私は額を押さえた。

「そこなのだ。今わかっていることだけでは、だめだ。まだ、あの老人が自分で言ったように、仙人であって、実際ではあり得ぬような術を使って殺した、としか、考えられん。残念だがな」

 私たちはそろってため息をつく。

「何が残念なんだよ。仙人の犯行じゃなくてなんなんだよ」

 しばらく黙っていた仲興が、不満そうに言った。

「仙人か」

 伯文が天を仰いだ。まるで戦乱にあった詩人が、都を思って風景を眺めるような顔だ。

「何だよ」

 仲興が眉を寄せる。

「気になるのだよ、どうして隣の部屋だったのだろうと思ってな」

「そんなの、手を触れずに殺せると言いたかったからじゃないのかよ」

 それはそうだが、とつぶやき、何を言って良いのかわからない、というように視線を左右に振った。

「いや、な。それならば、堂の前と後ろでもよいような気がしてな。鏡にも映りやすいと思わないか」

「同じ堂にいたなら鏡に映す必要もないだろ。鏡の力を誇示するには、別の部屋で殺人が起こった方が衝撃を与えられる」

 呆れたように仲興が腰に手を当てた。

「しかし、実際、もう一枚鏡を用意しておけば映るとわかったではないか」

「その場では俺たち全員が驚いたじゃないか」

 ああ、とうなり、忙しげに瞬きをすると、伯文は役人のように袖の中で腕を組んだ。

「それは、そうなのだ。しかし、そんな小さな細工を、仙人がするものかと思ってな」

「だって、同じ部屋にいたら、俺たちのだれかが止めたかも知れないだろ」

「私たちごときで止められるようなものを、道術というだろうか」

「知るかよ。きっと、道術にも種類があって」

「それはともかく。手を触れずに殺すことができるのなら、何も鏡に映さなくても我々は驚くだろう。くだらない仕掛けを詮索されるような鏡を使わない方が、或いは驚くかも知れない」

「派手じゃないだろ、そんなの」

 もどかしそうに仲興が土を蹴った。

 伯文の言いたいことはわかる。

 わざわざ、私たちのいない部屋で学長を殺したのは、私たちに直接見られるとからくりがわかってしまうものがあったのではないか、ということだろう。

 鏡だけではない。

 冷静に考えれば、まだわからないことがある。

 本物の仙人であれば、どうして華都までやってきて楊淵季の宿を襲ったり、学長を殺さなければならなかったのか。

 楊淵季がさらわれたことからして、老人の目的が彼だったことは明らかだ。それならば、宿にいる楊淵季を道術で連れ去れば済むことだろう。わざわざ宿を探して襲撃し、あげくに逃げられるなど、やりかたがまどろっこしい。

 学長に罪があると言っていたから、そちらも目的だったのだろうか。じゃあなぜ、これまで学長を放置しておいたのか。学長一人、すぐには探し出せないような仙人なのか。

 第一、仙人のような人を超えた力を持つ者が首を絞めるだろうか。


 すうっと、頭が冷えていくのが感じられた。


 今は、まだわからない。わからない、が。

 あの老人が全くあとが残らず、しかも私たちが駆け込む前か、後からでも気づかれずに回収出来る仕掛けを用意していたとしよう。

 では、わざわざ仙人だと名乗る理由は何だ? それは。


「わかったか、陸洋」

 伯文が尋ねた。

 私はうなずく。

「え? 何だよ、陸洋」

 仲興が戸惑ったように私をのぞき込んだ。

 私は視線をそらす。

「ええとね。だからさ。本当は、あの人は仙人ではないかも知れないと思って」

「は」

 鋭い声で仲興が聞き返した。

「もし、毒殺だったら、と思ったんだ。首を絞められたように見えたのは、演技で」

「さっき、演技であんな顔色にならないって言ったのはだれだよ」

「わかっている。不可思議だ。でも、あれだけ派手な行動をする必要があったのかと思って。もし、あの人が仙人じゃなかったら」

「仙人に決まっているだろ。仙人は不可思議な力を操れるんだ」

「もちろん、仙人自体を否定する気はないんだ」

「否定もくそもあるか。何のために道教の寺がある」

「でも、巷にそうそう、あんなに破壊的な仙人が現れるだろうか」

「昨日、目の前で見ただろ?」

「私も、仙人だと思い込んでいた。でも、鏡のこととか、道術ではなくて説明できることはある」

 目の前で、仲興が私を見つめていた。

 私は、すうと息を吸った。

 それから言う。

「今回のことは、少なくとも、一つは仕掛けがあることがわかった。だったら、仙人がしたと考えるよりも、そうでない人が他にも仕掛けを使って殺した可能性はないかってことから考えていきたいんだ」

 すると、伯文が隣で手を上げた。

「私も、言いたいことは同じだ。学長を絞め殺したのだって、仕掛けがあるかも知れん」

「おまえら、目の前で見た道術も、理屈で分解しようっていうのか。それって」

 仲興は一瞬、子供の悪戯が想像を超えた時の母親の顔をする。

「それって……心の底では仙人を信じてないことにならないか」

 ごくり、と仲興がつばを飲み込んだ。

 そういうことではない、と言い返そうとして、本当にそうなのか、わからなくなった。仙人はいるとされている。ただ、今の私は、あの老人が仙人ではない証拠を探そうとしているようなものだ。

「私の言いたいことは、こういうことだ。皆、仙人の存在を信じている。仙人であれば、不思議なことをしても許される。そういう風潮がある以上、仙人を装う人がいるかも知れない」

 仲興は眉間をもみながら私の言葉を聞いていたが、こうつぶやいた。

「おまえら、役人の息子だったな。ひとまとめにするわけじゃないけどさ」

 返す言葉もなく、私と伯文は目配せをした。

 試験に必要な学問では、怪奇現象を学ばない。

 今の王朝では、学問を経て役人になった者たちが多い。博識を誇る役人たちは、勉強ができるという自負心が強く、不思議なものを積極的に信仰したり、語ったりはしない。

 つまり、怪奇現象を処理する思考回路はないのだ。

 役人を親に持つ子どもが、仙人や道術について多少疑り深くなっても、仕方がない。

「聞かなかったか、仲興。学長は、どうしてここにいるのか、というようなことを言っていた。だが、誰もいなかった」

「だから、いたとしたら仙人だよ。あらゆる方法が不可能なら、それしかないだろう。俺たちが鏡で学長を見ていたように、学長にも仙人が見えていた」

「どうやって」

「わからない。でも、誰もいなかったんだから、仙人の仕業だと思うのが妥当だろ」

「そうは言ってもなあ。学長がそんなことを言った限りは、誰かがいなければならない。私たちは何かを見落としているのだ」

「仙人くらい信じろよ! この世には不思議なことがたくさんあるんだよ!」

 伯文は困ったように私を見た。私も同じ視線を返す。

 そもそも、仙人を疑うきっかけをくれたのは仲興だ。仙人の鏡に隣室を映す方法に気づいたのだから。

 仲興は、頭の回転のはやい男だ。

 だからこそ、説得は難しそうだった。

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