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ep.7 隊長不在につき

 ここ数日、空はすっきりしなかった。今朝も細い雨が降ったり止んだりしている。


 隊舎の前に、見慣れない男が立っていた。


 両手に木箱を抱えている。リディアが近づくと、男の方から声をかけてきた。


「特別遊撃隊の方ですか?」


「はい」


「ああ、よかった。これを頼まれまして」


 差し出された箱の中で、瓶が小さく鳴った。


「この前の倉庫の件のお礼だそうです。皆さんで、と」


「ありがとうございます」


 箱を受け取ると、男は頭を下げて街の方へ消えていった。


「おはようございます」


 隊舎へ入ると、いくつか返事が返ってくる。


「それ、何?」


 ノエルがリディアの持つ箱を見ていた。


「先日の村からです。倉庫の件のお礼だそうですよ」


 机に置いて蓋を開けると、中には牛乳の瓶が十二本、三列に並んでいた。


「……あの子のかな。よく乳が出るって言ってたよね」


 リディアは送り状を確かめ、受領記録を一枚取り出した。


 ノエルは一本持ち上げる。


「飲んでいい?」


「どうぞ。受領記録は私が付けておきます」


 栓を抜く音に、書類を読んでいたレオンも顔を上げた。


「俺も一本もらおう」


 ブルーノも箱から一本取り、リディアも自分の分を取った。


 ノエルがセラを見る。


「セラは?」


「私はちょっと……」


「あれ? 苦手だっけ」


「はい。お腹が……」


「ああ」


 ノエルはそれ以上すすめず、自分の瓶に口をつけた。残った牛乳は冷水に浸けておく。


 リディアは牛乳を飲みながら受領記録を埋め、今日の予定表を開いた。


「隊長、今日は午後から軍務会議では?」


 レオンの手が止まった。


「……そうだった!」


 残っていた牛乳を一気に飲み干す。


 ノエルは瓶を口元に当てたまま、横目でレオンを見た。


「忘れてた?」


「忘れてない。今思い出しただけだ」


「それ、忘れてたって言うんじゃない?」


 レオンは予定表を引き寄せた。リディアは会議に持っていく書類を選び、まとめて机の端へ置く。


「こちらもお願いします」


「ああ、助かる」


 書類を確認していたレオンが顔を上げた。


「そういえば、俺がいない時に出動要請が来たらどうしてるんだ?」


「急ぎの出動要請であれば、当直指揮官に回します。本日はブルーノさんです。出動の可否と編成を判断します」


「なるほど。じゃあ安心して会議に行けるな」


「出動要請がないことを願ってますよ」


 ブルーノが笑った。


        ◇


 午後になる少し前、レオンは書類を抱えて立ち上がった。


「じゃあ、行ってくる。ブルーノ、頼む」


「はい、お任せを!」


 レオンが隊舎を出てから、ほどなくしてニールが戻ってきた。

 特別遊撃隊の結界士で、災害対応に駆り出されることも多い。


「戻りましたー。いやあ、長かった」


 書類の束を抱えたままリディアの机まで来る。


「災害対策会議の資料です。こっちが議事録」


「お疲れ様でした。受け取ります」


「今年は山の方で、雨の降り方にばらつきがあるみたいですよ。こっちは降ったり止んだりですけど、向こうじゃ朝からずっと降ってるとか」


「街道にも影響が出そうですね」


「その話も出ました。橋と崖はしばらく気をつけた方がいいだろうって」


 ニールは資料を渡すと、自分の机へ向かいかけた。


「そういえば、さっき隊長とすれ違いましたよ?」


「軍務会議です」


「ああ、今日でしたっけ」


 ニールは自分の机へ戻り、椅子に腰を下ろした。


「牛乳あるよ」


 ノエルが冷水の方を指した。


「この前の村から。例の牛かもしれないよ」


「例の牛?」


「倉庫荒らし」


「牛が?」


「自分で扉開けてた」


「何それ、見たかった」


「隊長、泥だらけになってたよ」


「もっと見たかった」


 ブルーノが笑った。


「本人には言わない方がいいですよ」


「もちろん」


 ニールは冷水から一本取り、栓を抜いた。


「うまい」


        ◇


 午後に入ってしばらくした頃、出動要請が一通届いた。


 西街道沿いの川で水量が増している。上流の山間部では朝からまとまった雨が降っており、その影響らしい。


 橋脚には大きな流木が引っかかっていた。現場には衛兵と作業員が集まっており、人手は足りている。問題は、このまま水位が上がる可能性があることだった。今、撤去に入っていいものか判断しかねているという。


 現場を確認してほしい。


 そこまで読んで、リディアは書面をブルーノへ渡した。


「……来てしまいましたか」


 ブルーノは苦笑して、書面に目を落とした。


「セラ、地図を頼みます。まずは周辺を確認します」


 セラが西街道周辺の地図を広げた。ブルーノの前へ向きを合わせると、ニールも椅子から立って横から覗き込む。


 会議や訓練、広報の仕事で外に出ている者が多い。至急なら、呼び戻している時間はない。


「今すぐ動けるのは、この部屋にいる者だけです。現地には衛兵と作業員が入っていて、人手は足りています。負傷者の報告もありません」


 ブルーノが頷いた。


「ああ、あの橋ですか。北側が岩場のところですよね」


 ニールが橋を指すと、セラが頷いた。


「上の方はまだ降ってます?」


 リディアは要請書を確かめる。


「止んだという報告はありません」


「さっきの話のまんまですね。朝から続いてるなら、着く頃にはもう少し増えてるかもしれないな」


 ブルーノは橋から下流へ指を滑らせた。


「セラ、この辺りの流れは触れますか?」


「ある程度なら動かせます。ただ、ここではやめた方がいいですね。この先に集落がありますから。ここで流れを変えると、その先でどこに水が寄るか分かりません」


 セラは下流の集落を指した。


「人が住んでいる川は、あまり触りたくないです」


「流れに触れない場合は?」


「水の様子を見ながら、作業に入るかどうかを判断するくらいならできます」


 ブルーノは少し考え、今度はニールを見る。


「ニール、この辺りならどうですか?」


「現場を見ないと何とも言えませんけど、北側の岩場なら盤石陣が使えます」


「あんたの魔法、名前はかっこいいよね」


 ノエルが口を挟んだ。


「名前はってなんですか」


 ニールはノエルの方を見てから、地図へ視線を戻した。


「まあ、滑りにくくなるだけですけどねー」


「足元が安定すれば、作業も捗るでしょう」


 ブルーノは地図を見たまま、今度はノエルにも聞いた。


「ノエルなら、どうします?」


「私だったら浮かせるかな。流木ごと」


「動かせますか?」


「引っかかり方次第かな。持ち上げるだけならできると思う。でも、水の中でどうなってるかは見ないと分かんないね」


 ブルーノは窓の外へ目をやった。細い雨はまだ続いている。


「雨そのものを止めることは?」


「出来るかもしれないけど、竜に逆らうようなことはやりません!」


 少し間があった。


「まあ……そうですね。では、雨自体を触るのはやめましょう」


 ブルーノは地図へ目を戻した。


 ブルーノも自分も、必要なら現場へ出ることはできる。ただ、当直指揮官と事務を空けてまで人手を増やす必要はなさそうだった。


 リディアは要請書へ目を落とす。


「二名出せば対応できる範囲は広がります。ただ、その分、派遣費用も増えます」


 ブルーノは地図を見つめた。


「問題は、一人で足りるかですね」


 ニール一人なら、作業員の足場は整えられる。だが、上流ではまだ雨が続いている。


 リディアは地図の上流側へ目を移した。


「作業中に、急な増水が起きた場合は?」


 ブルーノの視線がセラへ向いた。


「……その判断は、セラの方が早いですね」


「水の変化を見るなら、私がいた方がいいと思います」


 セラが答える。


「派遣費用は増えますが、役割は重複しません」


 ブルーノは頷いた。


「では、セラとニール。二人でお願いします。小隊長はニールにします」


「えー、今帰ってきたばっかりですよ?」


「ニール、ちゃんとやりなよ」


 ノエルが言った。


「なんで俺だけなんですか」


 セラが小さく笑った。


 ニールは地図の一点を指す。


「こっち、街道から下りられます?」


 セラが確かめる。


「岩場の近くまでは行けるはずです」


「なら、そこから入れますね。現地の水位も見ておいた方がいいと思います」


 ニールが外套を取り、セラも出かける支度を始めた。


 リディアは机の引き出しを開ける。


「急ぎですので、馬か馬車を使ってください。前渡金は要りますか?」


「さすがに馬代くらいは持ってますよ」


「では、領収書をお願いします」


「はいはい」


 二人が扉へ向かう。


「ニール、行ってきまーす」


「私もいますけど」


 セラが隣から言った。


「いってらっしゃい」


 ノエルが返した。


 二人が出ていくと、リディアは出動簿を開き、当直指揮官にブルーノ、小隊長にニール、派遣者にセラとニールの名を書いた。


 続けて出動報告書を一枚取り出し、要請の内容と派遣までの経緯を下書きにまとめていく。


「これ、洗ってくるね」


 ノエルが空になった牛乳瓶を持ち上げた。


「お願いします」


 ノエルは瓶を手に流しへ向かった。

 リディアは報告書へ視線を戻した。


        ◇


 夕方、隊舎の扉が開いた。


「ただいま。会議、長かった……」


 レオンが書類を抱えて入ってきた。出ていった時より増えていた。


「お疲れさまでした」


 レオンは机に書類を置いた。


「何かあったか?」


「はい。急ぎの出動要請が一件ありまして、セラとニールを派遣しました」


 ブルーノが答えた。


 リディアは書きかけの報告書を差し出す。


「詳しいことはこちらに。まだ下書きです」


「分かった。ありがとう」


 レオンは受け取って目を通し始めた。


 ほどなくして、もう一度扉が開いた。


「ただいま戻りましたー」


 ニールとセラが濡れた外套を脱ぎながら入ってくる。


 レオンが顔を上げた。


「どうだった?」


「無事、終わりました」


 セラが答えた。


「ニールさんの盤石陣、大活躍でしたよ」


「まあ、滑りにくくなっただけですけどねー」


 ニールは懐から紙を一枚取り出し、リディアの机へ置いた。


「馬代の領収書です」


「ありがとうございます」


 リディアが受け取ると、レオンが手にしていた下書きをニールへ差し出した。


「それと、報告書も頼む」


 ニールは差し出された紙とレオンを見比べた。


「……今帰ってきたばっかりなんですけど」


 窓の外では、細い雨がまだ降っていた。


 洗った牛乳瓶が一本、窓辺に置かれている。

 そこには、いつの間にか小さな花が一輪挿してあった。


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