第七話:ゴーレムと魔法の炭酸水 (1/3)
ワーウルフの少年ガルが、誇り高き狩人として森へ帰ってから、数日が過ぎた。店の前の柱に刻まれた五本の深い爪痕は、あの夜の出来事が夢ではなかったことを物語っている。俺、仏田武ことぶっさんは、その爪痕を指でなぞりながら、一人、静かに微笑んでいた。
「あいつも今頃、群れの中で胸を張ってるといいんだがな」
そんなことを考えながら、店の中へと戻る。夕暮れのオレンジ色の光が、窓から差し込み、磨き上げられたカウンターを優しく照らしていた。そろそろ店じまいの準備でも始めようかと、エプロンの紐を締め直した、その時だった。
ギ……ギギ……。
店の外から、重い石が、硬い地面の上を擦るような、鈍い音が聞こえてきた。それは、一歩、また一歩と、ためらいながらも、確実に店へと近づいてくる。なんだろうとドアに目をやると、そのドアが、今までで一番ゆっくりと、まるで永遠の時間をかけるかのように、重々しく開かれた。
そこに立っていたのは、身長1メートルほどの、石でできた小さな老人だった。
全身は、長い年月の雨風に磨かれた丸みを帯びた石でできており、その表面は、まるでベルベットの外套を羽織っているかのように、びっしりと深い緑色の苔に覆われている。その姿は、もはや石像というより、森の一部が意志を持って歩き出したかのようだ。胸の中心には、かつては魔力の源として輝いていたであろうコアクリスタルが埋め込まれているが、今はその輝きも弱々しく、まるで曇りガラスのように、どんよりと濁ってしまっている。
(ゴーレム、か。それも、ずいぶんと年季が入ってそうだな。こいつはまた、一筋縄じゃいかなさそうだ)
ゴーレムは、一歩、また一歩と、関節を軋ませながら店に入ってくると、俺の目の前で立ち止まり、深々と、しかしひどくぎこちない動きで頭を下げた。その動きだけで、彼の体が限界に近いことが伝わってくる。
《……旅の者から、噂を聞いてのう。ここの主は、どんな悩みも解決する、不思議な料理人じゃと……》
脳内に響いてきたのは、古い石碑に刻まれた文字を読み上げるような、荘厳でありながらも、ひどく疲れた老人の声だった。
「へい、いらっしゃい。まあ、何でも屋みたいなもんだ。じいさん、どうしたんだい? その体、ずいぶんとしんどそうじゃねえか」
俺が声をかけると、ゴーレムは大きなため息をつくように、体の石を軋ませた。
《わしは、ゴホウという。見ての通り、ただの石くれじゃ。もう、ずいぶん長く生きておる。遠い昔、とある貴族様の美しい庭園を守るという、誇り高い役目があったんじゃが……それも今は昔。主は去り、庭園は森に還った。役目を失ったわしは、ただ、時が過ぎるのを待つだけの存在となった》
彼の声には、深い諦観と、どうしようもない寂しさが滲んでいた。
《最近は、体の節々がギシギシと軋んで、うまく動けんのじゃ。この体にびっしりと生えた苔が、まるで重たい鎧のように、わしの力を吸い取っておる気もする…。もう一度、体が軽やかだったあの頃のように、すっきりとしたいんじゃがのう……》
なるほど。今回は栄養不足じゃない。長い年月をかけて蓄積された、経年劣化と、メンテナンス不足か。
俺は彼の体をじっくりと観察した。確かに、肩や膝といった関節の隙間には、土や砂が硬く詰まり、そこから苔がびっしりと根を張っている。これでは動きが鈍くなるのも当然だ。
(こりゃ、料理ってより、庭石の手入れだな。いや、文化財の修復に近いかもしれん)
俺の頭に、フードコーディネーター時代に趣味でやっていたガーデニングの知識や、テレビで見た文化財修復のドキュメンタリーが蘇る。
「じいさん、あんたのその悩み、俺に任せな。体の内側と外側から、まとめて大掃除してやるよ」
《おお……本当か? しかし、わしは飯を食わんぞ? わしが求めるのは、魔力か、清らかな水だけじゃ》
「心配いらねえ。今日の料理はな、『食べる』んじゃなくて、『浴びる』もんだ。あんたの体に溜まった、長年の垢と疲れを洗い流す、とびきり気持ちいい、魔法の炭酸水を作ってやるから、楽しみに待ってな!」
俺は、不思議そうな顔をする石のおじいちゃんにウインクすると、店の裏から一番大きな樽を引っ張り出す準備を始めたのだった。
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