第二章 仙鏡宿鬼(三)
火薬が何でできているものか、私にはわからない。楊淵季も学長も黙り込んでしまったし、詩の先生も、私塾「山麓」に駆けつけたほかの先生方も、いったいなぜこんなことになったのか、説明できないでいた。
ただ、どんなものかはわかった。
通りにあった三つの露店が吹っ飛んでいて、そばにいた客や店主の姿はなくなっている。店に面していた「山麓」の塀は汚れ、辺りには苦いような、焦げた匂いが充満していた。
自分の子弟を心配した家族が、次々と「山麓」に迎えをよこした。我が家からは使用人の厳がやってきて、私を見るなり抱きしめて大声で泣いた。六十歳に近い男が泣く姿は少し異様だった。でも、異様だと思いながらも安心する。それから、胸が苦しくなった。
けっきょく、安心の種類は二つに限られる。
自分が非難を受けない他の人と同じ存在であるか、あるいは、自分が不幸な人とは違った存在であるか。
前者は階級意識を生み、後者も人との間に壁を作る。
伯文や仲興にも迎えが来た。しかし、楊淵季のところへはだれも来ない。
塾の門を出る時に振り返ると、楊淵季が学長と一緒に奥に入っていくのが見えた。
楊淵季は、うなだれているようにも見えた。
「ぼっちゃま、大変でしたなあ」
厳が言った。
「私は、大変な目には遭っていないよ」
「いいえ、大変でした。ほんとうに」
私は黙った。厳はまた、「大変でしたなあ」と言った。私の返事を待っているそぶりはない。ただ、気に病むな、ゆっくり休めと言いたいのかもしれなかった。
家に帰ると、厳は茶と炒った豆を持ってきた。
「ぼっちゃま、お手合わせ願えますか」
下手な笑顔で、碁盤を指さしている。
私は一局指して、良くも悪くもない勝負をした。
それから、一人になりたいからと言って、厳を部屋の外に出した。
楊淵季はどうしているだろう。
私は火薬のような威力を持つ武器を、これまで見たことがない。人々が、仙人がやったというのも、わからなくはなかった。
ただ、昨日の店のことといい、今日のことといい、楊淵季を狙ったことは、間違いがなさそうだ。
横になってはみたが、眠気は襲ってこなかった。
背中にかゆみを覚える。体にはまだ、楊淵季の震えの感触が残っていた。
夕飯を食べ終えると、私は厳の目を盗んで抜け出し、「山麓」に向かう。
通りには、露店が一つも出ていなかった。いつもの賑やかさが嘘のようだ。
「山麓」の門を入る。門の側には桃の木があった。月明かりの中で見上げると、いびつな枝が尽きだしているのが見えた。火薬のせいで、引きちぎられたのだろう。
私は桃の木に一礼し、学長室の窓の下に行く。
学長室には明かりが灯っていた。
「欧家に行きなさい」
学長の声がした。
「ここも、もう危険だ。大臣の家となれば、容易に手出しはできないはずだから」
学長の声は、強張っている。
「いやです」
楊淵季の反応は早かった。
「気を遣うことはない。欧陸洋に会っただろう。あの子は、君を迎え入れてくれる。ぼんやりしているように見えるかもしれないが、面倒見のいい子だよ」
「私は彼が嫌いなんです」
間があった。
中で睨み合っている――ように感じた。
沈黙を破ったのは、楊淵季だった。
「郊外の空き家を一つ紹介してください。私は、一人で大丈夫です」
だが、彼の声は震えていた。
私は小さく舌打ちして、窓を見上げる。
火薬をまき散らす老人に狙われて、怖くないはずがない。
でも、飛び出していって、一緒に家に帰ろうと言うことはできなかった。
私も、火薬で家が吹き飛ばされるのは、怖かった。
忍び足で「山麓」を出る。
家に帰ると、明かりの消えた自分の部屋で、体を丸めて眠った。




