夢、そしてアメノチハレ。
くぁ、とあくびが漏れる。
寝転がっていたソファから起き上がると、時間を確認する。十時一分、朝と昼の間ほどの時間帯であった。寝ていたか、と頭を振って眠気を飛ばす。彼がソファから足を下ろすと、おはよう、と男の声が聞こえた。
「どのくらい寝てた?」
「だいたい三時間ぐらいかな? 追手は無し、撒けたんじゃないかな」
そうか、と言って、彼はリュックを降ろした。それからガチャリ、ガチャリと音を立てて、机の上に道具を並べていく。
壊れている道具があれば捨てていくつもりだったが、幸い、使えない程破損している物は少ない。魔術用の触媒がいくらかと、携帯食料が残り三日分ほど、銃弾と銃器は心許ない程度か。それを見て、彼は眉間に皺を寄せた。
「補給が無いとそうはもたんな。ここも引き払おう、日本支部は遠いが、まあ夜通し歩けばつくだろう」
「……まったく、君も懲りないよね」
彼が声のほうを見ると、小太りの眼鏡をかけた男が、床に座って魔術触媒を磨いていた。
「何が言いたい?」
「よくもまあ、巻き込まれた子供一人のために、ここまで苦労するよねって話さ。まったく面倒な夢を抱え込んだもんだ」
そういって、男は魔術の触媒をポケットに突っ込む。男の名は黒森栄治――"土塊"の魔術師と呼ばれる、彼の幼馴染であった。
「僕を巻き込んで天の盾に所属した時も思ったよ。ま、腐れ縁だと諦めてるけど」
「すまんな」
「良いさ。……"取りこぼさない"って決めたんだろう?」
栄治はそう言って眼鏡の位置を直す。その顔に浮かんでいるのは、呆れ、諦め――そして僅かな憧れだった。
栄治は彼の理想に協力し手を貸すが、彼の理想に賛同したことは一度も無い。なぜならそれは、酷く長い茨の道だからだ。
「おう。生きてる限り歩き続けると……手を伸ばし続けると決めてる」
――手の届く限り、人を救う。それが彼の夢で、理想だった。単純で、愚直で、そして言うまでも無く困難な願いだ。
現代世界の裏で魔術が飛び交い、魑魅魍魎が跋扈し、幾度も地球が割れそうになるような世界で、その理想はほぼ不可能に等しい。
だが、彼はそう決めたし、そうしてきた。歩き続ける事だけはやめないと、かつて死した少女に、そう誓ったのだ。それが重荷であろうと、抱え続けると。
「まったく馬鹿だな、君は」
「今更な話だろ。さっさと行くぞ」
そう言って彼は、窓から差し込んでくる日の光に、手をかざす。日光を受けて、作り物たる銀の腕がギラリと輝いた。
――丁度、雨も止んだらしい。"天の盾"を掲げるには良い日だ。
"鉄腕の魔術師"たるクロムは、そう言って立ち上がる。栄治もまた同様に立つと、二人は並んで廃ビルを出て行った。"少しでもマシな世界"を掴み取る為に。
これにて短編集"アメノチハレ"、完結とさせていただきます。
毎日更新を詠っておきながら何度も隔日更新になってしまい、申し訳ありませんでした。
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