第二時限「難波宮から近江大津宮までとその後」
お久しぶりです。何とか試験も終わりました
今回は読みづらいかもしれません。久しぶりに書くので><;
それでは一度挫折した難波宮から…どうぞ
ちなみに難波宮は大化の改新(645年)で出来ました。なので白鳳時代と呼ばれるあたりの話です。
「それでは難波宮は今の何県にあったでしょう?」
さっそく秋津島の笑顔と共に質問から始まる。
「大阪府?」
「疑問詞はいりませんが、正解です。それでは近江大津宮は?」
近江?最近どこかで聞いたな…と少し考え込み、あ!と思いだしたように言った。
「滋賀県!」
「正解です。今日は冴えてますね」
「今日は、は余計じゃない?」と頬を膨らませながら返すが、例の笑顔でスルーされてしまった。
秋津島は教科書を開き、改めて私に向き直る。
「それでは今日の本題にいきましょう。今日は難波宮から近江大津宮に遷都した理由を説明します」
頷いて、私も教科書を開く。そこには聞きなれた「大化(の)改新」の文字があった。そこで秋津島が説明を始める。
「あなたが大化の改新として習い、見慣れてきた絵があるでしょう?」
「あ、あの蘇我氏が襲われてる?」
「そうです。あれは正確には『乙巳の変』と言うのです。
そして乙巳の変から始まる、孝徳天皇による諸改革を『大化(の)改新』と言います」
そうなのか、と驚きを隠せない。何せ今までの私にとって「蘇我氏が襲われている図」イコール「大化の改新」だったのだから。そう思っているうちに秋津島は続きを説明し始める。
「その後即位した斉明天皇は、都を一度飛鳥へ戻します。
同じ頃の朝鮮半島では国同士の争いが起こっていました。そこに日本も関わったのです。
教科書を読んでみてください」
「ええと…『倭は旧百済勢力による百済復興を支援するため大軍を派遣したが、
663年に白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した』」
「そこにあるように日本はすぐ近くの国に負けました。あなたならどう思います?」
「すぐ近くの国に負ける…ってことは敵として戦った自分たちも、攻められたら危ない!」
「そう。当時の権力者も同じことを思ったのでしょう。国防強化策として
天智天皇による近江大津宮への遷都に加え、日本海側沿岸あたりに水城や朝鮮式山城が築かれました」
これが大まかな流れです、と秋津島はパタンと教科書を閉じた。
「あれ、これで終わり…?」
どう考えても短い授業時間に首をかしげるが、秋津島は「いいえ」と言って黒板に図を書き始めた。
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| 唐 |
|_______________|
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| 高句麗 |
|_________|
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|百済 |新羅 |
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|____|____|
「これは朝鮮半島の国の位置です。覚えておくといいですよ。そして白村江の戦いでは『日本・百済』対『新羅・唐』が戦ったのです」
メモメモ…と思ってノートのわきに図を書く。そうしているうちに秋津島は再び教科書を開いた。
「さて、忘れるところでした。その後も重要な事柄があるんですよ」
「重要な事柄?」
「はい。天智天皇は近江大津宮で『近江令』を制定しました。これが律令体制の始まりです」
そう言いながら黒板に何かを書いた。
律…刑法
令…行政法
「この後も天武天皇・持統天皇による『飛鳥浄御原令』や、有名な『大宝律令』などが出ています」
「あれ、どうして飛鳥浄御原令は二人なの?」
「良いところに気が付きました。制定は天武天皇なのですが、施行したのは持統天皇だからです。二人は夫婦だったんですよ」
「へぇ…」
感心していると、秋津島は笑顔で「それでは今日のまとめをしてみてください」と告げた。
―――白村江の戦いに負けたため、天智天皇は難波宮から近江大津宮に遷都。そこでは最初の律令である近江令が制定された。
「大丈夫そうですね。今日はこれで終わりです」
書けない…
読みづらい文章で申し訳ありません
間違いの指摘などありましたら、遠慮なくお願いします。
次回は…未定です