13 ローゼリアは企てる
その日ローゼリアは朝食を終えてすぐに伯爵の執務室を訪れた。伯爵に話をする時間を作って欲しいと願い出たら、領地の視察の翌々日に時間を作ってくれた。
お茶を出してくれた執事が退室したところで伯爵はゆっくりと香りを楽しんでから紅茶を飲む。貴族らしい仕草にローゼリアはつい護衛騎士のようなイアンと比べてしまう。
「話とは、何か相談事かな?」
「この結婚の契約の件ですわ。いくつか確認したいことがございますの」
「ほう、どの点についてだ?」
伯爵はそう言って紅茶の入ったカップをソーサーへ戻し、ローゼリアを見つめる。
「契約には婚姻中は私が女主人としての役目を果たした上で、イアン様を支えてエスコート等の貴族女性のお相手が出来るようにご指導させて差し上げる事、伯爵様の認めるご結婚相手を見つけるお手伝いをする事、イアン様のご結婚後1年間は女主人としてその方をお育てする事、これらの条件を満たした場合5年後に離縁すると書かれてありますが、もしも私たちの婚姻中にイアン様が伯爵様のご希望よりも芳しくない結果になられた場合はどうなるのかと思いまして……」
伯爵は紅茶のカップを口元に当てたままローゼリアを見つめてからカップをソーサーに戻した。
「それは、契約が不履行となるな。再度契約を結び直すか契約そのものを破棄せざるをえなくなるかのどちらかになる」
「それでは私たちの離縁は…」
「なくなるな。堅物のイアンにもう根を上げたくなったのか?」
ローゼリアは唇を噛む。契約書には契約が破棄された場合でも、伯爵からの条件を満たさない状態でローゼリア側から白い結婚を理由としての離縁は申し出ないと書いてあるので、イアンに結婚をしてもらわなければローゼリアの離縁は出来ないようになっている。
「実はイアンとは養子縁組する時にいくつかの約束をしている。ローゼリアとは違い口約束だが、あれには伯爵家の後継として高位貴族としての振る舞いを心がけるように伝えてあるし、令嬢への対応はローゼリアから習うようにローゼリアとの契約書にサインをした次の日に伝えた」
「私、思うのですが、もしかしたらイアン様は年下の私が義母となることをご不満に思われていらっしゃるのでは?」
「イアンが養子になる前だが、前の妻は22歳だったからそのような事はないはずだが」
「まあ」
ローゼリアは前伯爵夫人が自分とそれほど年齢が変わらなかった事に驚いた。
「出戻りの男爵令嬢で、出産経験があるから娶ったのだが…。あれでワシも自分の子供は諦めてイアンを養子に迎える事に決めた結婚だったな。当時の妻だった女に、お前よりも年上の甥を養子に貰う事にしたので、嫌だったら出て行って構わないと言ったら、さっさと荷物をまとめて出て行ってしまったな」
伯爵の年齢を考えると、そう遠くない将来にイアンに爵位も財産の大部分も譲ることになるだろう。そうなると妻側には伯爵と結婚をする旨みというものが全くなくなる。22歳で出産経験があるならば、裕福な平民の商家に嫁ぐという選択肢だってあるだろう。
「年齢の事で嫌われているという事ではないのは分かりましたわ」
「イアンと何か問題でもあったのか?」
「何かあったのかと言われれば、むしろその逆で初めてお会いした時から必要以上の会話も無いのですから、何もございませんわ。今のままでは私からイアン様に何かをお教えして差し上げる事は無理ですわ」
伯爵は大きくため息をついた。
「……実は過去に何度か貴族令嬢と見合いをさせた事があるのだが、ロクなエスコートも会話も出来ないからと相手に断られている。義理でも家族相手ならあれの態度も少しは素直になるかと思ったのだが、後で言い聞かせてみるか」
「そのような事がおありでしたのね。私がイアン様に嫌われているからお話しもして下さらないのかと思っていましたわ。分かりました、イアンさまともう少し打ち解けられないか頑張ってみますわ」
「そうしてもらえると助かる。イアンには他に兄弟も従兄弟もいないからイアンまで養子を取るとなると、イアンの次代はかなり遠縁の者に後を継がせることになる。出来ればイアンの後はあいつの子供に後を継がせたい」
「伯爵さま、私は一応はイアン様の義母ですが、義母として私からイアン様にお見合いを勧めてみるというのはいけないでしょうか?」
「アテはあるのか?」
「はい、元フォレスター派だった家で男爵家なのですが、騎士の家系の家門がありますの。イアン様も元は騎士様ですし、あちらのご令嬢は16歳でまだ婚約者もいなかったと記憶しています。もしこのお話がイアン様にとっての良縁となるのでしたら、ご令嬢には私の方から伯爵夫人としてのマナーや社交についてお教え致しますわ」
「なるほど、ローゼリアがイアンに教えるよりは令嬢に教える方が早いかもしれないな。だがそうとなると、イアンを引っ張っていけるような令嬢ではないとダメだ。その辺りは令嬢に見込みはあるのか?」
ローゼリアはその令嬢と多少の話をした事はあるが、当時のローゼリアは筆頭公爵家の令嬢だった。身分差もあって、令嬢から積極的に話しかけてくるような事はなく、ローゼリアの言葉に同意の相槌を打つ程度の会話しかしたことが無い。なのでローゼリアには大人しい令嬢だったという印象しか無く、彼女の性格までは把握していなかった。
オルコットが男爵家等の低位貴族の家ならば、貴族社会の中では大人しいままでいる事が正解ではあるが、伯爵夫人となると大人しいだけではなく、時としては強くあらねばならないし、状況によっては即座に機転のきく行動を取らないといけない事もあるだろう。高位貴族の令嬢ならば小さな頃からお茶会等で鍛えられているのだが、男爵家の令嬢にそこまでの社交性が身に付いているのかは怪しいところだった。
「そうですわね。私もずっと側にいれませんし、政略のお相手にそこまで求められるか難しいところですわ。こちらもご令嬢が伯爵家にふさわしいかどうかを見極めないといけないですわね。最初からお見合いという形にするのではなく、私がご令嬢をお茶に誘ってイアン様にそれとなくお引き合わせするのでしたらいかがでしょうか。その際は令嬢には当家に来て頂く事になるのでしょうから、領地ではなく王都のお屋敷を使わせていただくことになりますわ」
「社交シーズンではないが、一週間くらいなら王都に滞在出来るだろう。小さなパーティーならどこかの家でやっているから、若い妻を自慢しに行ってみるか。没落して年寄りに嫁いだフォレスター令嬢に興味津津の貴族は多いから、王都へ行ったら噂好きの奴らには喜ばれるだろうな」
伯爵は少し意地が悪そうに笑う。王都へ行けば格好の噂のタネにされる。それに耐えられるかとローゼリアに聞いてきたのだ。
しかしローゼリアはただの令嬢ではない。高位貴族として生まれ、厳しい王太子妃教育に耐えた上でそれを全て否定されてしまったのだ。家族さえ無事ならば怖いものなんて何もない。
「注目される事には慣れていますわ。王都にいた最後の三カ月は私がいつ婚約破棄されるのか皆さま楽しみにしていらしたから」
ローゼリアは余裕の笑みを浮かべた。
「我が妻は頼もしいな」
そう言って伯爵も満足そうに口の端を上げるのだった。